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その人らしく生きる

『あちゃらかぱい』に土屋伍一という芸人さんが出てくる。彼の最後がまた芸人らしい。

「それから一年ほどして、伍一が本当に死んだ。いつも「天涯孤独」といっていて、事実一人身だった伍一が、弟の二三男の家で、故郷からきた親族たちにぐるりととりかこまれて逝ったという。逝く少し前に、辞世の句を書いた。― 古池やターザン飛びこみワニ怒る「あの抽出(ひきだし)に遺産が入っているから、俺が死んだら皆で分けてくれ」といった。死後、皆でその抽出をあけてみると、太田胃酸が入っていた」(p.165)

その人らしく生きることが一番なのかもしれない。

出所:色川武大『あちゃらかぱい』河出文庫
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色川武大『あちゃらかばい』(読書メモ)

色川武大『あちゃらかばい』河出文庫

戦前・戦後の浅草で活躍した芸人たちの生き方を描いたのが本書。

土屋伍一、鈴木桂介、林葉三、清水金一など、ビッグではないが個性派芸人に着目しているところが渋い。実際にはエッセイなのだろうが、ほとんど小説のようである。

小学校の頃から色川さんは学校をさぼって浅草をうろついていた。なぜか?

「どうして、あんなに頻々と学校を無断欠席していたのか。その点を記さないと、私と浅草の関係が説明しにくい。筋道立っていえることでもないけれど、ひとつの理由は、私の頭の形が異様にいびつだったことによるだろう。私は出産時、鉗子という、器具を使ってひっぱりだす処置をとる必要があったらしく、多分その影響だろう」(p.185)

「幼稚園も小学校も、地獄だった。孤立を鎧にしなければ居たたまれなかった。しかし、皆と同じことを強要される瞬間がある。私は皆と競って手を上げることすらできない」(p.186)

「学校を足蹴にし、学業を無視した。が、それは同時に、自分の将来を足蹴にし、無視することなのだと気づかざるをえない。だから重苦しい。私は十歳で世捨人の気分であり、その不安と戦うことで精一杯だった」(p.186)

そんな状態で、浅草を発見した。はじめて父親に連れていって貰ったとき、本能的に何かを直観した。不具ではないが、奇形の巷だと思った。私は水が低きにながれるように浅草を求めた」(p.187)

強い劣等感をもっていた色川さんが、自身と同一視できたのが浅草だったのだ。実はこのときの体験が色川さんの自信にもなっている。

「けれどもその私が唯一、よりどころにしているのは、自分は小さい頃からグレていたんだ、という矜持である。他人が学校へ行って勉強しているとき、俺は各種の個人芸を専門に見、遊びの表裏を見て育った。大きな能力を隅々まで理解することは或いはできないかもしれないが、贋物にまどわされないだけの年期は入っている」(p.67)

本書に出てくる登場人物たちは、どこか危なげで不安定な人たちなのだが、その人しか発揮できない魅力も備えている。同様に、色川さんの作品群も色川さんしか書けないものばかりである。

私たちも、それぞれの「浅草」を持っているのだろう。


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およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです
(ヘブライ人への手紙12章11節)

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少しだけ無理をしてみる

『少しだけ、無理をして生きる』(新潮社)の中で、城山三郎さんは、次のように語っている。

少しだけ無理をしてみる―これは作家に限らず、あらゆる仕事に通用するテーゼじゃないでしょうか。自分を壊すほどの激しい無理をするのではなく、少しだけ無理をして生きることで、やがて大きな実りをもたらしてくれる。知らず知らずのうちに、元の自分では考えられないほど、遠くまで行けるかもしれない。自分の世界が思わぬ広がりと深みを持てるかもしれない。仕事のみならず、人生全般についても言えることかもしれません」(p.86-87)

熟達研究においても、「適度な難易度の課題に取り組む」ことが重要であるとされているが、「少しだけ無理をする」という言い方がいい。

たぶん、「少しだけ無理をし続ける」ことが大事なのだろう。気が付いたら「こんなところまで来ていた」と思えるようになりたいと感じた。

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『少しだけ、無理をして生きる』(読書メモ)

城山三郎『少しだけ、無理をして生きる』新潮文庫

今まで読んだ城山さんのエッセイはやや硬かったが、本書はとても迫力があった。たぶん、講演録を基にしているからだろう。

本書では、渋沢栄一、広田弘毅、浜口雄幸、田中正造の生きざまについて語られているのだが、心打たれる話ばかりである。

中でも印象深かったのは、『落日燃ゆ』で描かれた元総理大臣・広田弘毅の章。東京裁判で戦犯となり死刑になった人だ。

「ほとんどの人が広田さんは無罪になるだろうと見ていたのに、判決は死刑でした。キーナン首席検事までが、「何という莫迦げた判決か」と言っているくらいです。みんな懸命になって偽証もしよう、保身を図ろうという証言台にすら立たないのだから、死刑を覚悟していたとしか思えない。でも、広田さんは自分が死刑になることで天皇をかばおうとした。そうすることで、いわば戦後日本の出発を、一身に引き受けようとしていた」(p.115-116)

保身に走る政治家が多いなかで、日本のために死んだ広田さんの中に真の政治家の姿を見た。

『落日燃ゆ』は読んでいないので、さっそく買おうと思った。


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人は力によって勝つのではない

人は力によって勝つのではない
(サムエル記上2章9節)


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リフレクション手段としての坐禅

ふたたび横尾さんの本から。

松原哲明老師との対話の中で、横尾さんは次のように語っている。

「松原:横尾さんの場合は今のところ坐禅を選んでらっしゃるわけだけれど、坐禅をする前とした後でいちばん感じることは何ですか。

横尾:それまでは自分が欲望を持ちすぎていたということですね。自分が自分がっていう第一人称が先に立って、相手の尊敬や人格を無視して、自分の損得を考えていた。そのためにそれが満たされないと腹が立つ。そこに気がついてきたんですね。」

この体験があれば、たとえ悟ることができなくとも、坐禅の意味があるように思う。

坐禅は優れたリフレクションの手段であると感じた。

出所:横尾忠則『坐禅は心の安楽死:ぼくの坐禅修行記』平凡社
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『坐禅は心の安楽死:ぼくの坐禅修行記』(読書メモ)

横尾忠則『坐禅は心の安楽死:ぼくの坐禅修行記』平凡社

アーティストの横尾忠則
さんは、30代の頃(今から40年ほど前)、1年間坐禅修行を行っていたころがあった(今はやっていないらしい)。その体験記が本書である。

まず驚かされるのはお寺の坐禅修行は軍隊のように厳しいということ。僕などは、絶対に参加したくないと思ってしまった。

ただし、本書はとても楽しく読める体験記であると同時に、哲学書でもあるということだ。横尾さんの思考の深さに驚いた。

この本のキーワードは、竜泉寺住職の井上義衍老師の「人間は本来悟っている存在」という言葉であろう。横尾さんはいう。

「悟りとはゴムマリに針のような小さな穴をあけて、ゴムマリの内側をつまんでひょいと内側をそのまま外側にしてしまうようなものかもしれない。これと同じように人間のどこか一カ所に針の穴をあけて、そこから中身をつまみだして、裏返せばいいのだ。その針の役目をするのが坐禅であろう。すでにわれわれの中身は悟っているのだ。ところが知識や、教養や、自分勝手な経験にたよったり、情報によって観念に支配されており、いつの間にか内側に通ずる皮膚の表面が鰐の背のように硬くなってしまっている。容易に穴があくものではない」(p.167-168)

人間は生まれたときには宇宙や神様とつながっているが、大きくなるにつれて、その感覚が失われてしまう。それを思い出すのが坐禅であるという。

個人的に響いた言葉は、永平寺東京別院の田中真海師が言われた「宇宙とぶっ続きの坐禅」。

本来、宇宙とぶっ続きであるはずなのに、それを邪魔している執着・欲望・こだわりがある。それを取り除くのが坐禅である。

宗教によって異なるが、坐禅の機能を果たすのが「祈り」なのかもしれない、と思った。

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わたしたちは、神にはありのままに知られています

わたしたちは、神にはありのままに知られています
(コリントの信徒への手紙Ⅱ・11章)

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男女平等

スウェーデンは、男女平等意識の高い国で有名であるが、完全に平等ではないようだ。

三瓶さんの本によれば、スウェーデンの男女の家事分担率は次の通り。

1990年 女性62% 男性38%
2000年 女性60% 男性40%
2010年 女性56% 男性44%


やはり女性の負担が高いのだ。ただし、徐々に男性の家事分担率が高くなっているのはさすがである。

自分も含めて、日本の男女平等の意識を高める必要があると感じた。

出所:三瓶恵子『人を見捨てない国、スウェーデン』岩波ジュニア文庫
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