松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『自由からの逃走』(読書メモ)
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精神分析の観点から社会を分析した本書は、ファシズムの脅威が広がっていた1941年に出版されている。
本書の基本的なメッセージは次の通りである。
「中世が崩壊して、宗教改革と資本主義がすすむと、個人は自由になった。しかし、地域の絆が弱まり、競争社会に突入したことで、個人は孤独と不安の中に投げ込まれ、自由から逃避しようとする。結果的に、人々は権威に服従したり、社会の歯車となって画一的な生き方を志向するようになるが、そうした社会の傾向がファシズムの温床となる」
この考え方は、現代社会にも適応できそうだ。
特に、競争がもたらす不安の中で、画一的な生き方をして安心しようとする傾向は、我々の中にも存在する。
では、そうならないためにはどうしたらいいのか?
フロムの答えは「自発的な活動」「愛」「創造的仕事」である。
「自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲することなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道である。というのは、ひとは自我の自発的な実現において、かれ自身を新しく外界に―人間、自然、自分自身に―結びつけるから。
愛はこのような自発性を構成するもっとも大切なものである。しかしその愛とは、自我を相手のうちに解消するものでもなく、相手を所有してしまうことでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我の確保のうえに立って、個人を他者と結びつけるような愛である。(中略)
仕事もいま一つの構成要素である。しかしその仕事とは、孤独を逃れるための強迫的な活動としての仕事ではなく、また自然との関係において、一方では自然の支配であり、一方では人間の手で作り出したものにたいする崇拝や隷属であったりするような仕事でもなく、創造的行為において、人間が自然と一つとなるような、創造としての仕事である」(p. 287)
孤独と不安が渦巻く競争社会の中でも、「愛を持って、創造的な仕事」をすれば、真の自由を生きることができる、といえる。
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『私の小さなお葬式』(映画メモ)
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ロシアの小さな村で一人暮らしをしているエレナ(マリーナ・ネヨーロワ)は元教師で、都会で働く息子のオレク(エフゲニー・ミロノフ)はたまにしか家に帰ってこない。
ある日、心臓の病気でいつ死んでもおかしくないと医師に宣告されたエレナは、自分の葬式の準備を始める。
夫に先立たれたエレナだが、同じような境遇の友達がいるところが田舎のよいところ。
エレナの物語のようなのだが、実は、息子エレクの物語にもなっているのが本作の特徴である。
都会で成功し、アウディに乗って家に帰ってくるエレクに「お前は幸せかい」と聞くエレナ。
しかし、「田舎にいてはダメ」と都会の大学で学ばせたのもエレナなのだ。
しあわせとは何か、について考えさせる作品である。
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過去のあなたは小さなものであったが 未来のあなたは非常に大きくなるであろう
過去のあなたは小さなものであったが 未来のあなたは非常に大きくなるであろう
(ヨブ記8章7節)
(ヨブ記8章7節)
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『終わった人』(読書メモ)
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還暦が近いので読んでみた。
東大法学部卒で、都市銀行のエリートコースを歩んでいた田代壮介だったが、50代に入って出世競争に敗れ、社員30人ほどの子会社・専務で退職することに。
「『終わった人』という現実がありながら、まだ仕事をしたがっている。趣味には生きられない。とどのつまりは、こうして死ぬまで息を吸って吐いているしかないのか」(p.106)
フィットネスジムに行くもののジム仲間に入る気にならず、ハローワークで仕事を探しても華麗な学歴が邪魔して見つからない壮介。家でグチっているうちに、奥さんにも嫌がられてしまう。
そんな壮介に、成長企業から「顧問になってくれないか」というオファーが来て、急展開に。
終わり方に少し不満があったが、なかなか面白かった。
ちなみに、ボクシングのレフリーを(副業的に)している二宮という友人が出てくるのだが、この人の生き方は良かった。
「俺、夢があるんだ」「男子の世界戦を裁きたい。女子の世界戦は裁いているけど、いつか必ず男子をやる。夢が叶ったら招待するよ」(p.105)
そういえば、いつのまにか「夢」を持っていない自分に気づいた。
仕事でも趣味でも、夢を持ち続けることが大事なのかもしれない。
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『エレナの惑い』(映画メモ)
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これはとても怖い映画である。
資産家の夫(アンドレイ・スミルノフ)と再婚した元看護士エレナ(ナジェジダ・マルキナ)。高級マンションで不自由のない生活を送っているが、元夫の間にできた息子の家族が働かないため、毎月、生活費を渡している。
あるとき、心臓発作で倒れた夫が遺言書を書くことに。なんと、財産のほとんどは娘に譲り、エレナには細々とした年金のみ。果たして、エレナはどう出るのか?
エレナの行為も恐ろしいが、平穏な雰囲気で終わるエンディングはもっと恐ろしかった。
(はっきり言って「惑い」どころではない)
まったく働く気のないぐうたら息子を見ていたらムカムカして、途中で見るのを止めようかと思ったが、後半の展開はすごかった。
人間の持つ闇を、淡々と描きだしたズビャギンツェフ監督。さすがである。
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今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。
今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。
(ルカによる福音書6章21節)
(ルカによる福音書6章21節)
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『潮騒』(読書メモ)
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舞台は愛知の歌島。
学校を卒業し漁師になったばかりの新治は、有力者の娘で、海女の初枝に恋をする(ちなみに、相思相愛)。しかし、顔役の息子である治夫も初枝を狙っているため、新治と初枝は引き裂かれそうになる。果たして恋の行方は?
天才的な筆使いは相変わらずだが、いつもの三島特有の計算的な筋立てはなく、純愛を描いているストーリーに少し驚いた。
解説を書いている佐伯氏によれば、三島作品の中でも、これほど素直な筋立ては本作だけだという。
「小説の筋立てにも、ほとんどいつも血の匂い、背徳、反逆の雰囲気が色こく立ちこめていた。異常なもの、偏奇なもの、病的なものをくり返し取り上げずにいられなかった。ところが、この『潮騒』からは、そうした一切の異様、異常なものが払いのけられている」(p. 202-203)
ちなみに、本作を引き立てているのは、新治に片思いしている、灯台長の娘・千代子である。東京の大学で学んでいる彼女は自分のことを醜いと思い込んでいて、新治と初枝の仲を引き裂く上で一役買ってしまう。
この「屈折した感情」は三島らしく、純愛物語に花を添えているといえるかもしれない。
「三島由紀夫=変人」という印象があったが、本書を読み、彼の純粋な部分に触れたような気がした。
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『海よりもまだ深く』(映画メモ)
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探偵をしながら小説を書いている良多(阿部寛)はバツイチ。元嫁の響子(真木よう子)や息子の真悟(吉澤太陽)に対して未練タラタラであるが、ばくち好きのために養育費も送れない状態である。ある嵐の夜、おばあちゃん(樹木希林)が住む実家の団地で、元家族が共に過ごすことになるというストーリー。
阿部寛のダメ男ぶりが凄く、引き込まれた。
題名となっている『海よりもまだ深く』は、テレサ・テンの「別れの予感」の一節である(が、あまり内容とマッチしていないかも)。
ちなみに、この映画にはかなりの名セリフがちりばめられている(さすが是枝監督)。
例えば、浮気された女性の一言(探偵の浮気調査中の一コマ)。
「どこで狂ったんやろ、私の人生」
「ぜんぶひっくるめて私の人生やから」
フーム、深い。
それと、おばあちゃんの樹木希林が放つ言葉。
「幸せというものは
何かをあきらめないと手に入れられないものなのよ」
これらの言葉は、この映画のメッセージを暗示するものとなっている。
ということで、なかなか味わい深い映画だった。
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欲望が行きすぎるよりも 目の前に見えているものが良い
欲望が行きすぎるよりも 目の前に見えているものが良い
(コヘレトの言葉6章9節)
(コヘレトの言葉6章9節)
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『幸せの教室』(映画メモ)
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学歴のために大手スーパーをリストラされた中年のラリー(トム・ハンクス)は、一念発起して大学に入学し、「スピーチ」と「経済学」の授業を履修することに(ちなみに離婚しているので独身)。
スピーチを教えるテイノー先生(ジュリア・ロバーツ)や、女子学生タリア(ググ・バサ=ロー)と出会い、新しい世界が広がる、という物語。
トム・ハンクスが「冴えない中年」を上手く演じているのが印象的である。
なお、ラリーはスーパーに務める前に、海軍の料理人として20年間働いた経験を持つのだが、リストラ後、販売店では雇ってもらえず、結局、レストランのコックとして働く場面がある。
やはり「芸は身を助ける」といえる。
最近、「学び直し」の大切さが叫ばれているが、「自分の強み」を生かしつつ、「新しいことを学ぶ」ことがポイントになる、と思った。
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