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わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである
(ルカによる福音書5章32節)

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継続、模索、気づき

新素材の研究を行う「材料科学」という分野で、歴史を覆すような大発見を連発している東京工業大学の細野秀雄教授。以前、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で研究の様子を観たことがある。

「僕は、他人が作ったものを改良することには、全く興味がない。オリジナリティだけで食べているようなものです」と語る細野氏だが、どうしたらオリジナルの研究ができるのか?

どうも3つのポイントがあるようだ。

1.これと決めたら継続する

「研究で成果を上げる秘訣は、これと決めたら継続することです。材料の研究では、一つのテーマに最低10年はかけないと新しい成果には結びつかない。本当に重要だと思ったら、あきらめず、細々とでも続けることが大切です」

2.多方面から模索する

「初めに描いたストーリー通りに研究が進むだけでは大きな成果は得られない」

3.見逃さない

「研究を始めると、予想もしていなかったことが次々と起こる。それを「いかに見逃さないか」が大切なんです」

要は、「継続→模索→気づき」がオリジナリティにつながるということだろうか。このうち、最後の「気づき」がポイントかもしれない。「これは面白いかも」「ひょっとすると」という感触である。人はどうしても、初めの計画や仮説にこだわってしまいがちだ。計画通りに行かないことを面白がる姿勢が大切なような気がした。


出所:「オリジナリティへのこだわりが比類なき成果を生み出す」日経ビジネス2012年12月17日号
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安らかに信頼していることにこそ力がある

安らかに信頼していることにこそ力がある
(イザヤ書30章15節)

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『つぶれた帽子』(読書メモ)

佐藤忠良『つぶれた帽子 佐藤忠良自伝』中公文庫

日本を代表する彫刻家である佐藤忠良氏の自伝である。

69歳のとき、憧れのパリで個展の話がもちあがったときのことを、佐藤氏は次のように書いている。

「「パリの市立美術館で個展を開かないかという話があるのですが」アトリエで電話をとった私は、初めだれのことかわからずに聞き返したが、私の個展と知って、ウソのようだが、ガタガタと足が震え始めた」(p.163)

そんな大それたことはできないと即座に断ってしまう佐藤氏(もったいない)。しかし、それから3ヶ月して、さらに話が来て、結局パリで個展を開くことになる。なかなかの反応でパリの個展を終えた佐藤氏のもとに、批評の記事が送られてきた。

「帰国後、新聞や雑誌の紹介文やら批評などを送ってもらったが、二十いくつかの記事のうち七つに「母の顔」の写真が載っているのには驚いた。学生くさい初期の作品なので、はずかしいからと尻込みするのを、私のアトリエに来たモニク・ローラン館長の強い薦めで出品したのだけれど、人生の終盤に来て、人に言われて初心を教えられた思いだった」(p.105-107)

この「母の顔」という彫刻が本書に収められているのだが、すごいインパクトである。

パリの人々は、国境を越えて「母」を感じたのだろう。技術や技巧を超えて、伝えるべきモノの迫力が大事になることがわかった。




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1番を目指すレースから離れる

15年前に国際ボランティアとしてアフリカで働いていた保健師・北山翔子さんは、HIVに感染してしまう。しかし、HIV医療が進歩したため、今では、1日1回計4錠の薬をきちんと飲んでいれば健康な人と同等の免疫力を保つことができるという。

北山さんは言う。

「この病気になったおけげで、生きることが楽になったなと思う部分もあるんです。自動車レースにたとえるなら、誰もが1番でゴールすることを目指す社会に、それまでは私も身を置いていたんでしょうね。でも、病気になったことで私は車を乗り捨てて、レースコースを離れて自分の足で、身ひとつで歩き始めた。これからは、険しいだろうけど、途中で出会った人と助け合いながら自分の道を歩んでいくんでしょう。レースコースからは遠く離れたけれど、そこからが本当の私の道なのかな、なんて思います」(p.8)

「生きることが楽になった」という言葉が響いた。確かに、世の中のほとんどは「1番を目指すレース」である。このレースから離れるには勇気がいるが、本来の自分を見つけるために必要なことかもしれない、と思った。

出所:ビッグイシュー日本版204号(2012.12.1)


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あなたは、冷たくもなく熱くもない

あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
(ヨハネの黙示録3章15節)

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『はじめての後輩指導』(読書メモ)

田中淳子『はじめての後輩指導』日本経団連出版

後輩や部下の指導のあり方について、とてもわかりやすく書かれた本である。さまざまな事例が盛り込まれているので、本書を読んだ人は、次の日から何か応用できるだろう。

最も印象に残ったのは「仕事の全体像や目的」をきっちり説明することの大切さ。次のたとえ話が心に残った。

「わかりやすい例で考えてみましょう。修行中のコックさんです。調理師免許を取り、老舗の洋食屋に入店します。先輩からは、「ジャガイモ洗って、むいておいて」といわれます。最初は、仕事を与えられた喜びでいっぱいでしたが、しばらくすると、くる日もくる日もジャガイモを洗うことに飽きてきます。作業は少しずつ荒くなるかもしれません。もしそのとき、「このジャガイモは、うちの創業当時からの名物メニューであるコロッケに入れるものなんだよ。だから丁寧に洗って」と指示されたらどうでしょうか。「あ、そうだった。あのコロッケのジャガイモをむいているんだ」と仕事に対する取り組み方が変わってくることでしょう。仕事は、単に部分として与えるのではなく、なぜそれをするのかや、全体とのつながりまでがイメージとしてつかめるように伝えることです」(p.56-57)

こうした説明は日本人が苦手とするところだろう。「そんなこと言わなくったってわかるだろう」と「あ・うん」の呼吸で済ませてしまいがちだ。しかし、上司や先輩もそのうち「何のためにしているんだっけ?」と仕事の目的や意味が無意識の中に沈んでしまう。部下や後輩に教えることで、改めて仕事の意味を再認識できるのではないか。

もう一つインパクトがあったのが挑戦のさせかた。著者の田中さんが新人の頃、はじめてお客様に出向き製品・サービスを説明することになった。不安そうな田中さんに対し、先輩が次のように言ったという。

「田中さん、何か合図を決めておこう。お客様の質問に困ったり説明に詰まったりと、とにかく助けてほしいと思ったら、右側のほっぺたをさすってくれる?たぶんぼくは右側に座ると思うので、右側のほっぺたにそっと手を当ててくれれば、すかさず助け舟を出すから。そうでないかぎりは、自分でがんばってごらん」(p.97)

田中さんは、「右のほっぺた、右のほっぺた」と呪文のように唱えながらも、お客様への説明や質問への回答を無事こなし、最後まで頬をさわることがなかったという。

挑戦するためには、失敗しても大丈夫という安心感が必要である。組織学習研究ではこれを「心理的安心感(psychological safety)」と呼ぶ。「右のほっぺた」は、まさにこの安心感を与えることで、挑戦を後押ししているのだ。

このほかにも、本書にはたくさん後輩・部下育成のヒントが詰まっている(僕もさっそく使おうと思った方法がいくつかあった)。ちょっとした工夫や配慮が、人の成長を刺激するのだな、と感じた。




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つばさ

先日紹介した『新編 あいたくて』から、工藤直子さんの詩をもう一つ紹介したい。

つばさ

ひとはみな
みえない つばさを もっている

その みえない つばさで
いっしょうけんめい
はばたいている

なにか「ちいさな決心」をしたとき
せなかのあたりが
シャッキリするではないか?

うんきっと みんなの せなかに
みえない つばさは ある!

ぱたぱたぱた
ぱたぱたぱた



出所:工藤直子『新編 あいたくて』新潮文庫(p.118-119)




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『新編 あいたくて』(読書メモ)

工藤直子(絵・佐野洋子)『新編 あいたくて』新潮文庫

何気なく本屋を歩いていたら、佐野洋子さんの書いた表紙が目にとまり、本書を買った。柔らかい言葉で書かれた工藤直子さんの詩は、すっと心に入ってくる。一番良かったのは「手ざわり」(p.114-115)という詩。

手ざわり

ひとの こころのなかには
ことばにならない「よびかけ」が
たくさん たまっているのかな
(おーい おーい どこに いる?
おーい おーい だれか いる?)

だから ひとは ときどき
とほうにくれて ぼんやりするのかな
わけもわからず ないたりするのかな

でも ひとは なぜか しっている
「みえない手」って きっとある と

だって そんなときだもの
(いま「みえない手」が
あたまを なでてくれた!)と
手ざわりを かんじられるのは



この詩を読み、いつも「手ざわり」を感じていたい、と思った。

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悔い改める者は恵みの御業によって贖われる

悔い改める者は恵みの御業によって贖われる
(イザヤ書1章27節)

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