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ごく小さな事に忠実な者は

ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
(ルカによる福音書16章10節)

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活躍できる年齢

先日紹介した『天才の世界』の中で、領域や分野によって才能が花開く年齢・時期が違ってくるという話しが印象に残った。

湯川先生は次のように語っている。

才能発展の順序を考えれば、年齢の面で数学が早いわけですよ。それから物理、化学とか生物学、それから社会科学とか人文科学となると、長いことかかって蓄積して碩学になっていくわけです。たとえばトインビーという歴史家は、八十歳を越してあれだけのことをやっている。」(p314)

これは各分野で必要とされる能力やスキルが違うからだろう。柔軟な抽象的思考力やひらめきが要求される分野では、比較的若い段階で才能が発揮されるが、さまざまな情報や経験を積み重ねてそこから何かを発見することが求められる分野では、中年以降に才能が花開くといえる。

そう考えると、企業でも部署によって、活躍できる年齢というものがあるような気がする。商品開発や研究開発など、アイデアがものをいう部門では比較的若手が活躍し、熟練の技を要する生産現場では、中高年が中核となる。

自分の年齢を考えながら活動の場を設定し直すことも大切だと思った。
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『天才の世界』(読書メモ)

湯川秀樹『天才の世界』光文社

日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんが、対談形式で四人の天才(空海、石川啄木、ゴーゴリ、ニュートン)について語ったもの。

題材となった四人はそれぞれタイプの違う天才なのだが、感じたことは三つある。

まず、天才といえども模倣から始めていること。空海にしても啄木にしても、模倣→吸収→創造というプロセスをたどっている。

つぎに、何らかのつらい体験をエネルギー源とし、それを創造活動に昇華していること。

そして、ある時期に一気に才能を開花させている。ここぞというときに集中して何かを生み出すのである。

ただ、湯川さんはまえがきに次のように書いている。

「天才と呼ばれる人たちは、他の人たちから断絶した存在ではなく、いろいろな条件が相対的によかったが故に、客観的な価値の大きな仕事を成就することによって、創造性を誰の目にも明らかな形で顕在したのである。」(p.4)

つまり、私たちにも何らかの天才があり、それが花開いている人もいれば、才能が眠っている人もいるということだ。

ちなみに湯川さんは物理学者だが、幅広い教養を持っていて、人間的にも魅力のある人である。本書を通して、彼の人柄に触れることができる。

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あなたの父母を敬え

あなたの父母を敬え。
(出エジプト記20章12節)

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『ミザリー』(読書メモ)

スティーヴン・キング『ミザリー』文春文庫

たまにミステリー小説が読みたくなる。しかし、外国のミステリーはやたらと殺人事件が起こって人が死ぬのであまり好きになれない。

本屋をうろついていたら、以前映画化された『ミザリー』が目にとまったので読むことにした。少し怖そうだけど、この小説は男性が女性に監禁されるだけだから大丈夫だろうと思ったからだ。

読み始めて、それが大間違いであることに気づいた。

「交通事故で半身不随になった人気作家が、ファンの女性に監禁され恐怖を味わう」というストーリーは知られているが、その恐怖が半端じゃない。

「変わっていて、少し癇癪持ちなのかな」くらいに思っていた女性アニーだが、徐々に本性を現わしはじめ、彼女の恐ろしい過去が明らかになると、主人公ポールは地獄の底へと突き落とされる。そのへんの怖さは、実際に読んで味わってほしい。

本書が普通のミステリーと違うのは、「小説家としての成長」が描かれていること。大衆小説から足を洗い、純文学を目指しはじめたポールだが、監禁の中で無理やり大衆小説を書かされる(ミザリーという女性が主人公のシリーズ)。

しかし、アニーからの駄目出しや、満足したものを書かないと殺される(書き上げても殺されるのだが)という恐怖の中で、小説家としての力が研ぎ澄まされていく。次の解説のとおり。

「皮肉なことに、アニーが無理強いして彼に書かせはじめた小説が、ミザリーものの最高作となろうとしている。」(p.310)

ポール自身も小説の世界へと引き込まれる。

「小説を書き始めるときは、それがどう展開するのか、自分ではわかっているつもりだけど、実際は、結末がそのとおりになった試しはないんだ。」(p.421)

本書を読んで感じたのは、最高の仕事というものは、自分が「やりたいと思った仕事」よりも、「やらなければならい仕事」「逃げ場のない状況」から生まれるのかもしれない、ということ。

ちなみに、本書の最終ページは、プロフェッショナルとしての小説家のつらさと喜びがこもった素晴らしいエンディングである。
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『七人の侍』(映画メモ)

黒澤明監督『七人の侍』

先週、黒澤本を読んだので、三十数年ぶりに『七人の侍』を観た。

やはりすごい迫力である。

困っている農民を侍が助ける、という単純なストーリーを、「侍集め」→「戦いの準備」→「戦い」という三つのパートに分けたうえで、緊張と笑いのメリハリを利かせながら、グイグイと観客を最後まで引っ張っていくパワーは圧倒的だ。

侍の中で一番印象に残ったのは、宮口精二さん扮する久蔵である。寡黙だが、居合の達人で、しかも優しい。ふっといなくなったと思ったら敵である野武士から銃を奪ってくるのがなんとも渋い。

当然、三船敏郎さんの菊千代は中心的存在だが、なぜかインパクトがあるのはしたたかな農民たち。「侍を雇うだ」と提案した村の長老・儀作、野武士に妻をさわられて復讐心に燃える利吉、自分の娘を助けるために男装させるずるい万造など。

侍ばかりに脚光が当たりがちだが、この映画は農民役の方たちの演技が光っているように思えた。

ただ、事前に解説本を読んでいたので、どうも「分析的」「客観的」に観てしまい、映画の世界に入り切ることができなかったのが残念。解説本は映画を観てから読んだほうが良いことがわかった・・・
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すべてのものは

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。
(ローマ人への手紙11章36節)
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マネジャーの気力

先日紹介した『黒澤明と「七人の侍」』の中で、黒澤明が体調を崩す場面が出てくる。

その時のことを黒澤さんは、次のように振り返っている。

「演出家の体が弱っているということは恐ろしいものだね。それが作品の上に如実に現れるのだ。俳優さんに催眠術がかけられない―っていっちゃおかしいが、ともかくこっちの気持ちにどうしても乗り移らせることが出来なくなるんだ。そうしたいと思ってもその気力が何としても生まれて来ないのだよ。体の調子は大切ですよ。一番大切です。」(p.182)

これは職場をあずかる管理職も同じではないか。

メンバーは同じなのに管理職が変わると業績がガラッと変わる、という話をよく聞く。これは管理職がメンバーに「催眠術をかける」「気持ちを乗り移らせる」からだろう。そのためにも「体力」や「気力」が必要になる。

黒澤明の言葉を読んで、その人から出る「」のようなものはあるんだな、と感じた。
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『黒澤明と「七人の侍」』(読書メモ)

都築政昭『黒澤明と「七人の侍」』朝日文庫

小学2,3年生の頃に「七人の侍」を観たが、子供だったにもかかわらず、クギづけになったのを覚えている。

本書の面白さは、「七人の侍」の企画が生まれてから撮影が終了するまでを、作成側から追体験できること。

心に残ったのは、黒澤明の映画づくりのスタイル。シナリオを書くときと、映画を撮るときではモードが異なるのだ。

映画を撮るときは、すべて自分のイメージ通りに進めなければ気が済まないらしい。納得がいかないと何度でもやり直しをさせ、予算がいくらオーバーしようがおかまいなし。夜はスタッフを集めて宴会し、自分が話しまくる。ほとんど独裁者である。

これに対しシナリオを書くときには、分担執筆をする。黒澤明と橋本さんという方が同時並行的にシナリオを描き競争する。出来上がったシナリオを、小国さんという方が審判役となり批評するという手法だ。

なぜ才能あふれる黒澤明が共同で執筆するのか?

その理由は「一人で書くと、ものの見方が大変一面的になる」(p.32)から。

全体の計画を作るときには、独りよがりになることを戒めるが、いったん構想ができあがると、こんどは思いっきり独りよがりになる。黒澤さんは「良いもの」をつくるツボを心得ている人だな、と思った。
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自分を低くして、この子供のようになる人が

自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ
(マタイによる福音書18章4節)
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