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自分の罪を公に言い表すなら

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙Ⅰ・1章9節)

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ありがとうという言葉

映画監督・大島渚氏を介護する奥さんの小山明子さんは、介護疲れでうつになってしまったらしい。

ただ、介護していて救われるときがあるという。それは「ありがとう」という言葉を返してもらったときだ。

「実は夫が日々かけてくれる「ありがとう」という言葉にも、ずいぶん救われてきた気がします。1996年に脳出血で倒れた夫は、まひした右半身のため、自力では動けませんでした。少し前なら難なくできたことが、いちいち人の手を借りなければならなくなったのです。周りのみんなに迷惑をかけている、という気持ちが強かったのでしょう。多い時は、1日に何回も「ありがとう」を連発するので、「そんなにいちいち言わないでもいいのよ」と話したことさえあります。でも、手探りの介護を始めたばかりの私にとって、この言葉は大きな支えになりました」(p.155)

「ありがとう」という言葉の力に気づいた。

出所:読売新聞生活情報部編『わたしの介護ノート1』中公文庫

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『中坊公平・私の事件簿』(読書メモ)

中坊公平『中坊公平・私の事件簿』集英社新書

なんだかんだいって中坊公平さんの体験記はインパクトがあった(やや自画自賛的な面も感じたが…)。

自分なりのスタイルを確立しているところがすごい。その契機は、独立後にはじめて引き受けた「H鉄工和議申立て事件」にある。倒産したH鉄工所を再建するため、中坊氏は作業服を着て工員たちとともに働き、信頼を得ていく。

中坊氏は振り返る。

「私には、私を引き上げてくれるような法曹界のボスはいないし、ツテもコネもない。ましてや、不勉強で特に法律に強いわけでもない。そんな私がこの世界で生きていくためには、誰より現場を知り抜くしかないということをこの事件を通して悟りました。現場に足を運び、五感を総動員すれば問題の本質が見えてきますし、法律だけに頼らない迫力、説得力が出てきます。相手方よりも、裁判官よりも現場をよく知っていることから生まれる力。ここで勝負しようと考えたわけです」(p.18)

「現場を知り抜く」という、普通の弁護士が面倒くさくてやらないことを徹底的に行い、事件の本質をつかんでいく中坊氏。「ふつうだったらやらないこと」の中にこそ、競争に勝ち、自分なりの色を出していくヒントが隠されているような気がした。

住専処理の問題で弁護士を廃業した中坊氏であるが、その後の活動が止まっているように感じる点は残念である。弁護士という肩書がなくとも、社会に貢献できる余地はたくさんあるように思った。





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どうか今、あなたの道をお示しください

どうか今、あなたの道をお示しください
(出エジプト記33章13節)

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気持ち悪いヤツ

漫画家、イラストレーター、作家、ミュージシャン、ラジオパーソナリティなど、さまざまな世界で活躍するみうらじゅんさん。最近では、ゆるキャラブームの火付け役となった。

そんなみうらさんが高校生の頃。

「授業中、こっそり詩を書いているところを、青春を謳歌しているヤンキー諸氏に見つかって「お前、気持ち悪い!」って言われたけど、不思議とイジメられなかった。この世の中には、イジメるヤツ、イジメられるヤツに加えて、気持ち悪いヤツっていう枠があることがわかってきたんですね。今ではその気持ち悪いヤツっていうのが“サブカルチャー”とかいう名に替わってね、僕も仕事させてもらっています」(p.3)

ここでいう「気持ち悪い」というのは「普通の人と違う」ということである。この気持ち悪いもののなかには、病的に気持ち悪いものと、実は「大化け」する革新的なものが含まれているのだろう。

みうらさんは言う。

「誰からも注目されない変なモノ、みんなが総スカンするようなものに おもしろさのヒントが隠れてる。僕のターニングポイントは、いつもそういうところにあると思うんです」(p.3)

何か面白いことをしようと思ったら、流行っているものは無視したほうがよいのかもしれない。

出所:ビッグイシュー日本版188号(2012.4.1)

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わたしは、自分の内には

わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。
(ローマの信徒への手紙7章18節)

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言いにくいことを言える関係

よい人間関係とは、どんな関係だろうか?

吉本隆明さんはつぎのように考えていたようだ。

「僕は、男女問題に限らず、一般の人間関係においても、いい関係かどうかを判断する基準というものを持っています。それは、とてもシンプルなものですが、お互いが言いにくいことをきちんと言えるかどうかです」(p.112)

これは良い基準だと思った。

ただ、この基準で考えると、いい関係にある人々はかなり少ないことに気づいた。言いにくいことを言い合える関係を作ることは難しいことである。

出所:吉本隆明『真贋』講談社文庫

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『真贋』(読書メモ)

吉本隆明『真贋』講談社

先日亡くなった吉本隆明さんの本である。インタビューをベースにした本なので、読みやすかった。

「戦後思想界の巨人」と言われる吉本さんだが、肉声に近い言葉を読む中で、とても身近に感じることができた。

最も印象に残ったのは「あらゆるものには利と毒がある」という考え。たとえば、読書について。

「僕は小説や詩を読むことで、心が何かしら豊かになるということを盲信的に信じている人がいたら、少し危険だと思います」(p.31)

「小説によっては、犯罪や人間失格的なものに価値を見い出す内容のものもあります。それを読んで心を動かされることはあり得ることでしょう。そして、現実世界でも人間失格的なものを目指そうとする。これを、毒がまわったととるか、人間として高度になったと解釈するか、人によって意見は分かれるかもしれません。ただ、どちらにしても確実なのは、何かに熱中するということは、そのことの毒も必ず受けるということです。これは、ごく当然の考え方ではないでしょうか」(p.32)

確かに本を読むと成長するような錯覚に陥るが、それは読む本によるし、どんな良い本でも「毒」を持っているかもしれない。なかなか鋭い指摘である。

しかし、気になったのは、吉本さん自身の経験をかなり強引に一般化しているところ。ご自身がいじめっこだったことから、「いじめる方も、いじめられる方も両方悪い」と言っていたり、自分が引っ込み事案な性格だったので、「引っ込み思案な性格がもとで犯罪を犯す人もいるかもしれないが、そんなに責めないほうがよい」という主張をしたり。

ただ、「と僕は思います」「僕はこう考えます」「僕はそういうふうに解釈しています」という表現に好感がもてた。断言せずに、「自分としては、こんなふうに考えています」と、客観的に主張を述べているからだ。こうした姿勢はとても誠実だな、と思った。

吉本さんから学んだことは、「徹底的に自分で考えること」の大切さである。人は、どこかで他人の受け売りをしているところが多い。「本当にそうなのか?」と疑って、自分の感覚を信じながら論理的に考えたい、と思った。


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終わりまでお前の道を行き

終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい
(ダニエル書12章13節)

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「売りに特化してくれ」

先日、某自動車販売会社の人材育成部長から興味深い話を聞いた。

その部長さんが店長をしていたとき、営業マンの育成に力を入れていたそうだ。そんなとき、本社から来た役員に「育成もいいが売りに特化してくれ」と言われたらしい。

「売りに特化してくれ」という発言の裏には、「育成と売りは別物」あるいは「目の前の業績をアップすればよい」という考え方があるのだろう。

本来、「育成」と「売り」は直結しているのだが、それらを切り離して考える人は、けっこう多いように思った。

たしかに、短期業績だけを考えるのであれば、仕事ができる上司が部下の仕事にいちいち口を出すのがよいかもしれない。しかし、それだと部下は成長しないし、中長期的に考えると部署や組織のためにならない。

「育成」と「売り」をつなげて考えるということは、短期業績と中長期業績を両立することにもつながるし、マネジャーの力量とも関係するように感じた。

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