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『看護師・医師を育てる経験学習支援:認知的徒弟制による6ステップアプローチ』

少し前になりますが、神戸赤十字病院副院長の築部卓郎先生との共著で、『看護師・医師を育てる経験学習支援:認知的徒弟制による6ステップアプローチ』という本を医学書院から出版いたしました。

「認知的徒弟制」とは、著名な組織論研究者であるアラン・コリンズやジョン・S・ブラウンが提唱した概念で、高度な認知スキルを学習するときに役立つ指導法です。

認知的」とは、思考力や問題解決力のようなスキルを鍛えるのに適しているということを、「徒弟制」とは、経験豊富な人が経験の浅い人を指導するということを意味しています。

具体的には、次の6つのステップに沿った指導ですが、経験から学ぶことをサポートする上でも有効です。
(用語はわかりやすい言葉に変えています)

①モデル提示=手本を示し、観察の機会を与える
②観察と助言=活動を見守り、具体的に指導する
③足場づくり=成長に合わせて支援を少なくする


④言語化サポート=質問によって思考を言語化させる
⑤内省サポート=熟達者と比較させ、振り返らせる
⑥挑戦サポート=自律的な挑戦をうながす

 
①から③は伝統的な徒弟制と共通する指導であり、④から⑥が複雑な認知スキルを高めるために必要となる指導です。つまり、言語化や他者比較によってリフレクション(内省)を促し、自分で問題解決できるように導くところが、認知的徒弟制の特徴だといえます。

また、この指導方法は、「経験する」→「内省する」→「教訓を引き出す」→「応用する」という経験学習サイクルに沿って学ぶことをサポートするものです。

つまり、認知的徒弟制の「モデル提示→観察と助言→足場づくり」によって、質の高い経験を提供することができ、「言語化サポート→内省サポート」によって、学習者の内省や教訓抽出を支援し、「挑戦サポート」を通して、教訓の応用を促します。

具体的な指導イメージをもってもらうために、本書には、新人看護師、中堅看護師、新任の副看護師長、心臓外科医師の事例を載せています。

なお、6ステップモデルは、看護師、医師以外の職業にも適用できます。

本書が、部下・後輩の指導に悩んでいる方の参考になれば幸いです。

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「伝える」ために「聴く」


著述家のナンシー・デュアルテさんは、エッセイの中で次のように語っている。

誰かにメッセージを伝えようとする時は、むしろ、相手の話によく耳を傾けることが大切なのだ。自分の話を聞いてもらえていると感じた相手は、あなたのメッセージを受け入れてくれるようになる」(p. 96)

当たり前のようだが、この言葉は響いた。

なぜなら、何かを伝えようとするとき、「伝えること」に注力しすぎて、相手の話しを聴いていないことが多いからだ。

「伝える」ために「聴く」ことが大事だと、改めて思った。

出所:ナンシー・デュアルテ「共感力が人を動かす」ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー2021年3月号, 96-98.
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じわじわくる小説

先日読んだ『ここは私たちのいない場所』(白石一文著、新潮文庫)の解説を読み、少し驚いた

なぜなら、本作は、解説を書いている編集者の中瀬ゆかりさんのために書かれたものだからである。

「この唯一無二の物語は、いまから四年前、2015年7月5日付のメールに添付され、私の元に届けられた。本文には「つたないものですが、約束していた原稿ができたので送ります。 白石一文」と記されていた」(p. 196)

中瀬さんは、長年連れ添ったパートナー(ハードボイルド作家の白川道さん)を大動脈瘤で亡くしたばかりだったらしい。白川さんが亡くなってから80日間でこの小説が書かれたという。

中瀬さんは言う。

「誰かをどうしようもなく愛したことがある者。大事な存在を喪失したことのある者。そして、子供を持たない者。この三つのどれかに当てはまる人間なら、この小説の顕す人生観とその哲学的なメッセージに共鳴しないはずはない」(p. 197)

この小説を読み終えたときは「?」と感じたのが正直な気持ちである。しかし、物語を反芻するうちに、じわじわと生と死の問題について考えさせられる不思議な小説なのだ。

ちなみに、特定個人のために小説を書いてしまう白石さん。優しい人である。


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『生きがいについて』執筆日記

神谷美恵子さんの『生きがいについて』(みすず書房)には、「『生きがいについて』執筆日記」が付録として収録されているのだが、これが面白い。

日記は1958年12月21日(日)から始まり、1966年5月14日(土)に終わっている。

原稿は1962年の時点で書き上げているようなのだが、そこから推敲に時間をかけているのがわかる(たぶん、一時期は放置状態)。

なんといっても、初期の思いがすごい。長くなるが、以下抜粋である(ちなみにNとはご主人のこと)。

1960年2月3日(水) 「ねてもさめても「生甲斐」を考え、その中にすべてをぶちこみたい願いに燃える」(p. 309)

1960年2月14日(日) 「ときどき自己嫌悪感におそわれて困る。こんなつまらないものを出す価値があるだろうか、と。でも私は私でしかないのだ」(p. 311)

1960年10月29日(土) 「夜二時まで「生甲斐」をひさしぶりでかく。もっとかきたくて死にそうだ」(p. 316)

1961年3月9日(木) 「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!」(p. 318)

1961年5月2日(火) 「夜帰ってからもかきたくてうずうずし、子供たち、かぜ気のNのねしずまるのを待ち(2時)までかきつづけていた。だれのためでもない。だれに気に入られなくてもよい。ただかかずにいられないからかくだけ」(p. 320)

1961年9月11日(月)「これこそ自分の一ばん大切な仕事である事は、やればやるほど明らかになるばかりだった。このために生きて来たといえる位である。それを次第次第に発見して行くおどろきとよろこびとかしこみ!」(p. 325)

この頃から、しばらく時間が空く。

1964年7月25日(土) 「私は「生甲斐」に久しぶりで手を入れはじめた。しらべてみるとこれを書き出したのは1959年12月だった!」(p. 329)

1965年5月17日(月) 「生甲斐の1,2,5,6,8章みすずへ発送。一種の虚脱状態。どういう結果になるか神のみぞ知る。」(p. 331)

1965年6月7日(月) 「午前十時半。今みすずから「生甲斐」を出すと云って来た・・・感謝!!」(p. 332)

1965年8月8日(日) 「やっと7章をけずる。しかしまだけずり足りない。自分の冗長さにおどろくほかない」(p. 333)

1965年11月19日(金) 「家事、おつかいでくれる。N10章11章を毎晩少しずつよんでくれる。私はどうも自己嫌悪におそわれてならない。何しろ6年もやっていたからだろう」(p. 335)

1966年3月30日(火) 「夜12時すぎR図書新ブンで私の本の広告をみつけ、コーフンで1時までおきていた」(p. 338)

1966年4月18日(月) 「みすずから電話で奥付の相談。いよいよ出ると思うとこわい」(p. 339)

1966年5月14日(土) 「光明園で診察。(中略)帰宅してみたら「生きがいについて」が来ていた(十部)」(p. 339)

『生きがいについて」の内容にも感銘を受けたが、そのプロセスを綴った日記にも感動した。
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生の本質

ニーチェの『道徳の系譜学』(中山元訳、光文社)を読んでいて印象に残った箇所がある。それは、「生」の本質についての記述だ。

「生は、本質的にすなわちその基本的な機能としては傷つけるもの、暴力を振るうもの、搾取するもの、破壊するものとして働くのであり、こうした特徴なしにはそもそも考えることのできないものだからである。その意味では傷つけること、暴力を振るうこと、搾取すること、破壊することは、そのものだけにおいては「不正な」ものではないのである」(p. 137)

ぎょっとしてしまうが、まったくその通りだと思った。

我々は、生きるために、自然を破壊し、動物を飼い、植物を育て、それらを殺して食べているからである。

だから、私たちが良心に沿って生きようとすると、そのエネルギーが内に向かい「自己への暴力」という形になる。

改めて、「生の本質」を意識しながら生活することが大事だと思った。

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研究とつながり

当初、機械工学を勉強していたウィトゲンシュタインは、ケンブリッジ大学のバートランド・ラッセルの下で哲学を学ぶようになる。ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を買い、後には崇拝するようにまでなったようだ。

その後、第一次世界大戦を経て、ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を出版しようとしたが、無名の哲学者の本を出そうとする出版社はなかったために、完全にあきらめてしまう。

しかし、あきらめなかったのは師匠のラッセルである。さまざまな出版社に掛け合い、彼の解説をつけるという条件つきで『論考』が出版されることになる。

こうした経緯をみると、貴重な研究が生み出され、継承されていく上で、人との「つながり」が大切になることがわかる。

ただ、ウィトゲンシュタイン自身はラッセルの解説が気に食わなかったために、「出さない」と駄々をこねていたらしい。

20世紀哲学界のスーパースターといわれるウィトゲンシュタインの研究は、つながりの中から世に出た、といえる。

出所:ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』岩波文庫(p. 215-216)




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有用性よりも存在のしかた

神谷美恵子さんの『こころの旅』(みすず書房)の中で印象に残った箇所がある。

それは最終章「旅の終り」に書かれている次の文章。

「知能や学歴如何にかかわらず、安らかな老いに到達した人の姿は、あとから来る世代を励ます力を持っている。彼らはおだやかなほほえみを浮かべ、ぐちも言わず、錯乱もしていない。有用性よりも「存在のしかた」そのものによってまわりの人びとをよろこばすところが幼児と共通している」(p. 191)

「有用性よりも存在のしかた」という点が響いた。

「成長」について語るとき、つい「有用性の向上」という前提を置いてしまいがちだが、「存在のしかた」こそ、人間の成長において問われることだと感じた。

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問題解決学習と系統学習

佐伯胖先生によれば、日本の教育界(特に1950年代から)には「問題解決学習か系統学習か」という論争があるという。

問題解決学習とは、子供の興味や関心を大事にして、子供たちの身近な生活経験を題材に教育すべきという考え方であるのに対し、系統学習は、学問や科学の体系に即したカリキュラムに沿って教育すべしという考え方である。

ゆとり教育の見直しにも表れているように、日本の教育体制は「系統学習→問題解決学習→系統学習」と揺れているのがわかる。

しかし、「教科内容として、「身近な生活経験での題材」にするか、「科学的・体系的知識の段階的な系列」にするかという問題にすり変えられて大論争になったのは、いささか的はずれといわねばならないだろう」(p. 202)と佐伯先生はおっしゃっている。

これに対し先生は、知識体系を文化的に味わい、理解し、納得し、さらにはそれをあらためて吟味し直すという「実践への参加」の観点から教育のありかたを考えるべきであるという。

子どもの教育に限らず、こうした「学び=appreciation(理解・感謝・賞味)」の考え方は、職場の学習にも応用できるのではないか、と思った。

出所:佐伯胖『「学ぶ」ということの意味』岩波書店
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大智と大悲

鈴木大拙『仏教の大意』(角川ソフィア文庫)によれば、仏教という建築を載せている二つの柱に「大智」と「大悲」があるという。

「智は悲から出るし、悲は智から出ます。元来は一つ物でありますが、分別智の上で話するとき二つの物であるように分かれるのです」(p. 78)

どうも、大智とは論理や知性であり、大悲は感情や感覚のようなものであるらしい。

「大智の面が強調せられると大悲の面が軽視せられるようになり、これを逆にするとまた逆の面が見えるので、人間のやることはいつでも面倒なものです。が、それは十分に気をつけるべきです」(p. 130)

IQとEQのようなものかもしれない。

「日本の仏教では、禅は大智の面、浄土系は大悲の面を代表するといってよかろうと思います」(p. 132)

ということは、自分で悟ること(禅宗)と、仏にすがること(浄土宗)の両方が大事になる、といえる。

人生においても、「自分で考えて行動」しつつ「神を信じて頼る」ことが、幸せにつながるのだろう。



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恩を忘れない

ANA機内誌『翼の王国』の連載記事「おべんとうの時間」が好きである。

今回は岩手県釜石市の職員佐々木さんが紹介されていた。2011年の震災のとき、佐々木さんは避難所の仮設トイレ担当だったという。

「ある時掃除をしていたら、神戸から来た青年が声をかけてくれたんです。自分は阪神・淡路大震災の時に小学生だったんだけど、あの時一番最初に自分の所に助けに来てくれたのが岩手県警だったって言うんですよ。だから岩手で何かあったら、真っ先に行こうと思ってたって。それで警察官になったそうです。それを聞いて、涙流しながら便器の水も流したっていう経験をしましたね」

このエピソードに感動した。

助けてもらった恩は忘れてはいけないな、と感じた。

『翼の王国』(2019年9月号, p. 81)
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