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気をつけて、目を覚ましていなさい

気をつけて、目を覚ましていなさい
(マルコによる福音書13章33節)

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『生家へ』(読書メモ)

色川武大『生家へ』講談社文芸文庫

『狂人日記』『離婚』(あるいは『麻雀放浪記』)で知られる色川武大が、家族(特に父親)との関係を綴ったノンフィクション的な小説

元軍人で、恩給で暮らしていた父親は、かなりの変人

第2次世界大戦中、床下に防空壕の穴を掘りまくったり、木に登ったり、仕事もせずにブラブラしているがプライドは高い

そんな父親と、家に返ったり帰らなかったりする著者との関係が語られているのが本書。

作品1~作品11というエッセイ的作品の後に、著者のデビュー作『黒い布』が掲載されている。

この作品の主人公は父親で、戦争中、そして退役してからの息子との関係が描かれているが、これが絶品である。

これまで、色川氏のエッセイを何冊か読んできて、「きっと父親が嫌いだったのだろうな」と思っていたが、どうも違っていたようだ。

世の中の息子は、多かれ少なかれ、父親から影響を受けていることを、改めて感じた。
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真実に歩む人は横たわって憩う

真実に歩む人は横たわって憩う
(イザヤ書57章2節)

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『テーラー』(映画メモ)


『テーラー』(2020年、ソニア・リザ・ケンターマン監督)

舞台はギリシャの首都アテネ。親父さんとともに高級スーツの仕立て屋を営むニコス(ディミトリ・イメロス)だが、不況のためか客が全く来ず、倒産の危機に陥る。

そこで考えたのが、屋台で紳士服を売るアイデアなのだが、買う人もおらず途方に暮れるニコス。しかし、ウエディングドレスを頼まれたことから商売が軌道に乗っていくという物語。

この映画のテーマは「アンラーニング」(時代遅れの考えや仕事の進め方を捨てて、時代にあったものに変えていく学習)である、と思った。

ニコスは、「店舗を止めて、屋台で売る」「スーツを止めて、ドレスを売る」という形で学び直しているからだ。

おまけに、「父からの指導から解放されて、自分自身で決める」という転換もあるところが奥深い。

ドレスづくりを手伝ってくれる近所の奥さんとの恋もあって、上質の映画に仕上がっている。

出だしはつまらなかったので途中で観るのをやめようかと思ったが、我慢して正解だった。
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あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい

あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
(ペテロの手紙Ⅰ、5章6節)
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『人間をみつめて』(読書メモ)

神谷美恵子『人間をみつめて』河出書房新書

ハンセン病患者を支援した精神科医である神谷美恵子氏の書。人間の生き方について語られている。

『生きがいについて』に比べて、より考え方が整理されているように思った。

印象的だったのは「古い脳と新しい脳」のはなし。

「大ざっぱにいうと、私たちの脳は二重構造になっている。いわゆる古い脳のほうには他の動物と共通な「動物的な」本能の中枢がある。食・性・集団欲にかかわる欲望、衝動、情動の中枢が、地域的に極めて近いところに配置されている。ところが新しい脳には感覚や運動の中枢のほか、言語、認識、思考などの中枢があり、ことに前頭葉には自発性、社会性、倫理性などを発揮するのに必要なしくみのあることが、たくさんの臨床例や手術例などによって、またちかごろでは生理学的実験によって証明されている」(p. 33-34)

「こうしてみると、古い脳には動物性が、新しい脳には精神性が宿っている、と言えそうである。この二つの脳を自らの中にかかえ、その双方から指令を受けて生きている人間とは、たいへんな矛盾のかたまり、と言わねばならない。そのために悩まずにいられないのは当然のことであろう」(p. 34)

この「古い脳、新しい脳」のはなしが、本書の全編にわたって出てくる。

よく考えてみると、精神分析における「超自我、自我、衝動」も、「古い脳、新しい脳」の観点から説明ができる。つまり、古い脳に「衝動」が存在し、新しい脳に「超自我や自我」があるのだろう。

ちなみに、神谷さんは精神分析があまり好きではないらしく、基本的に脳の機能で説明しており、科学的な人であることがわかった。

また、「生きがい」について語っている後半では、次のように述べている。

「人間は生きがいを『何かをすること』に求めて捜しまわる。しかし何かをする以前に、まず人間としての生を感謝とよろこびのうちに謙虚にうけとめる「存在のしかた」、つまり「ありかた」がたいせつに思える。それは何も力んで、修養して自分のものにする性質のものでなく、前章でのべた「愛の自覚」から自然に流れでるものであると思う」(p. 171)

これはまさにエーリッヒ・フロムの言う「ある様式(to be)」である(その反対は「持つ様式(to have)」)。

では、何もしなくてもいいのかというとそうではない。

「大いなるものを信頼して、卑小な自分をまもることや、自分が所有するつもりになっているもろもろの物や力をまもることに、それほど熱中しなくなれば、どんなに多くのエネルギーが解き放たれることであろう(中略)そうすれば『何かをすること』を捜しまわる必要はない。なすべきことのほうから、こちらに押しよせてきて、応接いとまなし、ということになるだろう。「使命のほうがわれわれを探している」というハマーショルドのことばはあくまでも正しい」(p. 172)

「持つ様式」から「ある様式」に変わることで、やるべきことが見えてくる、といえそうだ。


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すべては塵から成った。すべては塵に返る。

すべては塵から成った。すべては塵に返る。
(コヘレトの言葉3章20節)

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『間宮林蔵』(読書メモ)

吉村昭『間宮林蔵』講談社文庫

幕末期に、樺太が島であることを発見した間宮林蔵の物語である。

農民から幕府の役人になった林蔵は、死の危険を犯してロシア領に渡り、世界地図上の謎だった海峡を見つけ、一躍ヒーローに。

栄光に包まれた人生前半に対し、後半は隠密活動のため悪評がたち、つらい立場に追い込まれる。

それでも、淡々と自分の役割を実行しようとする林蔵の生き方に感銘を受けた。

なお、この小説には、日本地図を完成させた伊能忠敬が登場する(林蔵は忠敬から測量を教わる)。

超有名だが、家族との関係がうまくいっていない忠敬の人生を知り、改めてワークライフバランスが重要であることを感じた。

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すべてはあなたからいただいたもの

すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません
(歴代誌上29章14節)
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