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わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す
(イザヤ書46章4節)
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新著を出版いたしました

私事で恐縮ですが、『成長する管理職:優れたマネジャーはいかに経験から学んでいるのか』という本を東洋経済新報社さんから出版いたしました。

これまで経験学習を研究してきましたが、管理職の成長プロセスの解明に取り組んだのは今回が初めてです。この本では、日本企業12社の課長・部長のデータをもとに、次の問いを検討しています。

どのような経験が、いかなる能力を高めるのか?」
経験はいかなる要因によって決定されるのだろうか?」

ミドルマネジャーにとって厳しい世の中だからこそ、マネジャーが成長するメカニズムを理解した上で、仕事をしたり、育成することが大切になるという点が執筆の動機です。

この本は、現在ミドルマネジャーとして働いている方や人事担当者の方々だけでなく、これから管理職になる若手・中堅の方にも読んでいただければと思います。なぜなら、本書の分析において、管理職になる前の経験も大切になることが分かったからです。

手にとっていただけますと幸いです。
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『美しい日本の私』(読書メモ)

川端康成『美しい日本の私』講談社現代新書

川端康成がノーベル文学賞を受賞したときの記念講演である。

本文の前に、講演の草稿(写真)が載っているのだが、当初の題は「日本の美と私」であったようだ。それが「美しい日本の私」と直されている。まず、このタイトルが美しい。

日本の美が禅の思想と深く結びついていることを、茶道、華道、平安文学を交えて語っているのだが、ちょっと難解である。しかし、もう一度読んでみると、心に響いてくるものがあった。

まず冒頭に引用されている道元禅師の歌が良い。

春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり

自然に没入し、自然と合一することができるところに、日本人の美がある。「我」をなくして「無」になるとき、人は無尽蔵の心の宇宙とつながることができるという。

われわれ日本人には、自然を感じ取る繊細さがあることを、改めて理解できた。

しかし、本書を読み終えて、日本人の持つ感受性が失われつつあるのではないか、とも感じた。
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光の子として歩みなさい

光の子として歩みなさい
(エフェソの信徒への手紙5章8節)
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いいお客さんに鍛えられる

ANAの機内誌『翼の王国』に、神保町の古本屋さんの記事が載っていた。

江戸時代の和本を全て揃えている「大屋書房」と並んで紹介されていたのは、ファッション、サブカルチャー、アート関連の雑誌1万冊を扱う「magnif」。

「既存のライバル店の多い神保町になぜ出店を?」というライターさんの問いに、店主の中武さんは次のように答えている。

「神保町は僕にとっては『本のデパート』みたいな感覚。いいお客さんがたくさん集まってくる、勉強させてもらえる場所だから

営業の世界では、お客さんに育ててもらう、という言葉を聞くが、これはすべての商売について言えるような気がする。

「いいお客さん」と出会い、鍛えられることで人は成長するのだろう。

出所:翼の王国528号(2013年6月号), p.49
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『野心のすすめ』(読書メモ)

林真理子『野心のすすめ』講談社現代新書

作家の林真理子さんは、「運、努力、野心」の関係について次のように語っている。

「運と努力の関係とは面白いものです。自分でちゃんと努力をして、野心と努力が上手く回ってくると、運という大きな輪がガラガラと回り始めるのです。一度、野心と努力のコツをつかむと、生き方も人生もガラッと変わってくる」(p.63)

「努力×野心→運」ということだろうか。

ちなみに、健全な野心とは、野心と努力がうまくかみ合った状態をいうらしい。

「「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります。野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。前輪と後輪のどちらかだけでは車は進んで行けません。野心と努力、両方のバランスがうまくとれて進んでいるときこそ、健全な野心といえるのです」(p.31)

しかし、ここでいう野心とはどうも「人に認められたいという気持ち」のようだ。こうした野心で、どこまで成長できるのだろうか。と思っていたら、林さんは次のように語っている。

「年齢を重ねていくと、野心の飼いならし方もだんだんわかってきます。他人のことは気にならなくなってくる。ひたすら自分の中に向かってくるんです。もっと良い仕事をしたいということだけになり、野心が研ぎ澄まされていくわけですが、自分との戦いほど辛いことはない。しかし、若いうちから野心を持って訓練していれば、その辛さに立ち向かえる強さも鍛えられているはずです」(p.181)

この変化は、目標のあり方が、他者に認められることを重視する「業績志向」から、能力を高めることを重視する「学習志向」へと変わったことを意味している。

野心の質も変化する、といえるかもしれない。
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わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである
(マルコによる福音書2章17節)

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反対意見を大切にする

湯浅誠さんは、ホームレス支援などの反貧困の問題と戦ってきた市民運動家である。

運動家であるがゆえに反貧困に向かって突き進んできた湯浅さんだが、ある経験をきっかけに考え方が変わったらしい。その経験とは、内閣府参与として国の立場で働いた2年間である。

「参与の経験が大きかったのは、自分とは異なる反対意見に直面したことでした。もちろん、それまでも反対意見に出くわすことはありましたが、民間の活動は基本的に寄付者も含め賛同者だけで運営されるので、つまるところ自分たちの活動とは直接関係なかった。ところが、公的な政策づくりの場合は、反対意見の人の税金も使うわけだから、いかに意見を調整して合意を取りながら1歩でも半歩でも前に進めるかということが課題になる」(p.16)

本気で問題を解決しようとしたら、「俺の言うことを聞け」と主張するだけでなく、反対している人の意見を真摯に聞いて対話していかねければならない。それが民主主義である、と湯浅さんは言う。

「そもそも民主主義というのは、おそろしく面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れるものだということを直視するところから始める必要があると思うんです」(p.17)

我々は、何かを変えようとするときに、反対する人々のことを「抵抗勢力」と位置づけて、「困った人たち」と思いがちである。しかし、それはよく考えると危険な思考なのかもしれない。反対意見の立場に立って、粘り強く対話することが制度的なイノベーションにつながるのだろう。

反対意見を大切にすることを忘れてはいけない、と思った。

出所:ビッグイシュー日本版216号(2013.6.1)p.16-17.



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『宴のあと』(読書メモ)

三島由紀夫『宴のあと』新潮文庫

60歳を過ぎた元大臣の野口雄賢は、高級料亭で開かれた元政治家や元外交官の集まりに出席していた。だが、話題は昔の武勇伝や自慢話ばかり。そのとき、雄賢が放った一言がカッコイイ。

もう過去の話はよしにしようよ。われわれはまだ若いんだから」(p.19)

この言葉に、料亭の女将「かづ」は惚れてしまう。

独身同士だったこともあり、雄賢とかづは付き合うようになり結婚する。そんな中、雄賢が都知事選に出馬することになり、バイタリティあふれるかづは、なりふりかまわずあらゆる手を使って夫の選挙応援に邁進する。自身が持っていた高級料亭も売っぱらってしまったほどだ。

結局、雄賢は選挙で敗北し、引退を決意する。

「これでもう僕は政治はやらんよ。一生二度と政治はやらん。いろんな理想もあったが、それも勝った上でのことだ。お前にも苦労をかけた。実に苦労をかけたが、これからは世間の片隅に、恩給だけで小さく暮らして行こう。じじばばで暮らして行こうや」(p.196)

もう隠居モードである。しかし、かづはそんな負け犬と結婚した覚えはない。料亭再開を目指し再び活動するものの、雄賢にバレて離婚されてしまう。

しょせん、雄賢は猫。かづは虎だったのだ。

ネコが虎にたてついてもかなわない。虎として生まれた人は、虎としての人生を全うするのである。本書を読み、虎と結婚した猫は、虎の邪魔をしてはいけない、と思った。
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神は人の歩む道に目を注ぎ

神は人の歩む道に目を注ぎ その一歩一歩を見ておられる
(ヨブ記34章21節)

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