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青年よ、大志を抱け

先日紹介した『ザビエルの見た日本』の中で、著者のピーター・ミルワードさん(カトリック神父・上智大学名誉教授)が、興味深いことを言っていた。

「ところでザビエルのプロテスタント側の後継者であるウィリアム・クラークのあの有名な言葉の中にその抱負の貴重な目的が現われているー「若者たち、キリストのために大きな望みを持ってください!」。世間ではこの言葉は普通簡略化されて、「青年よ、大志を抱け」となっている」(p.146-147)

このセリフについてはいろいろな説があるようだが、もし本当だとしたら大きな違いである。

人の言葉というのは、そのまま伝わらないケースが多いような気がした。

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『ザビエルの見た日本』(読書メモ)

ピーター・ミルワード(松本たま訳)『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫

ご存じのとおり、1549年に来日し、キリスト教を布教したフランシスコ・ザビエル。彼の手紙をもとに、ザビエルが当時の日本をどのように見ていたのかを紹介したのが本書である。

ザビエルの手紙を読むと、彼がとても誠実で、素直で、まっすぐな人であることがわかる。そして、日本人に対して好感を持っていることが伝わってきた。

ザビエルによれば、当時の日本人は

・好奇心旺盛で
・知的であり
・我慢強い


キリスト教についても関心が強く、必ずや伝道が成功する、とザビエルは確信していた。

しかし、当時の日本人にとってネックとなったのは、「キリストを信じていなかったご先祖様たちは地獄におり、そこから救いだすことができない」ということ。ザビエルはこの考えを曲げなかった。

これに対し、著者のミルワードさん(カトリックの神父)は、第二バチカン公会議(1962~65)において、カトリック教会が他の宗教の価値を認めたことを指摘する。

「ザビエルが、個人としては謙遜で、控えめでありながら、異教徒に対して無意識のうちに優越感を持っていたことはどう見ても残念なことである。キリスト教徒として、また、ヨーロッパ人として、彼は自分が正しくてアジア人と異教徒はまちがっていると確信していた」(p.165)

ミルワードさんによれば、「神は、自分には何の落ち度もないのにキリストに近づくことのできない霊魂に、その無限のあわれみにより、救いの道を与えておられる」という。

この箇所を読んでホッとすると同時に、異なる信仰を持つ者同士が互いに尊重しあうことの大切さを感じた。









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まず、杯の内側をきれいにせよ

まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
(マタイによる福音書23章26節)

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共有・共感

先日紹介した『フラニーとズーイ』では、妹のフラニーと兄のズーイの会話が、延々とすれ違う。

なぜか?

それは、ズーイがフラニーを「説得」しようとしていたからである。

説得モードが続く限り、なかなかわかりあえない。

しかし、遂にわかりあえる時がくる。

なぜか?

それは、ズーイとフラニーの「共通体験」により、お互いが「共感」できたからである。

いかに相手と「共有・共感」できるか。そこに相互理解のポイントがあるように思った。

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『フラニーとズーイ』(読書メモ)

サリンジャー(村上春樹訳)『フラニーとズーイ』新潮文庫

フラニーとズーイは、ニューヨークに住む7人兄弟の末妹(大学生)と末弟(俳優)のこと(ただし長男は自殺したためいないのだが)。

本書はサリンジャーが1955年に発表した「フラニー」と、1957年に出した「ズーイ」を合わせた本である。どちらかというと「フラニー」の方が好きだが、深いのは「ズーイ」である。

「ズーイ」では、宗教上のことで悩み、神経衰弱に陥ってしまったフラニーが、兄のズーイとの対話の中で救われるまでの過程が描かれている。

世の中には、自分の生き方を深く追求するタイプの人と、あまり深く考えない人がいる。フラニーは前者である。

フラニーとズーイの会話は、ずっとすれ違ったままで、むしろ悪化する一方である。しかし、最後に両者がわかり合える瞬間が訪れる。

なぜ両者はわかりあえたのか?

そのきっかけは自殺した長男シーモアの記憶であった。二人がシーモアと交わした会話が、二人を結びつける。

と書いたが、たぶん読んでもらわないとさっぽりわからないだろう。

ひさびさに心に響く小説を読んだ。



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人が自分の子を訓練するように

あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい
(申命記8章5節)

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危険な部下を手なづける

昨日紹介した『なつかしい芸人たち』の中で、もう一つ印象に残ったことがある。

それは、森繁久弥さんの話。

「森繁さんのすごいところはね、自分にとっていちばん危険な奴を手なずけてしまうことですよ。役者ってたいがい、自分の座を揺るがすようなライバルが出てくると、遠ざけるか蹴落とそうとするでしょう。座長芝居ってそれでつまらなくなるんだ」(p.161)

「手なずけるといっても、単純に頭をなでるだけでは駄目だろう。一緒に芝居に出て、絶えず山茶花やのり平の演じ所を作ってやる。つまり手柄を立てさせるのだ。そうして、森繁自身が彼らの手柄を利用して、さりげなく自分の受け場にする。最終的にはいちばん映えるようになっているのである」(p.162-163)

この箇所を読み、企業にも、森繁さんのような懐の深いリーダーというか、ちゃっかりしたリーダーがいるような気がした。

本当は、「部下を活躍させ、自分は黒子になるリーダー」が最も人格者なのだろうが、企業ではあまり出世しないタイプかもしれない。

出所:色川武夫『なつかしい芸人たち』新潮文庫


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『なつかしい芸人たち』(読書メモ)

色川武大『なつかしい芸人たち』新潮文庫

浅草を中心に活躍していた芸人さんの思い出や現況について語ったエッセイである。
(ちなみに出版されたのは平成元年で、色川さんはその翌年に亡くなっている)

戦前・戦後にかけての芸人たちの芸風や特徴について書かれてあるのだが、とにかく細かいことをよく知っている

なぜか?

それは、色川さんが、小学校・中学校をサボって浅草の演芸場などに入り浸っていたからである。自分の肌で感じた芸なので、深く深く、その人の人生の奥までも見通すかのように語っているところがすごい。

印象に残ったのは、渥美清さんについての記述。

意外だったのは、色川さんは寅さん映画をみると、ボロボロ泣いてしまうらしいところ。ダメ人間だった自分と重ね合わせるからだという。

「浅草時代の渥美さんは、今日の寅さんのゆったりとした七五調の口跡とは別人のようで、スピードと毒があった。私の印象ではあまりドタバタせずに、口で速射砲のようにギャグを連発する。相手と取り交わすセリフのほかに、捨てゼリフ、独語がたくさん混ざってくる。客が対応しきれないほど回転が速くて鋭い」(p.265)

どうも、寅さんの印象とは違う。

「しかし、私も、彼が今日のような大きな存在になるとは少しも思わなかった。むしろマイナーの中の光った存在になってくれ、と願っていたのだった」(p.266)

マイナーの中の光った存在、というフレーズがいい。もしかしたら渥美さんも、そうした道を歩みたかったのかもしれない。

このように、色川さんの芸人録には、愛情がある。芸人一人一人の生き方を心から気にかけているのが伝わってきた。本書は、単なるエッセイを超えて、われわれが人生を考える際に、貴著なヒントを与えてくれる。



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造られた者が、造った者に言いうるのか

造られた者が、造った者に言いうるのか(イザヤ書29章16節)
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たまたま見つかるもの

『心が雨漏りする日には』の巻末に、中島らもさんと精神科医である芝伸太郎氏との対談が載っているのだが、そこに興味深い箇所があった。それは、精神科の薬が開発される方法についての記述である。

たまたま見つかるんですね、精神科の薬は。理論があって見つけられるわけではないんです。たいてい他のことから見つかる。例えば、ある患者さんに麻酔薬を使ったつもりだったのに、さっきまで激しかった幻覚妄想が消えたようだ。これは幻覚妄想の軽減に使える。だいたいがそうですよ。そして、この薬が効くからこの病気の原因はこうなのではないか、と推論されるわけです」(p.188)

これは薬に限らず、さまざまなことにも言えるのではないか。見つけるつもりはなくとも、ひょんなことから関係性がわかることがある。「たまたま」を大事にする姿勢がイノベーションを生むのではないか、と思った。

出所:中島らも『心が雨漏りする日には』青春文庫



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