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知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる

知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる
(コリントの信徒への手紙Ⅰ・8章1節)

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『ハツカネズミと人間』(読書メモ)

スタインベック(大浦暁生訳)『ハツカネズミと人間』新潮文庫

それほど期待していなかったが、今まで読んだ小説の中でベスト10に入るくらいの素晴らしい作品だった。

大男で知的障害のあるレニーと、小男で機転が利くジョージは幼友だち。農場を渡り歩くその日暮らしの二人だが、「いつか自分たちの土地を買う」という夢を持っている。

しかし、ある農場で次のように言われてしまう。

「何百人という男たちが、背中には毛布の包みを背負い、頭にはそれと同じくくだらねえ考えを抱いて、農場から農場へと渡り歩くのを、おれは見てきたがね。何百人という男たちがだよ。この連中はやって来て働いちゃ、やめて次へ移っていく。その一人一人が、みんな頭の中に小さな土地を持っている。でもだれ一人、その土地をほんとうに手に入れた者はいねえ。まるで天国みてえなもんだ」(p.103)

たとえかなわぬ夢であっても、夢があるからこそつらい日々を乗り越えることができる。

悲しく美しいラストシーンでも、そのことが伝わって来た。

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人が嫌がることをする

『サービスの達人たち』の中で、インパクトがあった一人が、新宿の老舗キャバレーで10年間ナンバーワンだった紅(くれない)さん(本名は近藤さん)。

彼女はなぜナンバーワンを続けられたのか?

それは、普通のホステスが嫌がる客をお得意にしたことにある。

「ホステスが嫌がる客というのは、初対面から嫌みばかり言う客と極端に無口な客の二通りしかない。「おい、お前、向こうに行け」「ブス、死ね」「やらせろ」…。素面のうちからこんなセリフを聞かされれば、どんな女性でも嫌になるものだが、紅さんはそうした客の心を開き、素直な常連客に育て上げることができた。母親のように客にわが子同様の愛情を注ぐことができる…、それが本当のナンバーワンだけが持つ力だった」(p.148-149)

普通の人が嫌がることを、愛情を込めて行うとき、誰も真似できない業績を上げることができるのだろう。

出所;野地秩嘉『サービスの達人たち』新潮文庫
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道しるべを置き、柱を立てよ

道しるべを置き、柱を立てよ
(エレミヤ書31章21節)

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『サービスの達人たち』(読書メモ)

野地秩嘉『サービスの達人たち』新潮文庫

さまざまな職業における伝説のプロフェッショナルを取材したのが本書。

カーディーラー、ウィスキーのブレンダー、天丼屋、銭湯の三助、ゲイバーのママ、電報配達、ホステス、興行師、靴磨きが登場するのだが、どのストーリーも迫力に満ちている

一番感動したのは、靴磨きの源ちゃんの話し。

源ちゃんの仕事場は、国会議事堂近くにあるホテル東急キャピトル。彼の人柄と腕にほれ込んだ人が、宅急便で靴を送ってくるほどだ。

音楽プロデューサーの金子洋明さんは、初めて源ちゃんに会ったときの驚きを次のように語っている。

「当時、私はまだ三十五歳で…。でも年のわりにはまあ成功していたというか、運転手付きの車で乗りつけて、きっと心が傲慢になってたんでしょうね。源さんの前にどっかと座って、新聞を読んでいたんですよ。そして、十分ほどして、もうおしまいだろうと思って、新聞をどかしたら、まだ片一方の靴を磨いてる最中なんですよ。私はいらいらしてね、パーティーの開始時間も近づいていたし、『君、時間かかるの』ってイヤミを言ったんですよ。でも、ひょいと靴を見たら、もう、それはショックでねえ。一方は自分の顔が映るくらいきれいで、もう一方とは全然違う。それもただピカピカしてるんじゃない。いぶし銀みたいな輝きなんですよ。『これは違うぞ』と。そしてこんなに一生懸命、手を抜かないで仕事をしている人がいるということもわかって、それからはもう、源さん一筋です…」(p.205-206)

では、源ちゃんはどのような気持ちで仕事をしているのか。

「靴を磨いているときにはお客さんの姿をイメージしながら仕上げるんだよ。だからその人の姿思い出せないようになったら、仕事したくないんだ、うん。それが人と人とのつき合いってもんでしょう」(p.208)

お客さんのために、全身全霊を込めて仕事をする。これができる人が真のプロフェッショナルなのだろう。


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諫め方いろいろ

『貞観政要』のキーワードは、上司を諫(いさ)める「諫諍(かんそう)」。

著者の湯浅氏によれば、この諫諍にもいくつかの種類があるという。

それとなく諫めることを「幾諫(きかん)」
枠にはめるようにきつく諫めることを「規諫(きかん)」
心をこめて強く諫めることを「切諫(せつかん)」
泣いて諫めることを「泣諫(きゅうかん)」
相手の思いにさからって強く諫めることを「直諫(ちょつかん)」「強諫(きょうかん)」
もうこれ以上ないというぎりぎりまで諫めることを「極諫(きょつかん)」
死んで主君を諫めることを「死諫(しかん)」
というらいしい(p.59-60)

『貞観政要』には最後の「死諫」の重要性が語られるが、現実には「幾諫」「切諫」「泣諫」あがりが現実的であろう。

諫め方もいろいろあるので、上司のタイプによって変えていく必要があるかもしれない。

出所:湯浅邦弘『貞観政要』角川ソフィア文庫
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わたしたちは、何も持たずに世に生まれ

わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことができないからです
(テモテへの手紙I・6章7節)

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『貞観政要』(読書メモ)

湯浅邦弘『貞観政要』角川ソフィア文庫

唐の第二代皇帝である太宗は、名君として「貞観(じょうがん)の治」と呼ばれる太平の世を実現した人。

ちなみに、「政要」とは政治の要諦を意味しているらしく、太宗の政治哲学をまとめたものが本書である。

現代の組織にも適用できるさまざまなリーダーシップのあり方が書かれているのだが、その中心は「諫諍(かんそう)」である。

諫諍とは、臣下が君主の不正を正し、「諫(いさ)める」こと。太宗は言う。

「もし詔勅(天子の命令)に不適当なものがあれば、みな必ず十分に意見を主張しなければならない。このごろ、ただ天子の命におもねり、天子の感情に従う傾向があるように思う。言われるままに文書を通過させ、とうとう一言の諫諍をする者さえいない。どうしてこれが道理と言えようか」(p.60-61)

リーダーに問題があればメンバーがはっきりと諫め、リーダーはそれに耳を傾けるべき。そうでないと、組織が立ち行かなくなる、ということだ。

さらに、問題が起こってから諫めるのではなく、問題が起こりそうな兆(きざ)しを諫めることが大事だという。

「だから諫諍する臣下は、必ずその兆しの段階で諫めるのです。ものごとが充ち満ちてからでは、もう諫めることはできません」(p.77)

ただ、良識のあるリーダーであればいいが、暴君の場合には諫めることは難しい。しかし、『貞観政要』では、逆鱗に触れるのを恐れず諫めよ、と言う(これはちょっと無理な話だが…)。

エドモンドソンという研究者が「何でも言える雰囲気」つまり「心理的安心(psychological safety)」がイノベーションにつながることを指摘しているが、まさに「諫諍しやすい雰囲気」づくりがリーダーに求められる、といえる。









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遺書としての小説

太宰治の『人間失格』を読んで驚かされたのは、小説はもとより、文芸評論家・奥野健男氏による解説。

太宰ファンでもある奥野さんは、ここで熱烈な太宰論を語っているのだ。

最も印象に残ったのは、以下の箇所。

「すべての理想をうしない、ニヒリズムの中で阿呆のように暮らすばかりであった。しかしそういう生活の中で一点希望の灯がともった。どうせ滅びるのなら、こういう愚かしい男もいたのだということを書き遺しておきたい。それを読んで、救われた気持ちになる読者もいるかもしれないと、幼い頃からのことを『思い出』に書きはじめたのだ。昭和七年、二十三歳の時である。遺書として小説を書きはじめる、自己の死を前提にしてはじめて小説を書くことを己れに許したのだ」(p.160)

これほど愛他的な動機はないだろう。

太宰の文体に接すると読者は「まるで自分ひとりに話しかけられているような心の秘密を打ち明けられているような気持になり、太宰に特別な親近感を覚える」(p.157)という。

これに関し、もう一点紹介しておきたい。

「海外の日本文学研究家たちが谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの文学を読むとまずエキゾチズムを感じてしまうが、太宰治の文学を読むと、作者が日本人であることなど忘れ、まるで自分のことが書かれているような切実な文学的感動にとらわれてしまうと口を揃えて語っている」(p.166)

太宰文学の普遍性は、究極的な読者への愛によるものだと感じた。


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人間を豊かにするのは主の祝福である

人間を豊かにするのは主の祝福である
(箴言10章22節)

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