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『狭き門』(読書メモ)

アンドレ・ジッド(中条省平・中条志穂訳)『狭き門』光文社

ジッドの実体験をベースに書かれた代表作である。

いとこ同士のジェロームとアリサは、小さいころから愛しあっているのだが、なかなか結ばれない。主にアリサの煮え切らない態度のためだが、その理由は最後に明かされる。

前半はやや退屈であるが、後半に入ると、ジッドの世界に引きずり込まれた。特に、ラスト部分の「アリサの日記」は圧巻である。

頭の中で作り上げる愛と、心で感じる愛。これら二つに挟まれながら揺れるアリサの気持ちが伝わってくる。

それもそのはず。解説によれば、ジッドは、アリサのモデルである奥さんの日記をかなり拝借していたらしい。

芸術のためには何でも利用してしまう「作家根性」に驚かされた。






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主を畏れることは宝である

主を畏れることは宝である
(イザヤ書33章6節)

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自己反省

ふたたび「孟子」の言葉より。

「孟子が言った。「人を愛してその人が自分に親しんでくれなければ、自分の仁を反省する。人を治めてうまく治まらなければ、自分の智を反省する。人に礼を尽くしてその人が報いてくれなければ、自分の敬を反省する。自分が行動して思うような結果が得られなければ、自分を振り返って反省する。自分の身が正しければ、天下の人々は帰服してくる」(p.132)

すこし「反省しすぎ」なところは気になるが、成長する上では欠かせない姿勢だろう。

ついつい「自分は悪くない」と他人のせいにしてしまいがちであるが、改めて「自分の問題」を見つめることの大切さを感じた。

出所:佐野大介『孟子』(角川ソフィア文庫)
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『孟子』(読書メモ)

佐野大介『孟子』角川ソフィア文庫

五十歩百歩」などの故事で有名な孟子は、孔子の100年後の人である。

理想論が多いため、やや「?」と感じることもあったが、よく考えれば、哲学や思想は理想論でよいのかもしれない。

その中でも心に残ったのは次の箇所。

「孟子が言った。「君子には三つの楽しみがある。天下に王となることはこれに関係がない。父母がともに健在で、兄弟に事故がないのは、第一の楽しみである。天を仰いで天に対して愧(は)じるところが無く、俯(うつむ)いて人に愧じるところがないのは、第二の楽しみである。天下の英才を弟子として教育を施すのは、第三の楽しみである。君子には三つの楽しみがある。天下に王となることはこれに関係がない」(p.233-234)

人生において大切なことは、地位・名誉ではなく、「家族、正直、教育」ということだろう。

著者の佐野氏によれば、儒教は基本的に「聖人には学習によって至ることができる」という前提があるため、教育を重視するらしい。

家族を大切にし、正直に生き、後輩を育てる。そんな生き方がしてみたい、と思った。


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宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう

宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう
(ローマの信徒への手紙10章14節)

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『不可能を可能に』(読書メモ)

田中徹二『不可能を可能に:点字の世界を駆けぬける』岩波新書

大学生のときに光を失った田中さんが、点字図書館を中心に、世界をまたにかけて活躍する様子が描かれている。

本書を読んで最も感動したのは、「点訳運動」のこと。さらっと書かれているだけなのだがインパクトがあった。

戦前に、本間一夫さんという方が点字図書館を立ち上げたものの、点字図書が十分ではない状況だったという。

「いよいよ1940年11月10日、日本盲人図書館を発足させたのです。しかし、それは当時買うことができた点字図書700冊を並べただけのものでした。このままでしたら、斉藤さんの言う「図書館とは言えない」もので終わっていたのかもしれません。それがいわゆる図書館として、全国の視覚障害者から絶大な信頼を得ていったのは、社会教育家である後藤静香さんの点訳運動に支えられたからです。

本間さんの存在を知った後藤さんは、みずから点訳を学びました。それだけではなく各地を訪れ、点訳講習会を開きました。そして点字を習得した主婦たちが、こぞって点訳書を日点に送ってきたのです。内外の名著がどんどん点訳され、読書に飢えていた視覚障害者たちは歓喜に酔いしれることになりました」(p.79)

社会教育家である後藤さんの行動力もさることながら、戦前という大変な時期に、全国の主婦の方々が点字を学び、点訳をされたという事実に驚いた。

ハンディキャップがある人々のために、自分の時間を使って貢献しようとする「思い」が、今の点字図書館の基礎を築いたといえる。

いつの時代でも、社会を変えようとするリーダーシップと、それに応える志の高い人々の存在が、世の中を動かしていくのだろう。

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聞いてください、わたしの呻きを

聞いてください、わたしの呻きを
(哀歌1章21節)

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ラクダ・ライオン・赤ん坊

梅原猛さんの『少年の夢』(河出文庫)から。後半パートは、小学生に対する授業である。

梅原さんは、ニーチェの言葉を引きながら、人生には「ラクダ・ライオン・赤ん坊」という三つの段階がある、と説明する。

「最初は、ラクダ。みんな、ラクダを知っているだろう。背中に山のあるラクダです。次には、ライオンになる。そして、最後には子どもになる」(p.121-122)

「ラクダは忍耐です。ラクダは重い荷物を背負って、砂漠を歩きます。だから忍耐がラクダの精神ということになる。勉強はしんどいですね。学校もしんどい。塾に行っている人もいると思うけど、塾に行っていると、ものすごくしんどいね。勉強するということは、ラクダが重い荷物を背負って歩くのと同じように、一生懸命、知識を蓄えておくことです」(p.122)

「それからどうなるかというと、ラクダが突然ライオンになります。ライオンというのは批判精神です。やっぱり、学問というのは少しやると、批判精神を持たないと一人前になれないことがわかってくるのです。それまで教えられていたことが正しいことだけではないんじゃないか、間違っていることもあるんじゃないか、と考える」(p.123)

「しかし、ライオンになればいいかというと、それだけでは人生はいけないんだ。批判するだけではダメです。最後は、自分でモノをつくり出さなければならない。それには、赤ん坊の無邪気さが必要になります。赤ん坊はいつも新鮮な目でモノを見るね。そういう赤ん坊の精神がないと、モノはつくれません。最後には、モノをつくらなければいけないよ。人生においては、創造することが大事なんです」(p.124)

この「ラクダ・ライオン・赤ん坊」は、「守・破・離」とも通ずるものがあると思った。

「離」のためには、「赤ん坊の精神」が必要となるという考え方は新鮮だ。しかし、年齢を重ねると赤ん坊から遠ざかってしまう。

本書を読み、「赤ん坊のような無邪気さ」を取り戻したい、と感じた。




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『少年の夢』(読書メモ)

梅原猛『少年の夢』河出文庫

哲学者の梅原猛さんが、高校生や小学生に語った内容をまとめたもの。

平易な言葉で、深いことが語られている。

一番インパクトがあったのは、「夢と心の傷」について。

「私は、夢がなかったら人間は人間ではありえない、文明というものはなかった、と思うのですが、このわれわれ人間のなかには、特別に夢の好きな人、夢に命をかける人がいます。人一倍大きな夢を見て、それを実現した人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思うんです。それは何か?

すべてがそうとは言いませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷を持っている人が多いんですね。この人はどうしてこんなに大きな夢を持ったのか、どうしてその夢を実現することに一生をかけることができたのかと見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスがある場合が多いんですね。その心の傷が夢をみさせている、そう思うんです」(p.18)

「皆さんにも、コンプレックスに悩んだり、悲しんでいる人は多いと思います。だけど、心に傷があっても、それを悲しんではいけないんです。悲しんで、自暴自棄になったら、自分を滅ぼしてしまう。そうじゃないんですよ。本当に夢見る人間というのは、どこかに深い傷を持っている人間なんです。皆さんの傷が深ければ深いほど、素晴らしい夢を見る人になりうる。そう考えるといいですね」(p.19-20)

なんと勇気づけられる言葉だろう。

そして、それは真実であるように思う。自分の傷を大事にして、夢につなげたいと感じた。




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あなたはわたしの隠れが

あなたはわたしの隠れが
(詩編32章7節)


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