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『ワインズバーグ、オハイオ』(読書メモ)

シャーウッド・アンダーソン(上岡伸雄訳)『ワインズバーグ、オハイオ』新潮文庫

ヘミングウェイやフォークナーに影響を与えたと言われているシャーウッド・アンダーソンの作品である。

舞台は、オハイオ州にある田舎町ワインズバーグ(架空の町)。ここに住む人々の生活が20以上の短編として描かれているのだが、一つ一つが渋く、深い。人間の持つ「悩み、葛藤、罪」が集約されているような小説である。

各作品のタイトルは「手」「紙の玉」「母」「哲学者」「狂信者:四部の物語」「アイデアに溢れた人」「冒険」「品位」「考え込む人」「タンディ」「神の力」「教師」「孤独」「目覚め」「変人」「語られなかった嘘」「飲酒」「死」「見識」「旅立ち」である。

若い新聞記者ジョージ・ウィラードが全編に関わっているため、短編ではあるが長編のようにも読める。

特に、同性愛を疑われて袋だたきにあった経験を持つ元教師(手)、ほとんど患者の来ない医院の医師(哲学者)、都会に出て行った恋人を待つ服地店員(冒険)、女性の部屋を覗き見たいという誘惑と戦う牧師(神の力)の話しがよかった。

最近、アメリカ文学もなかなか味があるな、と感じ始めた。




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『真夜中のカーボーイ』(映画メモ)

『真夜中のカーボーイ』(1969年、ジョン・シュレシンジャー監督)

テキサスに住むジョー(ジョン・ヴォイト)は、自慢の肉体で金持ち女性をものにしようとニューヨークに旅立つものの、カウボーイ・スタイルのため田舎者扱いされてしまう。金もなくなり、ホテルを追い出された彼は、足の悪い小男ラッツォ(ダスティン・ホフマン)と出会う。

「金持ち女に身体を売るには、マネージャーが必要だ」

と売り込むラッツォ。

しかし、カウボーイにこだわるジョーに魅力を感じるのは男性ばかり。そのうち、二人の間に不思議な友情が生まれる、という物語である。

この映画を観るのは2回目なのだが、テーマが「アンラーニング(捨てる学習)」であることに気づいた(勝手な解釈)。

「金持ち女性をひっかけてジゴロで生活できるはず」という甘い考えや、「カウボーイこそ一番男らしくてカッコいい」というこだわりをもっている主人公のジョーは、ラッツォと生活を共にし、現実の厳しさを味わううちに、徐々にそうした信念を捨て、人間として成長していくのだ。

他者との関係がアンラーニングを促すのかもしれない、と思った。




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わたしにつながっていなさい

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
(ヨハネによる福音書15章4節)

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葉隠

ANAの機内誌『翼の王国』(2018年8月号)で「葉隠」が紹介されていた。

「葉隠」とは、江戸中期の佐賀藩で藩主に仕えた山本常朝が隠居後に書き残したもの。武士のあるべき姿が全11巻(1340項目)に収められている。現在、世界14~15か国で翻訳され、故スティーブ・ジョブズも影響を受けたらしい。

この記事の中で印象に残ったのが次の項目。

「人生一生は、誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり
「しかしこの事は、うまく伝えないと害になるので、若者には言ってこなかった」

なんだかわかる気がする。

「好きなことをやるべき」という考え方は、いろいろと経験した後にその神髄を理解できる言葉のように思うからだ。

自分のキャリアの軸(大事にしたい価値観)をキャリアアンカーと呼ぶが、自分のアンカーを適切に認識するには10年以上かかると言われているのと同じかもしれない。

出所:『翼の王国』2018年8月号, p. 74-75.
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『地獄の季節』(読書メモ)

ランボオ(小林英雄訳)『地獄の季節』岩波文庫

19世紀後半に活躍したフランスの詩人ランボオは、この作品によって文学に絶縁状をたたきつけたという。

信仰と不信仰、科学と哲学、東洋と西洋の間で揺れ動くランボオ。全体を通して、荒々しさと繊細さが交じり合っており、彼の苦悩が伝わってきた。

詩人ヴェルレーヌとの愛人関係が破局した後に書かれた「地獄の季節」は、自身の体験がベースになっているだけに迫力がある。

次の箇所が印象に残った。

俺の精神よ、気をつけろ。過激な救いにくみするな、鍛錬を積む事だ。ああ、科学は俺たちの眼にはまだるっこい。だが、どうやら俺の心は眠っているようだ。俺の精神が、この瞬間から絶えずはっきりと目覚めていてくれるものとしたら、俺たちはやがて真理に行き着くだろうに。真理は俺たちを、泣いている天使らをつれて取り巻くであろう。・・・・・もし俺の精神がこの瞬間まで目覚めていてくれたのなら、記憶にもないあの昔、俺は邪悪の本能に屈する事はなかっただろうに」(p.53)

実際にランボオが詩を書いていたのは20歳前半までらしく、その後、放浪の果てに37歳で亡くなっている。

数年間で才能を爆発させた点は、石川啄木と似ているな、と思った。








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『リンカーン』(映画メモ)

『リンカーン』(2012年、スティーヴン・スピルバーグ監督)

リンカーン大統領の最後の4か月を描いた作品。

奴隷解放宣言はしたものの、奴隷を完全に開放するには、憲法修正案を可決させる必要があった。そのためには、賛成票をかき集めなければならない。

人間味あふれるリンカーンなのだが、なんと「就職ポスト」を餌に議員を買収する作戦を決行する。

「修正案賛成にはあと2票必要なんだ。俺はアメリカ合衆国の大統領だぞ。何としても票を確保してこい!

しかし、よく考えると、買収は自分のためではなく、奴隷解放のためである。修正案が可決されたとき、ある政治家が次のようにつぶやく。

「19世紀最高の法案が、アメリカで一番純粋な男がもちかけた買収で可決された」

「理想」だけ語っていても何も起こらない。「現実的手段」が伴って、はじめて理想が実現されることがよくわかった。

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あなたの未来には希望がある、と主は言われる

あなたの未来には希望がある、と主は言われる
(エレミヤ書31章17節)

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残酷である理由

『眠れる森の美女』の「訳者あとがき」に、つぎのような解説がある。

「この当時、宮廷や貴族の邸宅で催されたサロンでは、人々は洗練された会話を楽しみながら、詩の朗読やさまざまな文芸遊戯に興じたが、お伽噺を即興的に脚色して語り聞かせるというのもそのひとつだった」(p.165-166)

著者ペローは、17世紀フランス王室の高級官僚だったらしく、この種のサロンに通っていたという。

『眠れる森の美女』に収められている作品のストーリーが、残酷である理由がわかった。

出所:シャルル・ペロー(村松潔訳)『眠れる森の美女』(新潮社)
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『眠れる森の美女』(読書メモ)

シャルル・ペロー(村松潔訳)『眠れる森の美女』(新潮文庫)

表題作の他、おなじみの「赤頭巾ちゃん」「長靴をはいた猫」「シンデレラ(正式タイトル=サンドリヨンまたは小さなガラスの靴)」「親指小僧」などが収録されている。

童話は、元の話しと子供向けの話しが異なることで有名である。「長靴をはいた猫」と「シンデレラ」はほぼ我々が知っている話と同じだが、違っていたのは「眠れる森の美女」と「赤頭巾ちゃん」。

なんと、「赤頭巾ちゃん」は、おばあちゃんに扮した狼に食べられておしまいである。話の後で「教訓」なるものが必ずついており、「若い娘よ、世の中の男に気をつけろ」という内容のことが書いてある。

一番怖かったのは「眠れる森の美女」。王女を眠りからさました王子の母親が人食い鬼で(つまり、王子も半分人食い鬼の血が流れているはずだが普通の人)、王女と王子の子供たち(つまり孫)を食べようとする。さらに「こどもたちとおなじソースで、王妃を食べたい」(p. 27)と言い出す始末。

びっくりするほど怖いので、是非読んでほしい。

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たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます

たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます
(コリントの使徒への手紙Ⅱ4章16節)

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