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成長プロセスの共通性

『医療プロフェッショナルの経験学習』を編集していて面白かったことは、大きな視点で見ると、医療でも、民間企業でも、プロフェッショナルへの成長プロセスは共通していた、ということ。

最初の10年間において「鍵となる経験」から基盤となる能力を身につけ
11年目以降に、「挑戦的な経験」を通して自身の能力に磨きをかける
という点は、医療技術者、営業担当者、IT技術者、企業管理職に共通して見られる特徴である。

なお、他者からの学びについては、次の3パターンが見られた。
1対1の指導(徒弟的学習)
集団における学び合い(集団的学習)
組織を越えた学び合い(ネットワーク学習)

例えば、医師は「1対1の徒弟的関係」から学ぶ傾向があり、看護師や放射線技師は「集団(職場)における学び合い」によって成長し、職場に同職種がいない保健師は、「組織を越えた学び合い」の場が重要な役割を果たしていた。なお、ベテランになるにつれて「組織を越えた学び合い」が成長の源泉となる傾向が見られた。

「役割」「勤務状況」「キャリア段階」によって、他者からの学び方が異なるが、こうしたプロセスは、民間企業においても見られる特徴である。

つまり、大きくとらえると「プロフェッショナルの成長プロセス」には共通性があり、細かく見ると職種毎の違いが見られる、といえる。

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神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました

神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました
(使徒言行録10章34節)

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新刊のご案内『医療プロフェッショナルの経験学習』

この度、同文館出版より『医療プロフェッショナルの経験学習』を出版することができました。

本書は、12名の研究者の方々とともに書いたもので、看護師・保健師・薬剤師・診療放射線技師・救急救命士・病院事務職員・救急救命医師・公衆衛生医師の成長プロセスを、「経験学習」という切り口から分析しています(第9章には、病院長がいかに組織をマネジメントしているかについての研究も収められています)。

本書の基本的な問いは「各分野の医療プロフェッショナルは、キャリアの各段階で、どのような経験から、いかなる能力を獲得しているのか」というものです。

分析の結果、大まかな発見としては、次の2点が明らかになりました。

(共通点)各プロフェッショナルは、キャリア初期(最初の10年間)において、「カギとなる経験」をとおして基盤となる能力を身につけ、キャリア後期(11年目以降)に、「挑戦的な経験」をとおして学習を深めていた。

(相違点)ただし、キャリア初期における「カギとなる経験」、およびキャリア後期における「学習課題」は、職種によって異なっていた。

つまり、就職してから最初の10年でプロとしての基礎をつくり、11年目以降にプロとしての能力を深めている点は、職種が違っても同じなのですが、最初の10年に積むべき経験の内容や、11年目以降に直面する課題は職種によって異なっていました。

医療職の方は、本書を読むことで、他の医療職がどのように成長するかを知ることができ、より質の高いチーム医療を実践できるようになると思います。医療職ではない方は、本書を通して医療の深い世界を知ることができるでしょう。

各章には必ずインタビューデータが含まれていますので、その部分を読むだけでも、深く広い医療の世界を味わうことができると思います。是非ご一読ください。

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『スティーブ・ジョブズ』(映画メモ)

『スティーブ・ジョブズ』(2015年、ダニー・ボイル監督)

才能はあるが、自己中心的で専制的なジョブズをリアルに感じることができて面白かった。

IBMが思いつきそうなことをやる気はない
相手より上手くやるんじゃない、相手とは違ったやりかたをするんだ
得意なことに専念して、それ以外は捨て去る
という言葉が心に残った。

自分の思いに執着して暴走するジョブズに対し、盟友ウォズニアックが諭す場面が印象的である。

お前に見えているのはお前自身だ

この映画を観て、オタクで人間味あふれるウォズニアックのファンになった。

なお、ジョブズは、カール・マルクスとかなり似ていることに気付いた。何かを生み出す人は、自己中心的かつ専制的なのかもしれない。





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恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。

恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。
(創世記26章24節)

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『ティファニーで朝食を』(読書メモ)

トルーマン・カポーティ(村上春樹訳)『ティファニーで朝食を』新潮文庫

表題作の他に、「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」が収められているが、どの小説も雰囲気が異なり、同じ作者が書いたとは思えないほどのバリエーションである。

「ティファニーで朝食を」のヒロインであるホリー・ゴライトリーは、いろいろな男に貢がせて生活している新人女優(映画の仕事はほとんどしていない)。同じアパートに住む作家志望の「僕」はホリーに憧れるが、まともに相手にはされていない様子。

カポーティが若い頃の経験をベースに書かれている本作は、軽妙な語りの中にも味がある作品である。ちなみに、訳者の村上春樹さんも指摘しているように、ホリーのイメージはオードリー・ヘップバーンとはかなり異なる。

本書の中で最も良かった作品は、6歳の僕と60歳の従妹の交流を描いた「クリスマスの思い出」。以前読んだときにも感動したが、今回もジーンときた。親戚をたらいまわしにされて育ったカポーティの少年時代の経験に基づいているだけあって、年齢を超えた友情が伝わってきた。

なお、カポーティファンである村上春樹さんの「訳者あとがき」も面白かった。



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承認と創造

アメリカを代表する詩人エミリ・ディキンソンが、生きている間に発表した詩はたったの10篇である。

彼女が55歳で亡くなった後、整理ダンスの中から千を超える詩が見つかり、それらが詩集として発表されることになる。

解説によると、エミリには「認められたい」という欲求がまったくなかったわけではないようだ。32歳のころに、自分の作品を批評家ヒギンソンに送り「お忙しいとは存じますが、私の詩が生きているかどうかお教え願えないでしょうか」という手紙を出しているからだ。

しかし、エミリの詩が独特であったため、批評家の評価はかんばしくなかったらしい。彼女は次のような手紙を残している。

「もし名声が私に属するものなら、逃れることはできないでしょう。もしそうでないなら、長い日が私を追い越していくでしょう。そして私の犬でさえも、私を承認しないで見捨てるでしょう。それなら、素足の地位の方がよいのです」(p. 12-13)

その後、彼女は自分の詩を一切発表しようとせずに、自宅に引きこもって詩を書き続ける。もし32歳のときに批評家に認められていたら、エミリがアメリカを代表する詩人になることはなかったかもしれない。

認められないことが創造性を生むこともあるのだな、と感じた。

出所:『対訳ディキンソン詩集』(亀井俊介編)岩波文庫





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『マルクス・エンゲルス』(映画メモ)


『マルクス・エンゲルス』(2017年、ラウル・ペック監督)

科学的社会主義を提唱したカール・マルクスと、その盟友フリードリヒ・エンゲルスの若き日を描いた映画。

主義として賛同しているわけではないが、彼らの活動に感動した。なぜなら、社会のことを真剣に考えているからである。

万国のプロレタリアよ、団結せよ」という場面はグッときた。

印象的だったのは、マルクスが工場経営者と話すシーン。

「なぜ子供の労働者を雇うのか?」という問いに対して、「コスト競争に勝つためには、低賃金の子供を雇わざるをえない」と答える工場経営者。競争に勝つために、非正規社員・職員を雇う日本の企業や公的組織と構造的には同じである。

個人も組織も、生き残るためには競争が不可避であるが、その戦い方を考えなければならないと感じた。

なお、マルクスはエンゲルスの資金的支援を得ながら活動していたが、エンゲルスは工場経営者の息子である。ブルジョアの支援をうけながら、プロレタリアのために働いていたことは皮肉だなと思った。












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この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました

この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました
(Ⅰコリント1章28節)
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こうありたいという気持ち

友情や家庭愛などヒューマニズムに満ち溢れている『ヒューマン・コメディ』だが、解説を読み少し驚いた。

なぜなら、作者のサローヤンは、家庭内暴力をふるい、離婚を繰り返し、賭博癖があった人物だからである。

訳者の小川さんは次のように述べている。

「彼の代表作とされる初期作品の多くが示すのは、純粋無垢な少年像であれ、愛に満ちた家庭像であれ、思い出というよりは見果てぬ夢の結晶であり、実人生の欠落をおぎなう想像力によってこそ像を結ぶ抒情的陰画なのである」(p.344)

これは研究者についてもいえる。

顧客志向のない人がマーケティングを研究し、人材育成が苦手な人が人材育成を研究するケースもあるからだ。

自分ではできないが「こうありたい」という気持ちが創造の源になることもあるのだろう。


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