松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『おやすみなさいが言いたくて』(映画メモ)
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『おやすみなさいが言いたくて』(2013年、エリック・ポッペ監督)
カブールで自爆テロの準備を取材する冒頭場面がショッキングである。
テロに巻き込まれて重傷を負った報道写真家のレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)は、心配する家族のことを考えて、戦地に行くことをあきらめる。
しかし、予想外の出来事から戦場カメラマンのスイッチが入ってしまうレベッカと家族の間に溝が生まれるというストーリー。
「抑えきれない何かが自分の中にある」と言うレベッカは使命感の塊のような人なのだが、家族も大事にしたい。映画全体を通してワーク・ファミリー・バランスについて考えさせられた。
再び自爆テロを取材するラストシーンも圧巻である。
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『荀子』(読書メモ)
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性悪説を提唱したとされている荀子の解説書。
しかし、著者の湯浅先生によれば、「荀子=性悪説」は正しくないという。
「確かに、人間はそのままでは様々な欲望や情念にとらわれて、悪い方向に行ってしまうこともあるでしょう。しかし、学問や礼儀や音楽で感化し、きちんと矯正すれば、善なる存在になるというのです」(p. 50)
特に「礼」によって国を治める「礼治」を提唱した荀子。
では、礼の本質とは何か?荀子は次のように説明する。
「礼は人の心に従うのを根本とする。だから、たとえ礼の経典に記載がなくても、人の心に寄り添うものは、みな礼である」(p. 74)
「礼=規定」というイメージがあったが、相手の立場に立って行動することが「礼にかなう」ことである。
礼を重んじる日本文化を大切にすべきだと思った。
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『高慢と偏見』(読書メモ)
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以前、『ジェーン・オースティンの後悔』という映画を観てから気になっていたので読んだ。
ジェーン・オースティン(1775~1817年)はイギリスの小説家。本作は、なんとジェーンが21歳のときに書いた作品(彼女の代表作)。
舞台はイギリスの郊外ハーフォードシャ。当時のジェントリ階級(貴族と平民の中間に位置する、田舎の小金持ち)の女子の望みは資産家と結婚すること。5人の娘がいるベネット家も婿探しで一生懸命である。
本書のメインストーリーは、個性的な次女エリザベスと資産家ダーシーの恋物語。基本的に「ホームドラマ」なのだが、「次はどうなる?」と気になり、読みだすと止まらなくなる。
タイトルにあるように、プライドや偏見はお互いの理解を邪魔してしまう。恋愛でなくとも、仕事や友人関係でも同じだろう。
長く読み継がれる作品には普遍的テーマがある、と感じた。
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『プリンセス トヨトミ』(映画メモ)
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『プリンセス トヨトミ』(2011年、鈴木雅之監督)
大阪夏の陣で絶えたと思われていた豊臣家だが、その子孫が生き延びており、トヨトミ家の血を守るための地下組織「大阪国」があった、という奇想天外なストーリーである。
たまたま大阪府に会計検査院のメンバー(堤真一、綾瀬はるか、岡田将生)が大阪国の存在を知り、普段はお好み焼き屋のおっちゃんだが、実は大阪国の総理大臣である真田(中井貴一)と対峙する。
ありえない話のオンパレードなのだが、ミッションを共有した大阪人たちが一致団結する場面は、なぜか感動してしまった。
この映画を観て、理念共有の大切さを実感した。
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わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである
(ルカによる福音書5章32節)
(ルカによる福音書5章32節)
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『もし部下が発達障害だったら』(読書メモ)
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本書は、発達障害の中でもASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)の部下にどう対処すべきかを説明したもの。
ちなみにASDの特徴は「対人関係がうまくできないことと、行動や興味などにおいて独特のこだわりを示すこと」であり、ADHDの特徴は「注意を継続できない、集中できない、落ち着きがなく、待つことができない」という点にある(p. 30)。
ただし、発達障害は白黒はっきり診断するのが難しく、グレーゾーンが存在することに注意しなければならない。
いろいろな対処方法が書かれているが、共通しているのは、定期的に15分間程度のデブリーフィング(簡潔な情報共有・説明)を行い、業務内容や進捗を確認することである。
その際、普通は曖昧にしがちな「いつ、何を、なぜ、どのように、誰に行うのか」という点を明確に説明しなければならない。
本書を読んで感じたのは、発達障害の部下にしっかりと対処できる人は、普通の部下にもよいマネジメントができるのではないか、ということ。
空気を読む日本人がグローバル化する上でも、上記のデブリーフィングは重要になる、と感じた。
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『15時17分、パリ行き』(映画メモ)
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2015年に実際に起こったテロ事件を再現した伝記映画。主演の3人はなんと、テロを防いだ当事者である。俳優としては力不足であるが、素人とは思えない演技だった。
ドキュメンタリーとして観ればかなり面白い作品である(娯楽映画として観ると退屈)。
ヨーロッパ旅行中の幼なじみのスペンサー、アンソニー、アレクの三人(二人は軍人、一人は大学生)は、たまたま乗った特急列車でテロ事件にあい、乗客全員が皆殺しになる寸前に、テロ犯人を捕まえるという内容。
ただし、映画の4分の3くらいは、三人の子ども時代(3名とも発達障害を持った問題児)、スペンサーとアレクが軍隊に入る経緯、ヨーロッパ旅行の話しである。
ヨーロッパ旅行中に、スペンサーが「自分は、大きな目的に向けて、人生に導かれているような気がする」という発言をするのだが、スペンサーの人生そのものが、この事件のための準備になっていることがわかり、少し感動した。
なお、スペンサーが子供の頃から祈っている「フランシスコの祈り」が心に残ったので、紹介しておきたい。
主よ 私を平和の道具にして下さい
憎しみには 愛をもたらし
いさかいには 赦しを
疑いには 信仰を
絶望のあるところに 希望を
闇のあるところに 光を
悲しみには 喜びを
人は与えることで 受け
赦すことで 赦され
死ぬことで 永遠の命に甦るのです
アーメン
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主はわたしたちに道を示される
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。
(ミカ書4章2節)
(ミカ書4章2節)
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『千利休 無言の前衛』(読書メモ)
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本書を読み、千利休と日本文化の関係がなんとなくわかったような気がした。
赤瀬川さんが映画『利休』の脚本を頼まれたときに、まず取りかかったことが面白い。日本の歴史に疎かったので、まず『学習漫画・日本の歴史』シリーズを読んだのだ(ちなみに、本書の参考文献にも載っている)。
本書の魅力は、平易かつユニークな表現で、ご自身がとらえた利休像が描かれているところ。一番面白かったのは「トマソン物件」。
トマソンとは、以前、大リーグからやってきた助っ人選手で、ジャイアンツの四番バッターになったが、バットにボールが当たらず、まったく活躍できなかった選手である。「超芸術性」を感じる無用の長物的な建物を、赤瀬川さんは「トマソン物件」と呼んでいる(トマソンさんが知ったら怒るだろうな)。
例えば「四谷階段」。四谷にある建物に、左右両方から登れる7段ほどの階段があるらしいのだが、肝心の入り口がない。つまり、昇ったら降りるしかない階段が、トマソン物件として認定されている。
ちなみに、ヨーロッパではこうしたトマソン物件が少ないらしい。
「要するに風土ということだろうが、無用になってなお存在する、そういう危うい、あいまいなものを見つめる空気というのが流れていない。ヨーロッパにはそういうあいまいさの余地がないのだ。(中略)そのときはトマソンが日本的なものらしいとほんのり感じただけであったが、路上観察では、その日本的なるものの心臓部にいる利休に直接つながってしまったのである」(p. 46)
腑に落ちる考察である。
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