松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
岩波書店のすごさ
『改訳 愉しき放浪児』(アイヒェンドルフ、関泰祐訳、岩波文庫)の「改訳」がいつだったのかを調べたら1952年であった。
ちなみに、第1刷が発行されたのが1938年(昭和13年)である。
2015年の時点で16刷なのだが、80年間も本書が読まれていることに驚くと同時に、長きにわたって出版し続けている岩波書店のすごさを感じた。
ちなみに、第1刷が発行されたのが1938年(昭和13年)である。
2015年の時点で16刷なのだが、80年間も本書が読まれていることに驚くと同時に、長きにわたって出版し続けている岩波書店のすごさを感じた。
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『改訳 愉しき放浪児』(読書メモ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/4b/eaddfbeab4dfc63cd99db944fb39bf9f_s.jpg)
水車小屋で働く親父から「こののらくら者め!お前も世間へおん出て、自分でくらしの道をたてろい」(p.3)と言われた「ぼく」は、故郷を離れ、得意のヴァイオリンを携えて旅にでる。
その後、二人の伯爵令嬢と出会い、ウィーンの家で庭師として働き、やがて収税吏に引き立てられるも、イタリアに向けて旅立つ。そして、さまざまな出会いを経て、伯爵家に戻り、令嬢と結ばれるという物語である。
なにもかも上手くいきすぎてわざとらしいストーリーなのだが、なぜか読んでいて楽しい。それは、主人公の「ぼく」が前向きで、その姿勢が「さまざまな縁」を創っていくように思えるからだ。
本書で一番印象に残ったのは、せっかく安定した職である収税吏に就いたのに、それを捨てて旅に出るところ。
「ぼくはここから出ていかなくちゃならない。空が青々としているかぎり、どこまでもどこまでも!」(p.31)
前向きに夢を追い求めることの大切さが伝わってきた。
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『シングルマン』(映画メモ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/6e/1b675d889c32324d6e29a3f9d234ecc1_s.jpg)
『英国王のスピーチ』に出ていたコリン・ファースが主演なので観てみた。
大学教授のジョージ(コリン・ファース)は、16年間連れ添った同性パートナーであるジム(マシュー・グッド)を交通事故で失い、生きる気力を失う。
身の回りの物を整理し、ピストル自殺をしようとしていたジョージだったが、友人シャーロット(ジュリアン・ムーア)(ちなみに元カノでバツイチ女性)や、ジョージの自殺を察知した大学生ケニー(ニコラス・ホルト)のサポートにより、自殺を思いとどまるのだが…
大きな「つながり」が切れても、他の「つながり」に支えられながら生きることができる。そんなことを感じさせる映画である。
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しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。
しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。
(使徒言行録27章22節)
(使徒言行録27章22節)
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強みを軸に仕事を広げる
『ワインズバーグ、オハイオ』(上岡伸雄訳、新潮文庫)の訳者あとがきによれば、著者のシャーウッド・アンダーソンは、短編が高く評価されているのに対し、長編作品はあまり評価されていないらしい。しかし、短編作品だと、なかなか後世に残りづらい。
では、なぜ『ワインズバーグ、オハイオ』がアメリカ文学において重要な位置づけにあるのか?
それは、この作品が短編集ではあるものの、同じ町で起こった出来事を、中心人物であるジョージ・ウィラードを絡ませながら描いているからである。つまり、短編と長編を組み合わせた小説になっているのだ。
ドラッカーの本を読むと「強みを生かせ」という言葉が何度も出てくるが、シャーウッド・アンダーソンは自分の強みである「短編」を前面に出しながら、長編としても読める小説を書いたからこそ、後世に残る作家になったといえるだろう。
あらためて、「自分の強みを軸にして、仕事を広げる」ことの大切さを感じた。
では、なぜ『ワインズバーグ、オハイオ』がアメリカ文学において重要な位置づけにあるのか?
それは、この作品が短編集ではあるものの、同じ町で起こった出来事を、中心人物であるジョージ・ウィラードを絡ませながら描いているからである。つまり、短編と長編を組み合わせた小説になっているのだ。
ドラッカーの本を読むと「強みを生かせ」という言葉が何度も出てくるが、シャーウッド・アンダーソンは自分の強みである「短編」を前面に出しながら、長編としても読める小説を書いたからこそ、後世に残る作家になったといえるだろう。
あらためて、「自分の強みを軸にして、仕事を広げる」ことの大切さを感じた。
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『アナライズ・ミー』(映画メモ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/16/a2/91cbd1fa8abb5533e31795c7a5386fa6_s.jpg)
タクシードライバーに引き続きデニーロ・モノを観たが、コメディとしてシンプルに楽しめる映画である。
パニック障害に悩むマフィアの親分ヴィッティ(ロバート・デニーロ)が、たまたま出会った精神分析医ソベル(ビリー・クリスタル)に治療を依頼する(というか強制する)。ちょうど結婚式(再婚)を控えていたソベルだったが、ヴィッティが強引に治療を迫り、マフィアの抗争に巻き込まれる、というストーリー。
印象に残ったのが、ソベルの治療場面。
男と別れたくないと訴える女性患者に対し、「そんなダメ男とはさっさと別れろ!」と心の中で叫んでいるのだが、実際には「うーん。難しい問題ですね。引き続き一緒に考えましょう」と冷静に対処するソベル。
分析医も大変だな、と思った。
また、ヴィッティの代わりにマフィアの会合に出ることになったソベルが「何かしゃべる時は、訳のわからんことを話せ」とアドバイスを受け、「分析医だから それは得意だ」と答えたときにはウケた。
結局、精神分析モノのお決まりである「過去のトラウマ」で決着がついてしまうところは不満だが、コメディ映画のデニーロも意外と良かった。
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口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。
口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。
(箴言10章19節)
(箴言10章19節)
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『我が家の問題』(読書メモ)
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家族をテーマにした短編集。どれも質が高く「ほろっとさせる」作品ばかりである。
最も良かったのは「夫とUFO」。
「実はさ、UFOがね、おれを見守ってくれてるんだよね。最近は彼らと交信も出来るようになってさ。なんか、いい感じなわけ」(p. 159)
驚いた妻は、UFOや精神病関連の本を読みまくって勉強し、夫を尾行し、探りを入れる。
そしてわかったのは「夫の働きすぎ」が原因であったこと。
夫を助けようと必死になる妻が子供たちに放った「これからお父さんを救出してきます」(p. 197)というセリフにグッときた。
夫婦の愛について考えさせる作品である。
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名声とつながり
『ブレイク詩集』(岩波文庫)の巻末に掲載されている「ブレイク略伝」(松島正一著)が面白かったので紹介したい。
「ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)は、今日ではイギリス・ロマン派の詩人・画家として知られているが、生存中は詩人・画家としての収入はほとんどなく、一介の彫版師として、また下絵かきとして生計をたてていた」(p. 321)
さらに、イギリスを出たこともなく、ロンドンの庶民として生きた人であったらしい。
ただし、芸術家としての自信はあって、詩集を出版したり、個展を開いたりしたのだが、世間からはまったく評価されなかったという。
「1817年、ブレイクは60歳になったが、彼の貧困状態は以前にもましてひどかった。彫版師としての旧式な技法は時代の流行から取り残されてしまっていたし、彼が力を注いだ著作によってはほとんど収入は得られなかった」(p. 338)
ここまで読んで、いたたまれない気持ちになったが、次の箇所で救われた。
「ブレイクの生活は金銭的には相変わらず恵まれなかったが、1824、25年頃からリネルを介してブレイクのもとに若い芸術家たち、パーマー、ジョージ・リッチモンド(1909-1896)、カルバート、フランシス・オリヴァー・フィンチ(1802-1862)らが集まってきた。子どものなかったブレイク夫妻は、若い芸術家たちに囲まれて精神的に豊かな晩年を送ることができた」(p. 339)
改めて、豊かな人生の鍵は「名声」ではなく「つながり」だな、と感じた。
「ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)は、今日ではイギリス・ロマン派の詩人・画家として知られているが、生存中は詩人・画家としての収入はほとんどなく、一介の彫版師として、また下絵かきとして生計をたてていた」(p. 321)
さらに、イギリスを出たこともなく、ロンドンの庶民として生きた人であったらしい。
ただし、芸術家としての自信はあって、詩集を出版したり、個展を開いたりしたのだが、世間からはまったく評価されなかったという。
「1817年、ブレイクは60歳になったが、彼の貧困状態は以前にもましてひどかった。彫版師としての旧式な技法は時代の流行から取り残されてしまっていたし、彼が力を注いだ著作によってはほとんど収入は得られなかった」(p. 338)
ここまで読んで、いたたまれない気持ちになったが、次の箇所で救われた。
「ブレイクの生活は金銭的には相変わらず恵まれなかったが、1824、25年頃からリネルを介してブレイクのもとに若い芸術家たち、パーマー、ジョージ・リッチモンド(1909-1896)、カルバート、フランシス・オリヴァー・フィンチ(1802-1862)らが集まってきた。子どものなかったブレイク夫妻は、若い芸術家たちに囲まれて精神的に豊かな晩年を送ることができた」(p. 339)
改めて、豊かな人生の鍵は「名声」ではなく「つながり」だな、と感じた。
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