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怒るのにおそく

『情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。』
(詩篇86章15節)
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『不運のすすめ』(読書メモ)

米長邦雄『不運のすすめ』角川書店

米長氏は、日本将棋連盟会長。50歳で「名人」を獲得するという最年長記録を持つ。本書を読んで二つ心に残った箇所がある。

小学校を卒業して、佐瀬勇次氏のもとに弟子入りした際に「これを見て勉強しろ」と師匠が指した棋譜を渡されたときのこと。米長氏は次のように答えたという。

「それはダメです。先生の癖がついたらいけないのでお断りします。先生は私が八段になると保証したけれど、あなたの将棋を真似したのでは、あなたと同じ七段止まりで終わってしまいます。」

とんでもない中学一年生である。「守・破・離」もあったもんではない。

もう一つは、40代の半ば、米長氏がスランプに陥り、20代の若い棋士に勝てなくなってしまった時のこと。氏は、ある若い棋士にその理由を聞いてみた。すると、その棋士は次のように答えたという。

「先生と指すのは非常に楽です。先生は、この局面になったら、この形になったら、絶対逃さないという得意技、十八番をいくつも持っていますね。でも、こちらのほうも先生の十八番は全部調べて、対策を立てているんです。」

では、どうすればいいのか?

その若手は「自分の得意技を捨てることです」とアドバイスしたらしい。

そして、米長氏は20歳を過ぎたばかりの自分の弟子を「先生」と呼び、弟子入りする。後日、若手の新鮮な将棋感覚に触れることで、王将に返り咲いている。

自分の型を確立するとともに、常に学び続ける米長氏の姿勢に感銘を受けた。特に、40歳を過ぎて「固まりかけた自分」をもう一度壊し、さらなる成長を遂げているところがすごい。アンラーニング力(棄却力)がすぐれているな、と思った。
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値引きのない世界

兵庫県にある東海バネ工業は知る人ぞ知る優良企業である。売上高営業利益率は10%前後と業界平均の2倍近い。なぜそんなに儲かるのか?

理由は単純である。競合他社が作れない、作りたがらない製品を作っているからである。原子力発電所や人工衛星で使われる特殊なバネをつくり、1個から受注する「多品種微量生産」が同社の特徴だ。戦略論でいう「差別化集中戦略」にあたる。渡辺社長は次のように語っている。

「価格交渉ではこちらの言い値が通りやすく、値引きすることは一切ない

同社も以前は汎用品を作っていたが価格競争に直面したため、70年代半ばから量から質の経営へと転換したという。この戦略を支えるのは情報システム人材育成である。

まず、70年代後半から、一度でも受注のあった顧客の注文内容はデータベース化している。だから「10年前のバネを1個作ってくれ」と言われても対応できる。

特殊なバネを作る熟練の技を維持するために、3段階の社内技能検定制度を設け、技術伝承に取り組んだ結果として、生産部門で働く従業員の平均年齢は30代の前半だという。

「値引きのない世界」を作り上げるために同社は、他社が入ってこないポジションを確立し、情報システムと人材育成システムによって能力アップしてきた。中小企業のお手本となる経営である。

出所:日経産業新聞2009.11.25
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道場と野戦

YKKの創業者・吉田忠雄氏による「失敗しても、失敗しても、成功しろ」という言葉が好きである。YKKではこれまで、20代の若手を海外に送り出し、修羅場を経験させることで人材を育成してきた。

ちなみに、なぜ海外なのか?

海外で働くと「会社への経営参画意識」が高まり、「たくさんの部下を動かす力」や「グローバル感覚」が身につくらしい。常務の寺田氏によれば「道場で習う剣法ではなく、野戦で鍛えた一刀流の達人を目指せ」という考えが込められているという。

一方「野戦の一刀流によって育つリーダーは、目の前の現実だけにとらわれて視野が狭くなりやすく、部分最適を追及する傾向が強まる」と寺田氏は指摘する。

そこで始めたのが「価値創造塾」。40歳前後の管理職を対象とした選抜型の集合研修だ。大学教員をコーディネーターにして、経営者や他社の役員を読んで話を聞いたり、自社の課題に対する提案を練ったりする内容である。狙いは全社的視点を持たせることにある。

少し気になるのは、受講者が「自分の仕事は仕事。研修は研修」という具合に切り替えてしまうという危険性だ。ふだんの仕事である「野戦」を、研修という「道場」で全社的視点から見直すことも大事ではないか、と思った。

出所:「YKK流リーダー育成塾:武者修行一本槍との決別」日経ビジネス2009年11月23日、p.76-79.
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ちょうど良い時に

『あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。』
(ペテロの手紙Ⅰ、5章6節)
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『恍惚の人』(読書メモ)

有吉佐和子『恍惚の人』新潮文庫

老人痴呆の問題を扱った小説である。

そりが合わなかった義父・茂造が痴ほうになり、世話をするようになった主婦・昭子の目から、老人介護の実情がリアルに描き出されている。昭和47年に刊行された本だが、古さを感じさせない(背景となる時代はかなり違うが)。

徘徊、失禁、夜中の妄想、人格崩壊に立ち向かう昭子は「老いは死よりも恐ろしい」と感じる。しかし、痴呆が進み、気難しかった義父が子供のように純化していく次の場面を読んだとき、少し救われるような気がした。

「彼はよく笑うようになった。口は開けず声も出さず、眼許だけで微笑するのだが、こんな表情は昭子の知る限りの茂造にはないものであった。彼はいつも気難しく渋面を作っていて、不平不満の固まりになって生きてきたのだ。」

誰もが老人になり、そして死に向かって歩いていかなければならない。今まで人ごとのように考えていた老人介護の問題であるが、この本を読み、社会全体で真剣に考えなければならないと感じた。
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自分の知らないところ

俳優の段田安則さんのインタビュー記事を読んでいて、印象に残った箇所がある。

「自分の魅力はわからない。ただ、神様が降りてくるじゃないですけど、演じていて、思いのほかフワッと自分の知らないところへ行ける瞬間がある。そういうときは自分でもいいなって思っています。」

「自分の知らないところへ行ける瞬間」とは、何か新しいものを生み出している瞬間だったり、成長している瞬間だったりするのだろう。

どれだけそうした体験をしているだろうか、と振り返ってみたが、いつも自分が知っている馴染みの世界で動いていることに気づいた。

出所:VISA 2009 DEC No.441, p.11.
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学習する組織

GEのライバルである米ユナイテッド・テクノロジーズには、日本企業の経営手法が息づいている。松下電器出身の伊藤氏とトヨタ出身の岩田氏が開発したACE(Achieving Competitive Excellence)という考え方が伝承されているのだ。

例えば、社内では「ミスは咎めないが、それを隠すのは大罪。ミスを皆と共有するのは善」というルールが浸透している。

だから、工場では毎日、次のような光景が見られる。

・毎朝、工員は前日に起こった安全面や品質面の問題を報告する
・情報を集約した部門リーダーが集まって問題点を共有する
・即座に対応できるものは現場にフィードバックする

こうしたボトムアップ型の現場改革が浸透している企業は強い。従業員一人一人が自分で考える習慣が身についているからである。一見単純なようだが、これを徹底するのは難しい。

しかし、カイゼンだけでは激変する環境に適応することはできない。米ユナイテッド・テクノロジーズでは、積極的なM&Aによって事業ポートフォリオを入れ替えている。傘下に入れた企業の名前は残すが、品質管理、研究開発、人事システムなどは共通化する。ただし、金融業などには進出せず、あくまでも製造業に特化している。

明確な事業ドメイン、ダイナミックな戦略的資源の組み換え、地道な品質管理が組み合わさった同社の経営は、欧米型と日本型がうまく組み合わさった事例といえる。まさに「学習する組織」である。

出所:「米ユナイテッド・テクノロジーズ:GEの轍は踏まない」日経ビジネス2009年11月16日号、p64-67.
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彼らがへりくだったので

『彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。』
(歴代誌Ⅱ11章7節)
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『納棺夫日記』(読書メモ)

青木新門『納棺夫日記 増補改訂版』文春文庫

映画「おくりびと」の実質的な原作である。

経営する飲食店が倒産した後、青木さんは、新聞広告を見て冠婚葬祭会社に入社する。通常の葬儀の他、飛び込み自殺、首つり自殺、交通事故、病死など、さまざまな死と直面しながら納棺夫として働いてきただけに、青木さんの「死生論」は迫力がある。

次の言葉が印象に残った。

「考えてみると今日まで、毎日死者に接していながら、死者の顔を見ているようで見ていなかったような気がする。人は嫌いなもの、怖いもの、忌み嫌うものは、なるべくはっきり見ないように過ごしている。きっと私も本能的にそうした態度で接してきたようだ。しかし今は、死者の顔ばかりが気になるようになっていた。死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。」

青木さんは、「生」に絶対的な価値を置く現代の社会に疑問を投げかけ、生と死を超えた世界に「」を見出す。

本書を読んで、映画「おくりびと」の原作となることを拒否した青木さんの気持ちがなんとなくわかる気がした。
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