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『古代への情熱』(読書メモ)

シュリーマン(村田数之亮訳)『古代への情熱:シュリーマン自伝』(岩波文庫)

トロヤ遺跡を発見したドイツ人・シュリーマンは、語学の達人である。英語を皮切りに、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、スウェーデン語、ポーランド語、現代ギリシャ語、古代ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、ヘブライ語を、短期間で次々に習得してしまう。

果たしてどんな学習法なのか?

「非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日1時間をあてること、つねに興味のある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗唱することである」(p.27)

結構シンプルである。

14歳で学校を卒業したシュリーマンは小売店の丁稚を5年間務めたあと、オランダに渡る。ちなみに、ここまでは語学の勉強をしていない。

アムステルダムで得た職が「ヒマ」だったために、仕事をさぼったりしながら語学に打ち込むのだ。4年間のうちに、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語をマスターし、これを武器に、シュレーダー商会に入社する。この会社でビジネスの才覚が目覚め、事業家として成功し、そのお金で遺跡を発掘するわけだ。

ちなみに、この本は「自伝」とあるが、本当の自伝は第1章「少年時代と商人時代」の43ページほどだけである。その後の章は、シュリーマンの書籍を引用しつつ、誰かが編集したものなので、評伝に近い(しかも、あまり面白くない)。ただ、1章部分はめちゃくちゃ面白いのでおすすめである。

ところでシュリーマンが狂ったように語学を学び、商売に精を出したモチベーションはどこにあったのか?

それは、幼なじみの彼女と結婚したかったからである。結果的にそれはかなわなかったけれども、異性をものにするという目的は、大きなエネルギー源になるのだなと改めて思った。

なお、訳者の村田さんは「あとがき」で次のように述べているのが印象に残った。

「シュリーマンはまったく自分の力で成功したセルフメイド・マンの代表者である。その財産、地位、教養、学識はすべて自分の手で、また時には自分独自の方法によって、えたものである」(p.205)

セルフメイド・マンという言葉にぐっときた。もちろん、いろんな他者とのつながりの中で成長してきたのだろうが、基本的には人生を自分で切り開いてきたという感じを受けたからだ。自分も、セルフメイドを意識したいと思った。









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10打数1安打

デジタルメモ「ポメラ」やスマートフォン対応のメモ帳「ショットノート」をヒットさせたキングジム社長の宮本彰氏は、自社の開発のあり方を「10打数1安打」と呼ぶ。

「宮本がよく言う言葉に「10打数1安打」がある。独創的なヒット商品は9回はずれても10回目に当てれば十分お釣りがくる。だから自分は失敗した人を責めない。むしろなぜ売れなかったか、笑いながら分析したり、指摘し合ったりして次に生かす社風が大事なんだ。こう力説する」(p.91)

失敗を許容する文化とよく言うが、どこまで失敗が許されるのかが曖昧である。その点「10打数1安打」はわかりやすい。また、なぜ売れなかったかを、悲壮感を漂わせずに、気楽に議論することができるかどうか。これが革新的組織の特性であるように感じた。

出所:日経ビジネス2012年11月26日号

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わたしの神よ、わたしを御心に留め、お恵みください

わたしの神よ、わたしを御心に留め、お恵みください
(ネヘミヤ記13章31節)


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『マクベス』(読書メモ)

シェイクスピア(安西徹雄訳)『マクベス』光文社

向かうところ敵なしの将軍マクベスは、スコットランド王に忠誠を誓うまじめな家臣だった。しかし、魔女たちから「あなたは将来、王になる」と言われたばかりに、心が揺れ動く。

これに加えて、マクベスをあおる夫人。

「偉くなりたいという気はある。その野心もなくはない。けれど、それには欠かせぬ毒気というものが、あなたにはない。大きなことをやりたがっても、清らかな手でやりたがる。不正は嫌いだといいながら、不正を犯してでも手に入れたがる。あなたが欲しがっているものは、あなたに向かってさけんでいる。「ほしいなら、こうしなくてはならぬ」と。ところがあなたは、そんなことはやめようと思うより、ただそうすることを怖がっているばかり。早く帰っておいでなさい、ここへ、この私のところへ。あなたの耳に注いであげよう、私の胸の、この毒気を」(p.32)

たしかに、事をなそうとしたら「何らかの毒気」が必要なのだろう。企業の世界でも、政治の世界でも、芸能の世界でも、偉くなる人は「毒気」を持っているような気がする。夫人から毒気をもらったマクベスは、悪の道まっしぐらに突き進み、王を殺し、親友を殺し、邪魔者を殺しまくる。

「いったん悪を始めたからには、悪を重ねること以外、強くなる道はどこにもないのだ」(p.90)

欲にかられて泥沼にはまっていくマクベスの姿を見ながら、誰もが陥りやすい「悪魔のささやき」があるような気がした。
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瞬間瞬間で集中する

日経ビジネス2012年11月19日号に、キヤノン電子社長の酒巻久氏の記事が出ていた。酒巻社長は、ドラッカーの本を参考に経営を実践しているらしく、記事では、そのエッセンスが紹介されている。

その中で目にとまったのが「最も重要なことに集中せよ」という考え方。

ドラッカーいわく

「成果を上げるための秘訣を一つだけ挙げるならば、それは集中である。成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも、一度に一つのことしかしない」(p.86)

これはとても大事なことだと思った。某企業の営業改革の成功事例を研究していたとき、その会社も「一度に一つの行動変革に集中」することで成果を上げていたことを思い出した。

私たちは、たくさんの「やらねばならぬこと」を抱えているので、どれか一つに絞ることは不可能である。ただし、「今日はこれに集中する」「この時間はこれに集中する」ということは可能である。また、重要なことに多くの時間を投資することも大切だろう。何かをしているとき、「ああ、あれもやらなくては」と思ってしまいがちであるが、これは集中していない証拠である。

瞬間瞬間の集中力。これが学びのカギであるように感じた。



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しかし、働いたのは、実はわたしではなく

しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです
(コリントの信徒への手紙1・15章10節)
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世の中のしがらみから放たれて創作する

鴨長明は『方丈記』で、次のように語っている。

「いったい、出家遁世してからは、他人に対する恨みもないし、恐れることもなくなった。いのちを天の支配のままにまかせているのだから、惜しんで長生きしおうとも思わないし、また、生きていることがいやになって、早く死にたいとも思わない。わが一身は空に浮く雲と考えて、あてにもしないし、不足とも考えない。一生の楽しみは、うたたねをしている気軽さに尽きるし、この世の希望は四季おりおりの美しい風光を見ることに残っているだけだ」(p.113)

悟りきったかのようなこの言葉は本当だろうか。何も考えずに、うたたねをしながら、自然に親しむことが、幸せなのだろうか。

本書の解説を読むと、長明は、琵琶の名手で、歌人としてはプロであったらしい。彼は、単に自然に親しんでいたのではなく、その中で音楽を奏で、歌を作っていたがゆえに、孤独な生活の中でも生きがいをもって暮らすことができたのだ。現に、この方丈記が書かれたことが、創作活動を続けていたことの証である。

世の中のしがらみから放たれて、何かを創ることが生きがいのある人生につながるのではないか、と思った。

出所:鴨長明(梁瀬一雄訳注)『方丈記』角川ソフィア文庫


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『方丈記』(読書メモ)

鴨長明(梁瀬一雄訳注)『方丈記』角川ソフィア文庫

表紙の写真がきれいだったのと、現代語訳がついていたので買ってみた。

京都郊外に、四畳半ほどの家(なんと組み立て式で移動可能)を建てた長明は、そこで、人生のはかなさ、わびしさを語る。

解説によれば、下賀茂神社の禰宜だった人の次男であり、歌人としても活躍した長明だが、本書全体に、厭世的な考え方が満ちている。例えば、友人関係についての次の一文。

「いったい、人間の友人関係にあるものは、財産のある人を大切にし、表面的に愛想のよいものとまず親しくなるのだ。必ずしも、友情のあるものとか、すなおな性格なものとかを愛するわけではない。そんなことなら、人間の友人なんか作らずに、ただ、音楽や季節の風物を友とした方がましだろう。」(p.111)

ひとりぼっちだった長明が想像できた。

また、この頃、京都では火事やら地震やら竜巻が発生して多くの人が死んでいたらしい。郊外に小さな家を建てたことについて長明はつぎのように語る。

「やどかりは、小さい貝を好むものだ。これは事のある時の危険を知っているからだ。みさごは、荒磯に住みついている。それは、人間の近づくのを恐れるためだ。私もまた、やどかりやみさごと同じ。都に住むことのあやうさを知り、世の中のつまらぬことを知っているから、世俗の望みをいだかず、あくせくしない。ただ、静かなくらしを大切にし、苦労のないのを楽しみにしているのだ」(p.110)

今の世の中で長明のような生活をすることは難しい。しかし、本書をよむことで、世の中にずっぽりとはまっている自分に気づいた。

ときに、一歩下がって、自分の生き方を客観的に眺めることも必要かもしれない。






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主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない

主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない
(使徒言行録2章25節)

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シェイクスピアと知的所有権

最も優れた英文学作家と言われるシェイクスピアは、作品を作るにあたり、必ず何かを模倣、あるいは下敷きにしていた。安西徹雄氏は次のように説明している。

「よく知られているように、シェイクスピアはその劇作に当たり、さまざまな材源を参照しつつ、あるいは先行する劇などからヒントを得て、作品をつくりあげてきた。もちろんそれは、今日言われるような「盗作」などではなく、多くの原料を配合して素晴らしい効能を持つ製品へと完成させたと言うべきだろう」(p.156)

たぶん、シェイクスピアが現代に生きていたら、知的財産を巡る訴訟に巻き込まれていたに違いない。何かを生み出すために模倣が必要だとしたら、知的所有権がうるさい現代は、新しいものが生まれにくくなっているのかもしれない。

出所:シェイクスピア(安西徹雄訳)『ハムレットQ1』光文社


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