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『恥さらし:北海道警悪徳刑事の告白』(読書メモ)

稲葉圭昭『恥さらし:北海道警悪徳刑事の告白』講談社文庫

北海道警察銃器対策課の元警部である稲葉氏は「銃対のエース」として実績を上げたが、結果的に覚せい剤に手をだし、逮捕されてしまう。

なぜそんなことになったのか?

それは警察組織における極端な「成果主義」のせいである。

「警察組織は、すべてが点数主義です。機動捜査隊時代からそうでした。第二章で述べたように、ノルマを達成できないと、超過勤務手当がもらえないなどのペナルティがあります。点数欲しさに、安易な摘発を繰り返しました。ノルマ達成のために、警察は事件を作ってきたのです」(p.284)

東芝の事件も同じような構造なのだろう。

稲葉氏は、さんざん組織に利用されたあげく切り捨てられ、自暴自棄になって覚せい剤に手をだしてしまう。

なお、警察に特徴的なのは「エス」と呼ばれるスパイの存在だ。稲葉氏は、エスとの関係を築き、さまざまな犯罪情報を入手し、成果を上げていく。しかし…

「関係を築いたエスは、ノルマに追われるうちに、いつしか犯罪を摘発するための”協力者”ではなく、ノルマを達成するために必要な共犯者になってしまう。私はエスたちと共犯関係となりながら拳銃を出してきましたが、ノルマがその原因となっていたのです」(p.285)

組織コントロールの方法には、「アウトプット管理」(成果による管理)と「プロセス管理」(方法・過程を重視した管理)という二つの管理手法がある。営業部門などでは、アウトプット管理が行き過ぎると、無理な押し込み販売につながってしまうが、警察でも似たようなことが起こっているのだろう。

本書を読み、アウトプット管理とプロセス管理をうまく組み合わせる必要性を感じた。












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他人の幸せを、自分の幸せと感じる

ヘレン・ケラーは、三重苦の中に置かれた自分の運命をどのように捉えていたのだろうか?

「できることなら、「運命」の横暴な命令に私は異議を唱えたい。というのも私の心は、まだ大人しくしていることができず、情熱に燃えているからだ。それでも、のど元まで出かかった自暴自棄のことばを、私は決して言わない。こぼれなかった涙のように、その思いを飲みこみ、胸の奥にしまっておくのだ。沈黙は、いつまでも私の魂の上から動こうとしない。しかしやがて、希望が微笑みとともにやって来て、つぶやく。「喜びは、自分を忘れることにあるのだ」と。だから私は、人の目に入る光をわが太陽とし、人の耳に聞こえる音楽を私の華麗なシンフォニーにしよう。人の唇からもれる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい」(p.179)

他人の幸せを、自分の幸せと感じる。

これこそ、人間として「究極の成長」の姿ではないか、と思った。

出所:ヘレン・ケラー(小倉慶郎訳)『奇跡の人:ヘレンケラー自伝』新潮文庫
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だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる

だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる
(マタイによる福音書23章11節)

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『奇跡の人:ヘレンケラー自伝』(読書メモ)

ヘレン・ケラー(小倉慶郎訳)『奇跡の人:ヘレンケラー自伝』新潮文庫

この自伝が書かれたのは、なんとヘレンが22歳、大学生の時である。

井戸の水を触ってwaterという言葉の意味がわかる場面は、やはり感動的だった。

「先生は、私の片手をとり水の噴出口の下に置いた。冷たい水がほとばしり、手に流れ落ちる。その間に、先生は私のもう片手の手に、最初はゆっくりと、それから素早くw-a-t-e-rと綴りを書いた。私はじっと立ちつくし、その指の動きに全神経を傾けていた。すると突然、まるで忘れていたことをぼんやりと思い出したかのような感覚に襲われた―感激に打ち震えながら、頭の中が徐々にはっきりしていく。ことばの神秘の扉が開かれたのである。この時はじめて、w-a-t-e-rが、私の手の上に流れ落ちる、このすてきな冷たいもののことだとわかったのだ。この「生きていることば」のおかげで、私の魂は目覚め、光と希望と喜びを手にし、とうとう牢獄から解放されたのだ!」(p.34-35)

人間における「言葉」の大切さが伝わって来た。

ちなみに、本書で最も感銘を受けたのは、ヘレンを導いたサリバン先生も盲学校出身であり(盲目であったが後に手術で回復)、特に教師としての教育を受けたわけではなかったということ。つまり、自分なりに創意工夫をしながら、独自の方法でヘレンを教えたのである。

教師として人間として、サリバン先生の偉大さを改めて感じた。

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『グラン・トリノ』(映画メモ)

仕事中毒から抜け出すために、休みの日にはレンタルショップで映画のDVDを借りることにした。

第一弾は、クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』

朝鮮戦争に出兵した際の経験がトラウマになり、家族にも近隣にも心を閉ざず老人ウォルト。隣に引っ越してきたアジア系の人々との交流で、徐々に心を開いていくのだが、そこに悲劇が起こる。

個人的には、若い神父さんとの会話が心に残った。

「若造に何がわかる」とバカにしていたウォルトだが、「生と死をどのように考えますか」という神父さんの問いに対し、戦争体験をもとに熱く語る。

「死については詳しいですね」という神父さんの答えに、「生きることとは?」という疑問が起こる(ように感じた)。

過去に犯した「死」についての過ちに悩み続ける中、大切な人々の「生」のために、自らの「死」で償おうとするウォルトの姿を見て、「生と死」の問題について考えさせられた。





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わたしに立ち帰れ、と万軍の主は言われる

わたしに立ち帰れ、と万軍の主は言われる
(ゼカリヤ書1章3節)

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才気と空腹

『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』の主人公ラーサロは、ひどい主人に仕えてばかりいるのだが、その中でも最もひどい主人は、超ケチな神父。ほとんど食べ物をくれないのでラーサロは餓死寸前状態に陥ってしまう。そこで、主人が食糧を厳重に保管している箱から巧妙にパンをくすねる方法を思いつく。

「こういう惨めな手段を思いつくのには、なんといっても空腹がわたくしにとっての光明だったと今でも考えるのでございます。と申すのも、才気は空腹といっしょにいるとますます冴えるが、飽食といっしょではその反対だと世間でよく申しているからでございますが、わたしくにとっては、これは正にその通りでございました」(p. 59)

良いアイデアは窮地に陥ったときにやってくるが、満ち足りた状態ではやってこない。「困った状態」は学びのチャンスである、といえるだろう。

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『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(読書メモ)

会田由訳『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』岩波文庫

16世紀に書かれた作者不明の書である。世に現れるとまたたくまにスペインで流行したらしい。

本書には、家を追い出された少年ラーサロがさまざまな主人に仕え、苦労し、何とか安定した職につくまでの話が書かれている。

彼が仕える主人はとにかくとんでもない人ばかり。ケチな盲人、超ケチな神父、貧乏な従士、詐欺師の免罪符売りなどなど。

それでもラーサロはたくましく世の中を渡っていくのであるが、よく考えると、ここに書かれていることは会社勤めに似ているな、と感じた。従業員を搾取する会社、お金のない会社、詐欺まがいの商売をしている会社は世の中にあふれている。

はじめは受け身だったラーサロだが、少しずつ「自分」が育ちはじめ、主体的に行動するようになり、チャンスを手繰り寄せていく。

運命という波にもみくちゃにされながら、実は巧みに波乗りをしているラーサロは、世渡りの達人なのかもしれない。





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受けるより与えるほうが幸いである

受けるより与えるほうが幸いである
(使徒の働き20章35節)
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『ウィニー・ザ・プー』(読書メモ)

A・A・ミルン(阿川佐和子訳)『ウィニー・ザ・プー』新潮文庫

読み始めたときには「くだらないな」と少し後悔したが、徐々に「プー・ワールド」に引き込まれ、なんともいえない脱力系ストーリーに癒された。

いろいろな登場人物(動物)がいるなかで、気になるのはロバのイーヨー。あのネガティブさに独特の味がある。

一番印象に残ったのは、誕生日なのに誰も祝ってくれないことを嘆くイーヨーのために、プーがハチミツをプレゼントしようとする場面。

家からハチミツをもってくる途中で、プーは自分で食べてしまい、子豚のコプタン(アニメのピグレット?)は、プレゼントの風船を途中で破裂させてしまう。で、結局、イーヨーは、空のハチミツ壺と破れた風船を贈られることになる。

「「よかった!」とプーは嬉しそうに声をあげました。「モノを入れられる便利な壺をあげるってことを思いついて、本当によかった」「よかった」とコプタンは嬉しそうに叫びました。「便利な壺に入れるモノをあげるってことを思いついて、本当によかった」でもイーヨーは彼らの話しを聞いていませんでした。イーヨーは風船を出したり、また入れたりしながら、最高の幸せを噛みしめていたのです」(p.110)

イーヨーの孤独と喜びが伝わり、グッときた。

訳者の阿川さんも「ほとんど何の教訓もない。なのにたまらなく愛おしい」(p.203)と述べているように、不思議に読ませる本である。
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