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階段をつける

日経新聞に「体・験・学」というシリーズがある。

今日はテニスを再開された方の体験記が載っていたが、鈴木貴男プロの話が印象的だった。

日本(の教え方)は『指摘』するだけだから」」

指摘して考えさせる、という方法は、フィードバックしているので良い指導のように思える。

しかし、鈴木プロによれば、「最終目標と今のレベルをつながく、中間のステップをいかに重ねていくか」が大事だという。

「中間ステップを重ねる」という言葉が響いた。

要は、最終目標まで登れるように階段をつけてし、支援することが指導者の役割なのだろう。

出所:日本経済新聞(2016年8月30日)
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天は主のもの、地は人への賜物

天は主のもの、地は人への賜物
(詩編115章16節)


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思わずひれ伏してしまうようなできごととの出会い

天台宗大阿闍梨だった酒井雄哉さんは、荒行である千日回峰行を2回行ったというツワモノである。

その最も厳しい行は「堂入り」と呼ばれ、九日間の不眠不臥、断食断水に耐えるという信じられない修行である。

酒井さんがお坊さんになる前、東京から遊びに来ていた弟さんを比叡山に案内されたとき、この堂入りを終えた阿闍梨と、たまたま出会ったという。

「真言を唱える信者さんの声が響く中を、厳かにお堂の扉が開けられ、過酷な行を終えた白装束の行者が現れた。目の前を一歩一歩と、進んでいく。後に戦後六人目の千日回峰行者になる宮本一乗という阿闍梨だった。ぼくは思わず立ちすくみ、その行者の姿を固唾を飲んで見守った。世の中にはこんなことがあるのか、こんな世界があるのか・・・・・、と大きな衝撃を受けた。千日回峰行というのがあるというのも、その時初めて知ったんだ」(p.71)

偶然の出会いである。このとき、定職についていなかった酒井さんは次のように感じた。

「山を下りてからも、その行者の姿が心に付いて離れない。世の中には、ただひたすらに行に打ち込む人生がある。翻って自分はどうだ。ただふらふら生きているだけじゃないか。自分の生き方は間違っていたのかもしれないと疑問が生まれた。考えて、考えた。わけも分からず、比叡山から大阪まで歩いてみたりもした。圧倒的な何か、思わずひれ伏してしまうようなできごととの出会いも、出会いにちがいない。そういう瞬間が、必ずあるもんだな」(p.71-72)

出所:酒井雄哉『一日一生』朝日新書
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『一日一生』(読書メモ)

酒井雄哉『一日一生』朝日新書

天台宗の大阿闍梨であった酒井雄哉氏のエッセイである。

自然体で語られる言葉は、シンプルであり、とても心に沁みた

千日回峰行」というすごい修行を2回も遂行したにもかかわらず、それを鼻にかけることもない。修行の中で、自然に溶け込み、仏さまと一体になっていることが伝わってきた。

ちなみに、酒井さんは、特攻隊帰りで、さまざまな職を転々とし、40歳近くでお坊さんになったという変わり種である。

そのきっかけがまた面白い。当時、住んでいた叔母さんの小言があまりにうるさいので、逃げた先が比叡山であったという。

「「ちゃんとせい」「なにしとんや」「そんなことでどうする」・・・・・顔を見るたび、なんだのかんだのと説教される。もう、呼吸するだけで何か言われるような感じだったな。そのうち、「なんとかして、あのババアから逃げる方法はないかなあ」ということばかり考えるようになってしまった。「これはばあさんの前から姿を消すのが一番いいな」と思った。気がついたら、足が比叡山に向かっていたんだよ」(p.74-75)

何が人生を変えるのかわからない。酒井さんの場合には、小うるさい叔母さんが大阿闍梨への道をつけてくれたといえる。

さまざまな意図せざる働きによって、人は導かれているのだな、と感じた。

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わたしの恵みはあなたに十分である

わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。
(コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9節)

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生きる力

『死の家の記録』の中で心に残っているのは、クリスマスのお祝いで囚人たちが上演した劇の場面

「最初の演し物が終わる頃には、客席の浮かれた気分も最高潮に達していた。私は何一つ誇張してはいない。ひとつ想像して欲しい ― 監獄、足かせ、囚われの身、この先も延々と続くつらい歳月、暗い秋の日の雨だれのごとくに単調な生活・・・・・そんな中でうちひしがれた囚人たちが突然、一時だけ羽目を外してお楽しみにふけり、重苦しい夢を忘れて、立派な芝居を上演することを許されたのだ。しかもその芝居ときたら、町中がアッと驚くほどの、誇らしい芝居なのである。「ほら、これが俺たちの仲間だぞ。囚人も隅におけないだろう!」というわけだ」(p.347)

つらい日常を忘れさせてくれる特別な一日や、自分を投影できる優れた人々の存在が「生きる力」になる。

これは日々の生活においてもいえるような気がする。

出所:ドストエフスキー(望月哲男訳)『死の家の記録』光文社
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『死の家の記録』(読書メモ)

ドストエフスキー(望月哲男訳)『死の家の記録』光文社

政治犯として逮捕され、4年間シベリアの刑務所に入れられたドストエフスキー。このときの体験を基に書かれたのが本書である。

一連の小説と違い、刑務所の世界を記述したルポルタージュンに近いためやや退屈である(しかも700頁近くある)。にもかかわらず、最後まで読みきらせる迫力は、さすがドストエフスキーだと思った。

刑務所では、誰もが仕事を持っており、を稼ぎ、が売られ、外部との交流もあり、クリスマスには子供のようにワクワクする。

自由を奪われた監獄の中にも、人間の生活があることを伝えているという点では、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』を思い出した。

印象に残っているのは、外界での労働の場面。

囚人たちは、仕事を漠然と与えられてもやる気は出ないのだが、ノルマが与えられるとモチベーションが上がるのだ。

「この種の仕事の場合つねに、取り組む囚人たちの態度ものろのろしていて覇気がない。およそ正反対なのが、仕事自体が道理にかなった価値のある仕事で、しかもとりわけノルマを決めてもらえる場合である。そうした場合、囚人たちはまるで何かが乗り移ったように活気づき、自分にとって何の利益にならなくとも、少しでも早く、上手に仕上げてやろうと、身を粉にして働く。私はこの目で見た。そこには自尊心さえ介在しているようだった」(p.190)

どのような環境、状況にあろうとも、人間にとって、明確な目標や仕事の意味が大切になることがわかった。



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若者を諭すのを控えてはならない

若者を諭すのを控えてはならない
(箴言23章13節)

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人生のギアチェンジ

2001年から二年五か月間刑務所暮らしをした角川春樹さんは、次のように振り返っている。

「だが、もっともつらい時期であった刑務所での生活は、おれにとって人生の大きなギアチェンジになった。それは、エンジンをニュートラルにもっていくためのギアチェンジであった。そして出てからは、いきなりトップギアに入れて突っ走っている。おれの例が一般の人たちの参考になるかどうかわからない。だが、たとえばリストラなどされたらどうするか。その程度のことなどは、おれの味わってきたことから比べれば、まったくピンチではない。もし、そんな局面に立たされたら、それを自分の人生をギアチェンジする、絶交の機会だととらえればいいのだ」(p.188-189)

よく言われることではあるが、角川さんの口から出ると説得力がある。

つらいこと、悲しいことがあっても、それを「人生のギアチェンジ」のきっかけにすればいい。勇気がもらえる言葉である。

出所:角川春樹『わが闘争』ハルキ文庫

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『わが闘争』(読書メモ)

角川春樹『わが闘争』ハルキ文庫

角川書店を大きく発展させた角川春樹さんの自伝である。

昔は沈滞していた文庫本の売り上げを大きく伸ばし、映画とタイアップしたメディアミックス戦略で世間をアッと言わせたと思ったら、コカイン事件で刑務所に入ってしまった角川さん。その刑務所暮らしの話から始まる本書は、とにかく面白い。

UFO、神、宇宙の話しを読むと、かなり「突き抜けている」人であることがわかるが、変なことを言っているわけではない。すべてにおいて自信満々な姿勢は、どこかニーチェを彷彿させる。

巻末に収録されているインタビューを読むと、角川さんが意外に常識人であることがわかる。特に感動したのは、経営者として数々の偉業を成し遂げ、70歳を超えた今でも、自分のことを「編集者」と位置付けている次の言葉。

私の中では、死ぬまで現役の編集屋でいたいという気落ちが強いですね」(p.238)

さらに、解説を書いている小説家・高田郁さん(みをつくし料理帖シリーズの作者)が角川さんの人柄を紹介している内容にも感銘を受けた。

「また、札幌でサイン会を行った際に、その店の店長さんが、こんな話を聞かせてくださった。「ある時、角川春樹さんがゲラを抱えて現れて、『良い作品だから読んでほしい』と仰ってね。それが『八朔の雪』でした。以来、ずっと応援させて頂いています」さらに別のサイン会で、定年退職された元書店員さんから、「他社で出た高田さんのデビュー作『出世花』を角川さんから手渡されて、『このひとはきっと伸びる。うちで書いてもらうので、応援してください』と仰ってました」と伺った。何処の世界に、無名の新人のゲラを抱えて自ら書店を回る社長がいるだろうか。他社で出版された本を手に、ひとに薦めて回る社長がいるだろうか」(p.255)

このエピソードを読み、いっきに角川春樹ファンになってしまった。
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