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神はおのおのの行いに従ってお報いになります

神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
(ローマ人への手紙2章6節)
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没頭させる雰囲気

福沢諭吉が、大阪の適塾(緒方洪庵の塾)で書生をしていたときのエピソード。

塾はバンカラの気風だったため、塾生はいろいろと暴れまくっていたようだが、勉強はとことんしていたという

あるとき諭吉が自分の枕を探していたのだが、見つからない。

なぜか?

「これまで倉屋敷に一年ばかりいたがついぞ枕をしたことがない、というのは時は何時でも構わぬ、ほとんど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わずしきりに書を読んでいる。読書にくたびれ眠くなって来れば、机の上に突っ伏して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕して寝るなどということはただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気がついて、「なるほど枕はないはずだ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と始めて気がつきました。これでもたいてい趣が分かりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生はたいてい皆そんなもので、およそ勉強ということについては実にこの上にしようはないという程に勉強していました」(p.88-89)

勉強が面白くてしょうがなく、没頭していたのだろう。優れた人やる気のある人が集まると、塾全体がそうした雰囲気になることがわかる。これは優れた企業にも当てはまるような気がする。

人材を輩出する組織というのは、仕事や勉強に没頭させ、夢中にさせる雰囲気を持っているように感じた。

出所:福沢諭吉(土橋俊一・校訂校注)『福翁自伝』講談社学術文庫

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『福翁自伝』(読書メモ)

福沢諭吉(土橋俊一・校訂校注)『福翁自伝』講談社学術文庫

慶應義塾の創始者である福沢諭吉の自伝である。自由な語りを文書におこしたものなので、臨場感にあふれている。

この本を読んで感じた諭吉の印象は「肩の力が抜けた自由人」という点。

幕末に下級武士の次男として生まれた諭吉は、長崎、大阪、江戸で蘭学・英学を学ぶとともに、欧米諸国も訪問し、日本に欧米の思想を紹介するという重要な役割を担う。明治政府では当然、高官になるチャンスがあった諭吉だが、それを断る

「なかんずく私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事もずいぶん知っていながら、遂に政府の役人にならぬというはおかしい、日本社会の十人は十人、百人は百人、みな立身出世を求めて役人にこそなりたがるところに、福沢が一人これをいやがるのは不審だと、陰でひそかに評論するばかりではない、現に直接に私に向かって質問する者もある」(p.317)

では、なぜ諭吉は役人になりたがらなかったのか?

「既に政府が貴いといえば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張はすなわち殻威張で、誠によろしくないと知りながら、何もかも自然の勢いで、役人の仲間になればいつの間にか共に殻威張をやるように成り行く。しかのみならず、自分より下に向かって威張れば上に向かっては威張られる。鼬(いたち)ごっこ鼠ごっこ、実に馬鹿らしくて面白くない」(p.319-320)

諭吉に一貫して見られる姿勢は、「権力におもねらず、超然としている」ところ。翻訳・著作を通して社会を啓蒙し、慶應義塾にて生徒を教えることに情熱を燃やしていたようだ。

自分の生き方を貫いた諭吉の人生に魅力を感じた。

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光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい

光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい
(ヨハネによる福音書12章36節)
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自分の専門に閉じこもることによる喜び

マックス・ウェーバーは、学問に生きる者の喜びについて、次のように語っている。

「学問に生きるものは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、自分はここにのちのちまで残るような仕事を達成したという、おそらく生涯に二度と味われぬであろうような深い喜びを感じることができる」(p.22)

自分の専門に閉じこもることによる喜びとは、「オタクの喜び」に近いような気がする。岡倉天心が利休を評して「自分だけおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があった」と述べていたのを思い出した。

自分の世界を持つということが、仕事の喜びにつながるのであろう。

出所:マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、岡倉覚三(村岡博訳)『茶の本』岩波文庫

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神のもとに立ち帰れ

神のもとに立ち帰れ
(ホセア書12章7節)

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『職業としての学問』(読書メモ)

マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫

ウェーバーが、学問に生きる者のあるべき姿を語った講演録である。

心に残ったのは、次の一言。

「さて、お集まりの諸君!学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなくて、その仕事に仕える人のみである」(p.27)

「仕事に仕える」という言葉が響いた。同様に、ウェーバーは次のようにも述べている。

自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、かえってその仕事の価値の増大とともにその名を高める結果になるであろう」(p.28-29)

要は「自分が目立とう」と思って研究するのではなく、研究テーマに惚れ込んで没頭するときに良い仕事ができるということだ。これは、研究に限らず、どの世界においても通じる考え方だと感じた。

ただし、次のことを心得ておかねばならない。

「学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない」(p.30)

常にイノベーションが起こるがゆえに、自分の研究はどんどん古くなる。がゆえに、新しい研究をしようというモチベーションも高まるのだろう。

本書を読み、「果たして自分は、研究テーマに「仕える」ことができているか?」という点を考えさせられた。

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30分の法則

昨日、聞き上手の方と話していたときのこと。

相手が本音を語り出すのは、どのくらい経ってからですか?」

と質問したところ

30分くらい経ってからですね

という答えが返ってきた。

以前、別の育て上手の方に同じ質問をしたところ「30分」という回答だった。人の話を本気で聞こうと思ったら「最低30分は聞きき切らないといけない」ということだろう。

なかなか難しいことである。

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欲望が行きすぎるよりも、目の前に見えているものが良い

欲望が行きすぎるよりも、目の前に見えているものが良い
(コヘレトの言葉6章9節)

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『岩波茂雄と出版文化』(読書メモ)

村上一郎(竹内洋・解説)『岩波茂雄と出版文化:近代日本の教養主義』講談社学術文庫

独特の文体の村上一郎さんが、岩波書店の創始者である岩波茂雄を一刀両断にしたのが本書。竹内洋さんの解説とともに味わうと、より深みが増す。

一高を退学し、東大選科を修了した岩波茂雄は、古書店を経て、押しも押されぬ「岩波書店」を育て上げた人。そのきっかけは、夏目漱石の全集を出したことにあった。そういえば、『漱石の妻』を読んだときも、岩波茂雄が漱石を訪ねてきた場面が描かれていた。漱石が岩波書店をメジャーにした、ともいえるらしい。

本書を読んで心に残ったのは「日本型の教養」について。

著者・解説者いわく、欧米の教養が、家庭の中で培われた身体化された教養であるのに対し、日本の教養は、学校において詰め込まれた舶来型の教養である。

つまり、日本型教養とは「〇〇も知らないの、バカですね」(p.134)といったひけらかす教養に近い。こうした舶来型、知識詰め込み型の教養を売りにしているのが「岩波文化」であるという。

面白かったのは、パリの名門「エコール・ノルマル」の文系学生がパリを中心とした上流階級出身者が多いのに対し、東京・京都帝国大学の文系学生は貧乏な農村出身者が多かったという調査結果である。

つまり、西欧の文系エリート学生は、小さい頃からラテン語教育などを受けながら家庭の中で、身体的に教養を吸収していたのに対し、日本の文系エリートは、大学に入ってからいっしょうけんめい知識を詰め込んで教養を身につけていたということだ。こうした日本の文系エリートのサポートをしていたのが岩波書店、ということになる。

本書を読んで「なるほど」と思った点はあったが、ちょっと言い過ぎであるような気がした。

岩波文庫・岩波新書が、質の高い書籍を提供しているのは事実であるし、それを消化して、自分のものにできるかどうかは、個々人にかかっている。貧乏な田舎者が大学に入って一生懸命教養を身につけようとしたからといって、それが「詰め込み」や「表層的」とは限らないであろう。

ただし、「教養」の意味については、とても考えさせれらる書であった。









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