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渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい

渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい
(ヨハネによる福音書7章37節)

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『さよならを待つふたりのために』(読書メモ)

ジョン・グリーン(金原瑞人・竹内茜訳)『さよならを待つふたりのために』岩波書店

十代でがんにおかされたヘイゼルとオーガスタスの物語。

限られた時間を生きる二人だが、そこに暗さはない。一番印象に残ったのは、オーガスタスが亡くなった後に残した手紙の内容。

「おれたちはみんな、あちこちの消火栓におしっこをかけてまわる犬みたいなものだ。地下水を自分の毒のある尿でよごして、全部自分のものだってマーキングしている。それも、自分という人間が存在したことを、死んだ後まで覚えていてもらおうってくだらない目的のために。

おれは消火栓にマーキングすることをやめられない。バカなことだし、意味がないってわかってる ―いまのおれの状態じゃ、覚えていてもらうほどの意味はない― だけど、おれもほかのやつらと同じ、動物なんだ。

ヘイゼルは違う。軽やかに歩いて、地面に足あとさえ残さない。(中略)きっとみんな悲しむでしょう。ヘイゼルはほかの人ほど傷を残さなかったし、ヘイゼルを覚えている人は少ないし、深く愛されたけど、広く愛されたわけじゃない。だけど悲しむことじゃないんです、ヴァン・ホーテン。誇れることです。これこそ本当の勇敢さじゃないですか?医者もいいますよね。なにより、傷つけてはならない」(p.325-326)

自分も、人を傷つけながら消火栓にマーキングしていることに気づいた。


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キャリアを左右する何げない一言

腹話術師のいっこく堂さんは、沖縄出身。コメディタッチの役者を目指して上京し、放送映画専門学校に入学するも中退。何年間かカラオケ大会の司会の仕事をしていたが、やはり役者になりたくて劇団民藝に入団したらしい。

しかし、まじめな芸風になじめず5年目くらいから退団を考えていたという。その頃を振り返って、次のように語っている。

「そんな91年の秋、米倉斉加年さんが座長を務めるお芝居があり、みんなで泊まった信州の旅館で宴会を開くことになりました。そこで、僕が宇野重吉さんや米倉さんのものまねを披露したら、米倉さんが「似てないけど、おもしろいから優勝。お前は一人でやっているほうが生き生きしてるね」とおっしゃったんです。その言葉に背中を押されて、僕は翌年に劇団を離れました」(p.3)

その後は独学で腹話術を修業し売れっ子になった彼だが、米倉さんの一言が人生を決めたといってもいいだろう。影響力のある人からの何げない言葉が、キャリアを左右することもある。

尊敬する人からの言葉に気をつけたい、と思った。

出所:ビッグイシュー日本版Vol.263(2015.May.15)

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あれほどの富が、ひとときの間に

あれほどの富が、ひとときの間に、みな荒れ果ててしまうとは
(ヨハネの黙示録18章17節)

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道を広く知る

宮本武蔵は、兵法だけでなく、優れた画を残したことでも知られている。

武蔵いわく

「道において、儒者、仏教者、茶の湯者、礼法家、能の舞人など、これらの行うことは武士の道にはない。(しかしながら)その道でなくても、道を広く知れば、物事に通じることがある。すべての人間において、それぞれ自分の道をよく磨くことが大事である」(p.65)

分野が違っても「道」には共通点がある、ということだろうか。

一つの道を究めるためには、別の道も勉強してみることが大事なのかもしれない。

出所:宮本武蔵(魚住孝至編)『宮本武蔵「五輪書」』角川ソフィア文庫
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『宮本武蔵「五輪書」』(読書メモ)

宮本武蔵(魚住孝至編)『宮本武蔵「五輪書」』角川ソフィア文庫

『五輪書』を現代語訳し、解説を加えてくれたのが本書。

いろいろと小難しいことを言っているのかと思いきや、武蔵のメッセージは実践的かつシンプルである。

最も心に残ったのは、「正直に真っ直ぐな心を持て」という言葉が頻繁に出てくること。

「日常でも、兵法の時でも、少しも変わらず、心を広く真っ直ぐにして強く引っ張らず、少しもたるむことなく、心が片寄らないように、心を真ん中に置いて、心を静かに揺るがせて、その揺るぎの刹那も揺るぎやまないように、よくよく吟味すべきである」(p.78)

「兵法の道は、真っ直ぐで正しいものであるから、正しい道理によって、敵を追いまわし、敵を従える心が大事である」(p.158)

「わが兵法においては、(自分は)身構えも心も真っ直ぐにして、敵を歪ませ、歪ませて、敵の心がねじひねったところを勝つことが大事である」(p.169)

ビジネスの世界においても、心を真っ直ぐにすることが競争に勝つための王道なのだろう、と思った。

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さまざまな道に立って、眺めよ

さまざまな道に立って、眺めよ
(エレミヤ書6章16節)

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自分の持ち味に気づく

チャップリンが喜劇王と呼ばれるのは、単に面白いだけでなく、笑いの中に悲しみがあるからだ。

そうした芸風を発見した瞬間について、チャップリンは次のように回想している。

「わたしの作品を単なるお笑いだけに終わらせず、いま一つ、別の面を加えたいと思うようになったきっかけは、いまでもはっきり思い出すことができる。『新しい守衛』(訳注 監督・主演チャップリン、1914年、本邦未公開)の中で、支配人がわたしを首にする場面があった。

わたしは支配人に窮状を訴えて、首がつながるように哀訴するわけだが、そのとき小さい子供が大勢いることを、わたしは哀れっぽくパントマイムでやった。わたしとしては、ただおどけた滑稽味だけを見せていたつもりだったが、ちょうどそのときそばで稽古を見ていた老女優ドロシイ・ダヴェンポートの、ふと顔を見ると、なんと意外にも泣いているではないか。

「もちろん笑わせるつもりでしょ、わかってるわよ。でも、なんだか、わたし泣けてきちゃって」と、彼女が言う。

この一言は、実はわたし自身すでに感じはじめていたことを、ずばりと裏書きしてくれたようなものだった。つまり、わたしという人間は笑わせるだけでなく、泣かせることもできたのだ」(p.270-271)

この能力は、貧しい中にも笑いがあった少年時代に根ざしているのだろう。

他者の反応によって、自己のオリジナリティに気づいたチャップリン。自分の中に住む「普通の人とは一味違う何か」を発見し、自覚することが大事だと思った。

出所:チャールズ・チャップリン(中野好夫訳)『チャップリン自伝:若き日々』新潮文庫



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『チャップリン自伝:若き日々』(読書メモ)

チャールズ・チャップリン(中野好夫訳)『チャップリン自伝:若き日々』新潮文庫

大学時代に読んだチャップリンの自伝。貧しさのためにお母さんが発狂してしまうところだけを覚えていた。

読み返して感じたことは、チャップリンの基礎を作ったのは元役者だったお母さんである、ということ。

「母はわたしたちの前で、寄席の出し物だけでなく、いわゆる本場の舞台で見た女優たちの声色なども、いろいろ真似てみせてくれた。芝居の話をしてくれるときにも、彼女はいつもいくつかの役を見事に演じわけてくれるのだった」(p.26)

「いろんなエピソードを話すときも、すべて芝居仕立てで話してくれる。例えば、ナポレオンのあるエピソードを話すにしても、母はまず爪先立ちながら書斎の棚から本を取り出そうとするナポレオンの格好をしてみせる」(p.26-27)

最も印象に残ったのは、次の場面。

「そして、そのあと本を読んでくれたり、一緒に窓ぎわに坐って、道行く人の批評をしたりして、わたしをよろこばせてくれるのだった。つまり、眺めながら、いろんな話を創作するのである

たとえば元気そうな青年が、浮き浮きした足どりでやってくると、「ごらん、ホッパンスコッチさんがやってくるよ。なにか賭事をしにゆくところなのよ、ね。もしうまくいったら、自分と好きな女の子に、きっと古物の二人乗り自転車を買うつもりなのよ」

次はなにやらふさぎこんだ男が、とぼとぼとやってくる。「ははあ、あの人、家へ帰ると、大嫌いなシチューとパースニップの夕食が待っているんだわ」また、肩で風でも切るような歩きつきの男が通ると、「おやおや、カッコいい若者だけど、実はあの男、きっとズボンのお尻の穴を気にしているのよ」」(p.104-105)

チャップリンは、役者としての基礎や、創作の方法などを、お母さんという身近なロールモデルから知らず知らずのうちに学んでいたのだろう。改めて「親の影響力」の大きさを感じた。

今、アマゾンで調べたら、下巻(栄光の日々)も出ていることがわかったので読んでみようと思う。

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善にさとく、悪には疎くあることを望みます

善にさとく、悪には疎くあることを望みます
(ローマの信徒への手紙16章19節)

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