goo

『イギリス 繁栄のあとさき』(読書メモ)

川北稔『イギリス 繁栄のあとさき』講談社学術文庫

近代史上、ヘゲモニー(覇権)国家といえるのは、17世紀中頃のオランダ、19世紀中期のイギリス、第二次世界大戦後20~30年間のアメリカだけであるという。ただし、どんな国でもトップを走り続けることはできず、必ず衰退する。本書のテーマは「イギリスの衰退からいかに学ぶか」である。

では、何を学べば良いのか?

著者によれば、イギリスは衰退しているものの、その衰退のスピードは遅く、この「粘り腰」こそ、学ぶべき点であるという。

それを可能にしているのが、英語や生活様式という文化遺産を持っていることだ。日本も、文化的発信を積極的に進めるべきである、というのが本書のメッセージの一つである。

それはそうだなと思ったが、この本を読んで最も印象的だったことは「モノサシ」の話。

一般に「衰退」とか「勃興」という言葉を使うとき、我々は、GDPを初めとするヨーロッパ近代人の「物差し」を使っている。「ヨーロッパ近代の「物差し」とは違う「物差し」を見つけないかぎり、「アジアの勃興」はありえない(p.203)」と著者は主張する。

これは、国に限ったことではない。個人の成長をとらえるときにも、どのようなモノサシで測るかによって、その意味が変わる。本書を読み、自分独自の成長のモノサシや基準を持つことの大切さを強く感じた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された
(ヨハネによる福音書3章16節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

目鼻のない人形

堤純子さんの『アーミッシュ』を読んでいて、少し驚いたことがある。

それは、アーミッシュが作る人形には、目鼻がつけられていないこと

なぜか?

「これは、神の前で特定の個人の存在を際立たせることを避けるものであるだけでなく、偶像礼拝を戒める聖書の記述に沿ったものである」(p.198-199)

個性を発揮することは神様の御心でもあると思うので、少し違和感を感じたが、よく考えてみると、特定の個人が際立ちすぎることの弊害もある。アーミッシュの生活を見ると、「支え合い」をとても重視しているのだが、個人が際立ち過ぎることで、この支え合いが崩れていくのかもしれない。

この本を読み、自分の価値観の根底がゆさぶられた。

出所:堤純子『アーミッシュ』未知谷





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『アーミッシュ』(読書メモ)

堤純子『アーミッシュ』未知谷

アーミッシュ関連の本は何冊か持っているのだが、なぜか読む気がしなかった。その中で、本書をスッと読むことができたのは、自然体で書かれているためだと思う。

アーミッシュとは、18世紀に、宗教的迫害を恐れてヨーロッパからアメリカに移ってきたクリスチャンの人々である。電気や車などの文明の利器を使わず、聖書に忠実に、自給自足の生活をしている。

2006年にアーミッシュの学校で3名の生徒が殺害されるという事件が起きたとき、殺された生徒の親が「犯人とその家族を赦す」というメッセージを出したことで、全世界を驚かせたことは記憶に新しい。

本書で一番心に残ったことは、その「赦し」について。

「あるアーミッシュは「赦しは闘いの連続だ」と述べているが、アーミッシュにとっても赦しは簡単なことではなく、赦すことができたと思っても、しばらくすると再び怒りや恨みの気持ちがわき上がってくるので、また赦し直さなくてはならないというのである。この事件で重傷を負った少女の家族は「自分の心のなかにある赦しを拒む力と真剣に戦わなくてはならない」と述べているが、赦しを拒む自分と赦さなくてはならないと考える自分、つまり感情と理性との闘いなのであろう」(p.172)

アーミッシュの間で読み継がれている『殉教者の鏡』という本があるのだが、その中には次のように書かれているという。

「私たちは弱い者であるから、日々赦さなくてはならないのだ」(p.172)

生活をしていると、他者を赦せないこともある。しかし、徐々に、赦せない自分が情けなくなってくることがある。人を赦す闘いの中で、人間が磨かれていくのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

人は倒れても、打ち捨てられるのではない

人は倒れても、打ち捨てられるのではない
主がその手をとらえていてくださる

(詩編37章24節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

苦しみから逃げること

高田郁さんの『美雪晴れ(みをつくし料理帖)』を読んでいたら名言に出会った。

ある事件をきっかけに料理から遠ざかっている元料理人に対して、一流料亭の主人が放った一言である。

「自らを守るために苦しみから逃げることは間違いではない。だが、逃げて苦しみが深まったならば、決して逃げるべきではない」(p.229)

逃げているうちに、余計苦しくなるということは結構ある。そのときには、立ち向かうことが苦しみを克服する唯一の道なのかもしれない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場

あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場
(詩編70章6節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

革命と情念

フランス革命の中には3タイプのプレイヤーがいた。

貴族
ブルジョア(商人、弁護士等)
大衆


である。

貴族が既得権益を持っている人たちで、ブルジョアと大衆は既得権がない非貴族である。ブルジョアと大衆が手を組んで貴族を倒し、民主主義の社会を実現するのがフランス革命なのだが、その鍵を握るのがお金と教養のあるブルジョアだったようだ。

ただし、ブルジョアにも「貴族よりのブルジョア」「大衆よりのブルジョア」がいて、両者の駆け引きがあり、革命の方向性も揺れていたという。

なお、日本の明治維新のキープレーヤーは武士である。

『フランス革命』の著者である遅塚氏によれば、「フランス革命というのは、偉大と悲惨をともにそなえた人間の情念の巨大な噴出であった」(p.188)という。

鍵となるプレーヤーの「情念」「情熱」の大きさが、革命や変革のあり方を左右するのだろう。組織における変革も同じであるような気がした。

出所:遅塚忠躬『フランス革命:歴史における劇薬』岩波ジュニア新書


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『フランス革命:歴史における劇薬』(読書メモ)

遅塚忠躬『フランス革命:歴史における劇薬』岩波ジュニア新書

フランス革命は劇薬のようなもの」という仮説を立て、その仮説を解説したのが本書である。

劇薬とは、効果もあるが副作用もある薬のこと。自由と民主主義を生み出したフランス革命であるが、党派の争いの中で多くの人々が処刑される恐怖政治を生み出したという一面もある。

興味深かったのは、世界で起こる革命のあり方は、その国が置かれた状況によって変わるということ。

「劇薬なしのイギリス革命は、リベラルな変革であった代わりに、デモクラシーの達成をさき送りにしました。劇薬を服用したフランス革命は、デモクラティックな変革であった代わりに、恐怖政治に苦しみました。劇薬なしで「上から」の変革をした日本では、「殖産興業」と「富国強兵」のかげで、基本的人権の保障がなおざりにされました」(p.167-168)

本当の意味で個人が尊重される社会を生み出すには、苦しみを経験しなければならないという点が心に残った。

なお、著者の遅塚先生は、歴史を学ぶ意味を3つ挙げている(p.189-190)。

第1に、過去から現在までの変化の道筋を知って、現在を理解するうえでの参考にすること。
第2に、現在のわれわれとは全く違った過去の人々の生き方を知って、いまのわれわれの生き方を反省すること。
第3に、歴史のなかに生きた人間たちの偉大と悲惨とを知って、それに共感し、感動すること。

要は他者の経験から学び、自身の経験をリフレクション(内省)するということだろう。歴史を学ぶことの大切さがわかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あなたがたにできないことは何もない

あなたがたにできないことは何もない
(マタイによる福音書17章20節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ