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『思い出を切り抜くとき』(読書メモ)

萩尾望都『思い出を切り抜くとき』河出文庫

少女マンガ界の巨匠・萩尾望都さんのエッセイ。

1970年後半から80年前半に書かれたものだが、萩尾さんいわく「今の私はというと、実はあんまり変わっていないので困ったものです」とのこと。

最も印象に残ったのは、マンガ教室の講師として教えたときのエピソード。

「鈴木光明先生のマンガ教室に毎年、とりあえず講師として一、二度出席するのだが、行くつど教えることは困難だと実感する。こういう表現の形態について、描き方について教えられることはほぼ表面的な技巧面が主だし、なぜ表現するのかという肝心な、そしてもっとも大切なことは、もう教える、教えないの域をこえてしまう。あとは各自が知るのを気づくのを、補助するぐらいの役割しか出来ない」(p.46)

うーん、深い。

たしかに「なぜ表現するのか」という点は、もっとも大事なことなのに、教えることが難しい事柄である。

何かを造り上げることの根本は「思い」であることに気づかされた。

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「守」と「破・離」の同時並行

書家で現代アーティストでもある柿沼康二さんが作品を生み出す方法が面白い。

ます、自分を極限に追い込むために10kmのランニングに臨む。その走り方が半端ではなく、めちゃくちゃに走るらしい。走っている間に、何度も頭のなかで書をイメージする。これを「空書」という。そしてアトリエに戻ると、爆音で流すロックをBGMに、走りながら繰り返した「空書」を実践するのだ。

ここまでは現代アーティストらしい作品の作り方である。

しかし、柿沼さんは同時に、空海に代表される書聖たちが残した古典をひたすら書き写す「臨書」を、一日平均5時間、長いときには10時間以上毎日繰り返す。

先人に学びながら、自身のオリジナルな作品づくりに励む姿は、まさに「守・破・離」である。しかし、普通は「守」の段階が終わって「破・離」に移ると、「守」の修行はしないものなのに、「守」と「破・離」を同時並行しているところが一味違うと思った。

最近、この「臨書」のあり方も「字として残る”形”ではなく、その形を生み出した”動き”を、より追求するようになった」という。

先人が残した作品の背後にある「思い」を学び、それを自分の作品づくりのエネルギーにしている柿沼さんの姿に、伝統芸術と現代芸術の融合者を見た。

出所:Partner 2014 June,p11-12.

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父がお与えになった杯は、飲むべきではないか

父がお与えになった杯は、飲むべきではないか
(ヨハネによる福音書18章11節)

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この世のものとは思えない至福のとき

1930年頃の飛行機のコックピットは無蓋であったため、操縦士と通信士は筆談で会話を交わしていたようだ。

前回紹介した『夜間飛行』の中から、主人公たちが嵐の乱気流から抜け出た場面を紹介したい。なお、この飛行機は燃料切れのため、もうすぐ墜落してしまう運命にある(ちなみに、これから本書を読む予定の方には、以下を読まないことをお薦めしたい。クライマックスの描写なので・・・)。

「うしろを振りむいたファビアンは通信士が微笑しているのを見た。「状況改善!」と相手は声を上げた。しかしその声は機体の駆動音にまぎれてしまい、二人がわかち合えたのは微笑だけだった。「われながら頭がおかしいな」とファビアンは思った。「笑うなんて。二人とも、もう終わりなのに」それでも、ずっと彼をとらえていた無数の暗い腕から解放されたのは確かだった。ひととき花畑を歩くことがゆるされた囚人のように、縄は解かれていた。「美ししぎる」とファビアンは思った。彼は星々が宝のようにびっしりと煌めくなかをさまよっていた。そこはファビアンと通信士のほかには誰もいない世界、まちがいなく誰ひとり生きていない世界だった

たぶん、作者のサン=テグジュペリも経験した情景なのだろう。

この世のものとは思えない至福のときを味わった二人は幸せだったに違いない。

出所:サン=テグジュペリ(二木麻里訳)『夜間飛行』光文社古典新訳文庫

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『夜間飛行』(読書メモ)

サン=テグジュペリ(二木麻里訳)『夜間飛行』光文社古典新訳文庫

星の王子さま」で有名なサン=テグジュペリの作品。自身のパイロット経験をもとにした珠玉の一品である。

当時(1930年頃)の飛行機は性能が良くなかったために悪天候による墜落が多かったようだ。本書からは、危険を顧みず、命をかけて郵便物を運ぶパイロットのプロフェッショナリズムが伝わってくる。

なんといっても、操縦士から見た情景の描写がすごい。クライマックスの場面で、悪天候でもみくちゃにされる飛行機が、一瞬だけ乱気流から抜け出す瞬間がある。

「浮かび上がった瞬間から、郵便機は異様なほど静謐な世界のなかにあった。静けさをかき乱すひと筋のうねりさえなかった。突堤を通り抜けて湾に入ったはしけ船のように、慎み深く鎮まった水域に浮かんでいたのだ。飛行機は、空のなかの誰も知らない隠された場所に入り込んでいる。そこは至福に満ちた島々のひそかな入り江に似ていた」(p.107)

「生死のはざまの不思議な異界にたどりついてしまったとファビアンは思った。自分の両手も、着ているものも、飛行機の翼も、なにもかも光り輝いている。しかもその光は上空からではなく、下のほうから、周囲に積もっている白い雲から射してきていた」(p.107)

死を目前にしているにもかかわらず、郵便機パイロットしか知り得ない美しい世界に出会った主人公の喜びが伝わってくる。その職業でしか知り得ない歓喜の瞬間というものがあるのだな、と思った。

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主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます

主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます
(歴代誌下14章10節)

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自分を殺して仕える人々

引き続き『華岡青洲の妻』より。

世界初の全身麻酔による手術を成功させた青洲の業績は、シカゴにある国際外科学会でも讃えられているという。

この業績をサポートしたのが、妻・加恵と母・於継であることはすでに述べたとおりである。

しかし、本書を読むと、嫁にも行かずに華岡家に仕えた小姑の「於勝」と「小陸」の働きが大きいことがわかる。

京都で修行している青洲の学費を稼ぐために二人は機織りをし、青洲が帰ってきてからは家事を一手に引き受けた。そして、二人とも若くして癌のため亡くなってしまう。まさに「滅私」の精神で兄を支えたのだ。

大きな業績を上げる人の背後には、自分を殺して仕える人々が存在する、と感じた。

出所:有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文庫
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『華岡青洲の妻』(読書メモ)

有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文庫

有吉さんの筆力に圧倒され、冒頭からぐいぐいと引き込まれた。

華岡青洲とは、幕末の紀州にて、全身麻酔による乳がん手術を世界で初めて成功させた外科医である。本書は、この青洲の「妻」と「母」の骨肉の争いを描いた名作だ。

乳がんを手術するには全身麻酔が欠かせない。しかし、当時は全身麻酔などなかった。そこで、青洲は、漢方薬をもとに「通仙散」と呼ばれる麻酔薬を作ろうとする。そのための人体実験に参加したのが青洲の妻・加恵と母・於継である。

嫁入り当初は優しさに満ちていた於継だったが、青洲が修行から帰ってくると露骨に加恵をいじめ抜く(ただし、一見仲良く見せながら)。

なぜか?

息子の愛を独り占めしたいからである。いじめに対抗して踏ん張る加恵。こうした嫁・姑の争いがリアルに描かれている。ちなみに、二人が「通仙散」の実験に参加したのもバトルの一部である。

この実験の後遺症で失明してしまう加恵だが、そのかいもあって通仙散は完成する。母・於継が亡くなった後の、小姑・小陸と加恵の会話が印象的だ。

「私は見てましたえ。お母はんと、嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。なんという怖ろしい間柄やろうと思うてましたのよし」(p.215)

「お母はんを賢い方や立派な方やったと私は心底から思うてますよし。泥沼やなどと、滅相もない」(p.216)

「そう思うてなさるのは、嫂さんが勝ったからやわ」(p.217)

「通仙散」という画期的イノベーションが生まれるためには、青洲の努力だけでなく、ドロドロの家庭内競争も関係していたといえる。よく「内助の功」というが、「内助の功をめぐる争い」も多いのかもしれない。










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およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです
(ヘブライ人への手紙12章11節)

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人を生き生きとさせる組織

神戸工業高校の教師であった南悟先生によれば、夜間定時制高校には、不登校やひきこもりの生徒を立ち直させる力があるという。

なぜか?

それは、次のような特色があるからだ。

働きながら学ぶ学校であること
多様な生徒が学んでいること
③一人ひとりの個性が尊重されていること
④生徒たちによる励ましや支えあう関係があること

これらは、良い職場の条件でもあることがわかる。

学校でも会社でも、人を生き生きとさせる組織の特徴は同じなのだな、と感じた。

出所:南悟『生きていくための短歌』岩波ジュニア新書
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