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空想

画家で絵本作家の安野光雅さんは、空想癖があるらしい。

「偉そうにいうようだが、妄想と空想は違うと考えている。妄想は全く根も葉もないことを想像し、足がかりを事実から離して、しかも空想を事実と混同しはじめることをいう。これに対して空想は事実の世界に足をつけて虚構の世界を空想し、その虚構が本当だったらどうなるだろう、と考えることである。つまり、科学は一見非科学の空想が土壌である。むかし教員だったころ、いわゆる調査の中で、趣味は何かと問われ、「空想」と答えた女の子が一人いた。わたしは同病を一人見つけた」(p.230)

芸術を科学もビジネスも、たぶん空想力が大切なのだろう、と感じた。

出所:安野光雅『絵のある自伝』文藝春秋

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『絵のある自伝』(読書メモ)

安野光雅『絵のある自伝』文藝春秋

心温まる絵本で知られる安野光雅さんの人生を語った書である。題名にあるとおり、本書には昔の思い出がたくさん絵として描かれている。自分の人生を誇ることなく、淡々と昔を振り返っている語りに、人柄が表われている。

約10年間、美術教師として小学校に勤めた後、画家・絵本作家として独立した安野さん。一番心に残ったのは、小学校の運動会の在り方について語った箇所。3月生まれの安野さんは、運動会でいつもビリだったらしいのだが、「競争をなくす」という最近の風潮を批判して次のように述べている。

「このごろ、このビリが哀れだから徒競争をなくそうとか、みんなが一斉に手を繋いでゴールインするという学校も出てきたらしい。ばかばかしいとおもう。「満座の中を照れかくしの笑いを浮かべながらビリを走る」あの、何ともいえぬ屈辱の経験が、得難いものであることを知らないのだ」(p.29-30)

「わたしも、いまなら子どもの前でいうだろう。「このクラスには、早く生まれた者と、遅く生まれた者の間には一年もの違いがある。また太った子もいるし足の悪い子もいるだろう、小学校の間はこの違いは大きい。だから一位になっても得意になるな、ビリでもべそをかくような子ははじめから走るな。君たちを待っている世の中はなんでも競争するようにできているのだ。いいか今一等になるために走るのではないよ、いつか大人になって一等になっても得意ならず、ビリになってもくじけない、プライドを持つ日のために走るのだ」なんと格好のいい演説の空想だろう」(p.30)

安野さんの人生観がよくわかる文である。競争は避けられないが、そんな競争に負けないプライドを持って生きる。それが教育なのではないか、と感じた。

本書の最後には「広告のページ」というのがあって、安野さんが今書いている絵に次のような手書きの文が添えられている。

「この絵は今から四十二年前にかいた井上ひさしさんの『ガリバー』の表紙の原画です。それが今頃になって本棚のおくから出てきたのです。でも 井上さんはもうこの世にいませんでした。それで、もういちどこの絵を出したいと思ったのです。もとは日本リーダーズダイジェスト社から出たのですが絵をみんなかきなおして新しく出すことになりました。今かいています。すぐ出ますのでみて下さい。2011年秋 安野光雅」

ちなみに、安野さんは今85歳である。80歳を過ぎても、情熱を持って何かをやっていたいと思った(そこまで生きていればだけど)。

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見えるものは過ぎ去りますが

見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです
(コリントの信徒への手紙Ⅱ・4章18節)


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「勤勉」と「根性」

小澤征爾さんは、デビュー当時、ベルリンの有名な批評家に「あんた、ほんとにバッハなんかわかるの?」と失礼なことを聞かれたという。ところが、二、三年後に同じ人にあったら、態度がガラリと変わって「もう一度話を聞きたい」とその人の家に招待されたらしい。

そのときを振り返って小澤さんは次のように語っている。

「・・・・・やっぱり勤勉だと思う、たぶん人より僕は。才能とかいうことよりも、勤勉だから。うんと努力するというのは東洋人の美点。特に日本人は根性があるじゃないですか、・・・・・そこには」(p49)

この部分を読み、日本人の強みを再確認できた。もちろん、小澤さんの才能あってのことだろうけども、やはり「勤勉さ」や「根性」という日本人の強みを背負って小澤さんが戦っていたのだろうと感じた。

改めて、われわれ日本人は「勤勉」と「根性」を忘れてはいけない、と感じた。

出所:小澤征爾(語り)有働由美子(インタビュー)『小澤征爾 指揮者を語る』PHP.




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『小澤征爾 指揮者を語る』(読書メモ)

小澤征爾(語り)有働由美子(インタビュー)『小澤征爾 指揮者を語る』PHP

小澤征爾さんが『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)を書いたのは20代後半。そして、本書は小澤さんが73歳のときのインタビューをまとめたものだ。しかし、小澤さんの感性はまったく変わっていないように感じた。

最も印象深かったのは、小澤さんの「個」に対する考え。

「「個」っていうとわかりにくいかもしれないけど、政治でも、音楽でも、商売でも、大きな会社でも、小さな会社でも、でかい国でも、小さい国でも、その政府とか、あるいは会社にいるその人が大事なんですよね。誰がやるのか、が。その人の価値というか、その人の考えが一番大事。たとえ組織の中であっても、その人が何をやるかが大事なことなんですよ、きっと」(p.94)

この箇所を読んで、増田弥生さんの「私から見て「すごい行動をする敬愛すべき人」は、必ずと言っていいほど自分らしさ全開の人たちです」という言葉や、ゴーンさんの「リーダーシップとは、他の人の備え持つ可能性を解放してあげる能力です」という考え方を思い出した。

集団の和を重視する日本であるけれど、歴史を振り返ってみると、やはり「個」が重要な役割を果たしている。今の日本は「個」の力をもっと活用できる社会にならないといけないのではないか、と思った。



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神に従う人は必ず実を結ぶ

神に従う人は必ず実を結ぶ
(詩編58章12節)

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トラとネコ

組織の中には、「与えられた仕事をキッチリこなす」手堅いマネジャーと、「組織や仕事を変えたり、ビジネスを創造する」変革型マネジャーがいる。

はたして変革型マネジャーは育成できるのだろうか?

先日、この点について人事・組織コンサルタントの方と議論していたとき、「われわれの業界では、ネコ(手堅いマネジャー)はトラ(変革型マネジャー)には成れないと言われています」という話を聞いた。

僕もこの考えに同感だし、トラとネコの例えが絶妙だと思った。変革型のマネジャーは、生まれながらトラ(変革者)としての遺伝子を持っているような気がする。そうした遺伝子を持っていない人に変革型マネジャーになれというのも酷な話である。

手堅いマネジャーは、無理してトラになろうとせず、トラのやろうとすることを理解し、協働することが求められるように思う。

組織としては、トラの遺伝子を持っている人を発掘し、彼らが働きやすい環境をつくることが重要になるだろう。つまり、檻から出して野に放してあげることだ。ただ、トラ同士は協力しそうもないので、彼らが連携できる仕組みを作らなければならない。

トラとネコの例えは面白いのだが、よく考えるとネコはまじめに仕事をするイメージがないので、他の例えの方が良いかもしれない。「オオカミとイヌ」という比較もあるが、イヌに例えられたマネジャーは嫌な気持ちになるだろうから、これもイマイチ。現在、ぴったりフィットする例えを考え中である。




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『ゴーン道場』(読書メモ)

カルロス・ゴーン『ゴーン道場』朝日新書

朝日新聞のコラムで1年間紹介されたコラムをまとめたもの。さまざまな質問にゴーンさんが答える形式である。経営のことだけでなく、子育てや学校教育などさまざまなテーマを扱っている。

期待していた「深み」は感じられなかったものの、全ての質問にコンパクトかつ明確に答えているのはさすがである。「うーん」「難しい質問だね」などと言わず、「それはこうです」とキッパリ自分の考えを述べているのだ。

本書で最も心に響いたのは「リーダーシップとは何か?」という問いについてのゴーンさんの考え方。

「リーダーシップとは、他の人の備え持つ可能性を解放してあげる能力です。他の人が自分で可能だと思う、それ以上のものを達成させる。その手伝いをすることなのです」(p.121)

人々の潜在的な能力を解放し、仕事を通して成長を支援する。それがリーダーシップなのである。

この考え方に触れて、「リーダーシップ」と「育成」がつながった気がした。

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今泣いている人々は、幸いである

今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。
(ルカによる福音書6章21節)

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単語を覚える

哲学者・木田元さんの語学勉強法の続きである。

木田さんは、ドイツ語・フランス語・ギリシャ語・ラテン語などを習得する際、まず文法を頭に叩き込み、単語を片っ端から覚え、実際に原書をガンガン読んでいくという。このなかでも強調されるのが単語である。

「いちばんの基本は単語をおぼえることです。単語を知っていれば何とかなります」(p.87)

では、どのように単語を覚えるのか?

「単語をおぼえるにはコツがあります。たとえば単語帳で1日に四ページずつおぼえるとします。日本語の訳語をみて英語を書いてゆく。間違えたものには印をつける。間違えばそれだけもう一度繰りかえす。いちおう全部できるようになるまでやる。二日目は一日目の四ページを復習してから、その日の分を同じようにして覚える。三日目は、それまでの八ページ分をやってからその日の分をやる。三日くらいやると、最初の日の分はほとんど間違わなくなるものです。五日やったら最初の一日目の分ははずします。そうしてどんどんやっていきます。ただし、毎日やらないと駄目です。昨日のことは覚えていても、一昨日のことは忘れるものです。あまり忘れるといやになってやめることになります。どんな人でも五日間つづけて見たものは覚えるものです。特に記憶力がよくなくても、このやり方でやれば覚えられます。ただし、時間はかかります。しかし、毎日つづけていると面白くなってきて、あまり苦になりません」(p.87-88)

シンプルなやり方であるが、かなり効果的だ。1日に50~60語覚えたとしても3か月続ければ5000語はマスターできることになる。しかも、木田さんいわく「語学をやると精神も安定してくる」らしい。

ただ、単なる受験勉強と違うのは、木田さんの場合「哲学の原書を読む」という明確な目標があったことだ。現に、短期間で単語を覚えたら、すぐに哲学書を読むわけだから、覚えた単語が身体に滲み込むのもはやいだろう。

なんだか単語を覚えたくなってきた。

出所:木田元『闇屋になりそこねた哲学者』ちくま学芸文庫



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