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神が御子を世に遣わされたのは

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである
(ヨハネによる福音書3章16節)

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感謝する力を磨く

先日読んだ『目を閉じて心開いて』から。

著者の三宮さんは、ある少女のエピソードを引用し、次のように述べている。

「カナダだったか、重病に苦しむ少女が毎日「きょうのよかった探し」をして過ごしていたという話を聞いたことがある。そうやって、彼女は病気や運命を恨んだり人に頼ったりすることなく、自分の心を自身の力で健康にたもち、たとえ病気であってもいま生きていることに感謝し続けたのである。言うは易いが、このような状況で同じ気持ちを持続できるかと聞かれたら、私は言葉を失うだろう。だがしかし、嬉しいときに感謝するよりも、このように苦しく希望の光も感じられない暗闇の中でこそ、感謝する力が磨かれ、感謝する気持ちは宝石のごとく輝きをもってくるのではないだろうか」(p.133)

「感謝する力」という言葉が響いた。感謝する力は、もともと備わっているものというよりも、磨き育てていくべき力なのだろう。

出所:三宮麻由子『目を閉じて心開いて』岩波ジュニア新書



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『目を閉じて心開いて』(読書メモ)

三宮麻由子『目を閉じて心開いて:ほんとうの幸せって何だろう』岩波ジュニア新書

四歳の頃に視力を失った麻由子さんは、さまざまな壁にぶつかりながらも挑戦し、今はエッセイストとして活躍している。

彼女は、視力を失った人の家族から相談されることが多いという。そんなとき、次のようにアドバイスするそうだ。

ご自身で、立ち直ろうと決心なさるようお伝え下さい。そうでなければ、どんなにたくさんの言葉で慰めてもらっても、本当に立ち直ることはできません。世の中には、理不尽なことが山ほどあるけれど、それを責めたり嘆いたりしていても、私たちの現実は何も変わらないのです」(p.134)

結局は、本人がどう決意するか次第である。これは何事においても言えることではないか。

最も印象に残ったのは、副題にある「ほんとうの幸せ」についての持論。

「すべての人には、幸福も困難も同じだけ与えられているのではなかろうか。それらの要素を幸福にもっていく力、つまり「幸福力」を磨くことで、人はどんどん心が豊かに満たされていくのかもしれない。こんなふうに偉そうなことを書いているけれど、私はそれに気づくまで、ずいぶん長い時間を費やした。視力を失った衝撃に心の目を奪われて、危うく自分にも幸福が与えられていることを忘れそうになったりもした」(p.171)

自分の幸福力はどうだろうか?

あたり前の事の中に真実が隠されている。それを見つけるのが幸福力なのではないか、と感じた。




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主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる

主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる
(サムエル記上2章7節)
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フィードバックのタイミング

自分の仕事を振り返るとき、上司や先輩から適切なフィードバックがあると、学びが深くなる。

しかし、上司や先輩の側からすると、どのタイミングでフィードバックしたらよいのか迷うことが多いのではないか。よく耳にするのは「その場でフィードバックすべき」という考え方だ。

先日、看護管理者を対象とした研修の中で、興味深い事例を聞くことができた。ある方が、会議でプレゼンテーションをするように依頼されたときのこと。いろいろな人が集まる会合であったため緊張したが無事終了し、手応えもあった。

そして、翌日、上司から良かった点、改善すべき点を指摘され、良い振り返りにつながったという。

この方に「もし、当日にフィードバックをもらっていたらどうでしたか?」と聞いたところ、「当日は興奮状態にあったので、自分の中で振り返ったり、充実感に浸っていたので、あまり響かなかったかもしれない」という答えが返ってきた。

必ずしも、直後のフィードバックが良いとは限らないということだ。

「では、フィードバックが3日後だったらどうでしょうか?」と聞いたところ、「3日後は遅すぎますね。自分も落ち着きをとりもどし、記憶の鮮明な翌日くらいが一番良いかもしれません」という回答だった。

仕事の内容にもよるが、フィードバックは「直後~翌日」くらいのタイミングで提供することがよいのかもしれない、と思った。

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『三文オペラ』(読書メモ)

ブレヒト(谷川道子訳)『三文オペラ』光文社

『ガリレオの生涯』が面白かったので、『三文オペラ』も読んでみた。

19世紀のロンドンで活躍する悪党の親分メッキースが主人公である。警察のボスと幼なじみであるため、なかなか捕まらない。何人もの女性を妻にして、好きなように生きているメッキースは運も良い。

内容的には今ひとつ感じるところがなかったのだが、谷川道子さんの解説を読んでいると、ブレヒトその人がメッキースに似ていることに気づいた。

「共同作業を旨としていたブレヒトの周りには、常にたくさんの男と女の協力者がいた。彼女たちの多くは恋人でもあった。十数年の亡命の旅においても、妻ヴァイゲルは二人の子供を抱えながら、たとえばシュテフィンやベルウラといった女性秘書たちと、妻妾同居的な生活を送らなければならなかった」(p.237)

一夫多妻のメッキースはいろいろな女性に支えられて生きているが、ブレヒトも同じだったのだ。たぶん、自分と重ね合わせながらこの戯曲を書いたのだろう。

あらめて、文学作品とは共同作業の賜物である、と感じた。



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すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです
(ローマの信徒への手紙11章36節)

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『ガリレオの生涯』(読書メモ)

ブレヒト(谷川道子訳)『ガリレオの生涯』光文社古典新訳文庫

ナチスから逃れるために世界を放浪しながら作品を書いたブレヒトの戯曲である。どこまで史実に沿っているかわからないが、ガリレオの人生観・世界観が伝わってきた。

真理を見つけ出すためには、娘の結婚などお構いなしのエゴイスティックなガリレオの姿を見ると、芥川龍之介の『地獄変』に出てくる絵師や、樋口一葉の『うもれ木』の絵付け師を思い出す。とにかく研究第一の「研究バカ」である。

研究者として凄いと感じたのは、弟子達に語る次の一節。

「私の意図は、自分の正しさを証明することではなく、自分が正しかったのかどうかを探ること。いいか、君たちは一切の希望的観測を捨てて、観察にかからなくっちゃいけない。(中略)見つけたいと思っていたものが見つかったときこそ、なおさら疑いの目を向ける。要するに、地球の静止を証明するという厳しい決意をもって、太陽観察にとりかかることだ!」

これはなかなかできないことである。どうしても、自分が見たいものを見てしまうのが研究者のサガである。

ただ、ガリレオは純粋かというとそうでもない。教会からにらまれると、あっさりと地動説を撤回し、陰でこっそりと研究を続ける「したたかさ」もあわせもつ。つまり、自分の発見を世に知らしめることよりも、とにかく「研究がしたい」という人だったようだ。

本書を読み、ガリレオのような情熱をもって仕事をしたい、と感じた。



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主を愛する人は悪を憎む

主を愛する人は悪を憎む
(詩編97章10節)

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『梅棹忠夫:「知の探検家」の思想と生涯』(読書メモ)

山本紀夫『梅棹忠夫:「知の探検家」の思想と生涯』中公新書

さまざまな領域の学問を開拓した梅棹忠夫の生き様を、弟子の山本氏が描いた書である。

理系である生態学から、文系の民族学へと転向し、『文明の生態史観』を唱えた梅棹さんは、国立民族学博物館を設立し、多くの研究者を育てた。ご自身の人生をつぎのように振り返っている。

「わたしはいちおう、生態学が専門ということになっていたが、そんな枠はとっくにこえて、さまざまな学問をまなび、そしてたのしんだ。わたしはこれを「学問の横あるき」と称していた。つぎつぎに横にあるいて、のちには、ついに学問の二大分野である自然科学と人文科学との垣根をもこえて、民族学を専門とするようになってしまった」(p.46)

「学問の横あるき」という言葉が面白い。まさに越境(バウンダリー・クロッシング)である。

梅棹さんを導いたのは何であろうか?それは「未知への探求」である。

「未知のものと接したとき、つかんだときは、しびれるような喜びを感じる。わが生涯をつらぬいて、そういう未知への探求ということが、すべてや。こんなおもしろいことはない」(p.209)

この文章が書かれたのは亡くなる前年である。最後まで「しびれるような喜び」を探し求めていたのだろう。

なお、本書で一番心に残ったのが「梅棹サロン」。

「1960年ごろから、わたしは毎週金曜日の夜にわが家の広間を開放して、わかい友人たちをまねきいれた。メンバーも限定せずに、だれでも歓迎した。かれらと夜おそくまでかたりあうのである。テーマは地球全体から宇宙にまでおよび、自然科学から人文科学、社会科学の全領域にわたった。ごちそうはできないが、ビールとかんたんなおつまみだけを用意した。ビールは飲み放題で、台所の冷蔵庫から勝手にとりだしてきてもよいことにした。このつどいをかれらは「金曜サロン」あるいは「梅棹サロン」と呼んでいた」

「金曜サロンからは、後年多数の人材が輩出した。あるひとはこの金曜サロンを評して「兵をやしなうこと千日」といった。わたしはビールで兵をやしなったつもりは毛頭ないが、たくさんのわかいエネルギーにささえられて、その後のわたしの人生が展開したことはまちがいない」(p.126-127)

「若いひとを育てた」とは言わず「わかいエネルギーにささえられた」と言うところに、梅棹さんが成長し続けた秘密があるような気がした。




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