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『わたしは、ダニエル・ブレイク』(映画メモ)

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年、ケン・ローチ監督)

イギリスの福祉政策を批判した作品。

40年間、大工としてまじめに働いてきたダニエル・ブレイク(デイブ・ジョーンズ)は心臓病で仕事ができなくなってしまう。しかし、制度の不備から医療補助を受けることができず、なぜか就職活動をしなければならないはめに。

そんな中、役所で偶然出会ったシングルマザー、ケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)とその子供たちをサポートするうちに、暖かい交流が始まる。

この映画で衝撃的だったのが、ケイティが食べ物をもらうためにフードバンクに行く場面。空腹の極限状態だったケイティは、突然缶詰を空けて食べてしまったのだ。その後、壊れた靴を履いていた娘のデイジーが学校でいじめられているのを知り、身体を売ってお金を稼ぐことを決意する…

一方、徐々に追い詰められていくブレイクは、ケイティ一家をサポートすることができなくなり家に引きこもってしまう。そんな彼をデイジーが訪ねていく場面が感動的である。

あなたは以前わたしたちを助けてくれたでしょ。私にも助けさせて

厳しい社会を生きる上で、支え合える仲間の大切さを感じた。


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キャリア自律のための問い

神戸大学の平野光俊先生によると、従業員の側から主体的にキャリアを構築する「キャリア自律」を実現するためには、次の3つの視点が重要になる。

①Self
②Meaning
③Life


すなわち、①自己概念や自己意識を確立し、②これまでの仕事を現在・将来のキャリアに意味づけ、③仕事だけでなくキャリアを人生全体の問題としてとらえるとき、主体的なキャリアを形成することができるという。

自分らしさ」という自己概念から考えると、以下の質問に答える必要があるだろう。

①自分らしさとは何か?
②自分らしい仕事をしているか?
③自分らしく生きているのか?


うーん、なかなか難しい問いである。

出所:『ビジネスインサイト』(Winter 2018) No. 104, p.5.

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隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか

隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか
(ヤコブの手紙3章12節)

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今の自分にたどり着くための過程

 『フリーター、家を買う』の文庫版あとがきで、作者の有川浩さんは、次のように述べている。

もし人生をやり直せるなら、どこからやり直したいですか?作家になってしばらく、そんなご質問を受けたことがあります。やり直したくありません、とお答えしました。バカだったことも苦い間違いもかいた恥も、すべてが今の私にたどり着くために必要な過程だったと思います。時間を遡ってバカだった自分を必つごまかしたら、きっと今、作家になって自分なりに全力を尽くしている私にはたどり着けていないと思うのです」(p. 386-387)

今の自分にたどり着くための過程、という言葉が響く。

いろいろな経験が今の自分を創り上げている。そのことを意識することは大事だなと思った。

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『ジェイン・オースティンの後悔』(映画メモ)

『ジェイン・オースティンの後悔』(2008年、ジェレミー・ラヴァリング監督)

女性の職業人が少なかった19世紀初頭、英国で活躍した作家ジェイン・オースティン。『高慢と偏見』などの作品で有名らしい。

ジェイン(オリヴィア・ウィリアムズ)は、ある人からのプロポーズを断ってから母や姉と独身暮らし。小説執筆に夢中になり、気づいたら中年になっていたジェイン。姪の結婚相談を機に、「これでよかったのか?」と自分の人生を振り返るという物語である。

「この人生が必要だった。思っていたより、はるかに幸せ。もったいないほど」という言葉が響いた。

自分の才能を磨くことと、家庭を持つこと。女性にとってこの二つを両立することは難しい。ワーク・ファミリー・バランスの問題について考えさせられた。
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わたしを遣わされたのは、一体なぜですか

わたしを遣わされたのは、一体なぜですか
(出エジプト記5章22節)


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『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/パプワース16、1924年』(読書メモ)

サリンジャー(金原瑞人訳)『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/パプワース16、1924年』新潮社

サリンジャー最後の作品「パプワース16、1924年」を含む短編9作品が収録された書。このうち最初の6編は『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドが関係する作品である。

本書を読んで感じたのは、サリンジャーの戦争体験が思いっきり出ているということ。最も感動したのは表題にもなっている「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」だ(ちなみに、内容とタイトルはほぼ関係ない)。

主人公はホールデンの兄ヴィンセント。34名の兵隊が乗るトラックの中で、ダンスに行く人選をする軍曹である。ダンスに行けるのは30名だけなので、4名は置いていかなければならない。その調整をしている最中に、戦争で行方不明になった弟ホールデンのことを思い出す

「行方不明、行方不明、行方不明。嘘だ!だまされているんだ。あいつは行方不明になんかなっていない。あいつほど行方不明になりそうにない人間はほかにいないくらいだ。あいつはいま、このトラックに乗っていてもおかしくない。ニューヨークの家にいてもおかしくない。ペンティ・プレップスクールにいるのかもしれない(「どうぞご子息をわが校へ。立派な大人に鍛えあげます―わが校の施設はすべて耐火建築で…」)。そうだ、あいつはペンティ校にいて、まだ卒業していないんだ」(p.87-88)

戦争の恐ろしさが強烈に伝わってくる作品である。

サリンジャーは1942年に陸軍に入隊し、1944年にノルマンディー上陸作戦に参加した経験を持つらしい。

彼の作品は、一見能天気な雰囲気に満ち溢れているが、その根底には「戦争」が存在することがわかった。









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「らしく」ふるまう

歌舞伎の松本白鷗(元松本幸四郎)さんは「人間としての進化」について次のように語っている。

「我々の世界に、「『ぶる』のではなく『らしく』しろという言葉があります。「何々ぶる」のは自分にまだ自信がないんでしょうね。しかし、自信を持って「何々らしく」していれば、人間はやがて自然と進化して来るんです」(p. 9)

「ぶる」人は、表面だけ真似しようとするため自然さがないのだろう。それに対し、「らしく」ふるまう人は、理想形を意識し、それに近づける努力をしているのかもしれない。

らしさ」を意識したいと思った。

出所:ノビテクマガジンVol. 23, p. 9



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『キューポラのある街』(映画メモ)


『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督)

吉永小百合の気迫ある演技に、わし掴みにされてしまった。

舞台は鋳物工場が立ち並ぶ埼玉県川口市。ちなみに、キューポラとは直立煙突のこと。

中学3年のジュン(吉永小百合)は、学力優秀なのだが、職人の父ちゃんがリストラにあったり、お母さんに子どもが生まれたり、小学生の弟がグレかかったり、不良に襲われかけたり、いろいろ大変な状況に陥る。

そんな逆境に負けずに、人生に立ち向かうジュンを見ていると、素直に感動してしまうのであった。

今まで、お嬢様俳優なイメージのあった吉永小百合さんの印象が180度見方が変わった(というより、吉永小百合の映画を観るのはこれが初めてなのだが・・・)。

この映画は間違いなく「名作」である。







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わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを
(ローマの信徒への手紙5章3節)

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