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『美貌のひと:歴史に名を刻んだ顔』(読書メモ)

中野京子『美貌のひと:歴史に名を刻んだ顔』PHP新書

絵画の裏には隠されたストーリーがある。美貌の男女を描いた40作品について中野さんが解説したのが本書。

最もインパクトがあったのは、ルノワールが描いた『ブージヴァルのダンス』にまつわる話。

ここに描かれている美女はシュザンヌ・ヴァラドン。娼婦の母に育てられたヴァラドンは給料の良いサーカスのブランコ乗りになるものの、ブランコから落ちてモデルへと転身する。その当時のモデルは、街娼以下の低い地位だったらしい。

18歳で産んだ子供を育てるために、ルノワールやロートレックなどのモデルをつとめ、なんとその合間に、独学で絵を描き始める。その後、ロートレックに画才を認められ、ドガに指導を受けたヴァラドンは画家になってしまう。

なお、ヴァラドンは子供を酒好きの祖母にあずけっぱなしにしたために、子供は十代でアル中となり、精神病院に入れられることに。治療の一環として勧められた絵画にはまったこの息子こそ「モーリス・ユトリロ」である。

人生は、いろいろな出来事が複雑にからみあって決まっていくことを改めて感じた。


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『ショートターム』(映画メモ)

『ショートターム』(2013年、デスティン・ダニエル・クレットン監督)

明日からの君の方が、僕は、きっと好きです

映画ポスターの文句が心に響く。

親から虐待された子供たちを一時的に保護するのが「ショート・ターム」。この施設で働く職員グレイス(ブリー・ラーソン)は、父親から性的虐待を受けたことがあり、同棲相手の同僚のメイソン(ジョン・ギャラガー・Jr.)も親から捨てられた過去を持つ。

そんなショートタームに、ジェイデン(ケイトリン・ディーヴァー)がやってくる。やがて、彼女も父親から虐待を受けていることがわかる。

自分と重ね合わせるグレイスはジェイデンを懸命にケアするのだが、後半はジェイデンにケアされることに…

大人や子供の違いを越え、支え・支えられながら生きていくことの大切さが伝わってきた。



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わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
(ヨハネによる福音書15章4節)

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直線的進歩幻想

またまた、河合隼雄先生の『対話する生と死』(だいわ文庫)から。

「とくに関心をもったのは「十地品(じゅうじぼん)」で、これは菩薩が仏になるための十の階梯が述べられている。(中略)ところが終わりまで読んで振り返ると、そもそも人間が(あるいは菩薩が)段階的に、一段一段と「進歩」するものだなどと考えるのは、近代人のもつ悪しき幻想ではないかと思えてくる。一筋に段階を経ていく、直線的進歩幻想が、現代の人間をどれほど悩ませているのか、たとえば、教育界を見るとよくわかるだろう」(p.57)

「十地品」に何が書いているかは解説されていないが、「直線的進歩幻想」という言葉が響いた。

成長というものは、ステップ・バイ・ステップで連続的に進歩していく側面もあるけれども、視点やモードや基準が非連続的に変化する側面も大切だと常々思っているからだ。

この箇所を読み、ホイヴェルス神父の「最上のわざ」を思い出した。

「人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること
(中略)
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ」
(p. 132-133)

出所;土居健郎・森田明『心だけは永遠:ヘルマン・ホイヴェルス神父の言葉』ドン・ボスコ新書




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「治る力」と「治す力」

河合隼雄先生は『対話する生と死』(だいわ文庫)の中で、「自己治癒」について次のように述べている。

「心の病の場合は、どのような治療をするにしろ、根本にあるのは「自己治癒」ということだ、と筆者は考えている。つまり、治るとかよくなるとか言っても、結局それは患者自身の自ら治っていく力によるものなのである。しかし、そのような「自己治癒」の力を促進させるためには治療者の存在が必要となる。ただ、ここで重要なことは、治療者自身は本来的には「治す」人ではなく、患者自らの「治る」力に頼っているということである」(p.169)

同じことが「育てる」ことと「育つ」ことにも言えるような気がする。

育てるという行為は、本人が「育つ力」を引き出すことである、と思った。

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『対話する生と死』(読書メモ)

河合隼雄『対話する生と死』(だいわ文庫)

ユング派の臨床心理学者であった河合先生の書。

いろいろと興味深いことが書いてあるのだが、一番面白かったのは、日本の社会構造に関する仮説。

欧米社会では強力なリーダーが組織を支配しているのに対して、日本は、複数のリーダーがバランスをとりながら組織を運営している。この形態は日本の神話にも表れているという。

「『古事記』によると、日本神話における「三貴公子」と呼ばれている重要な神は、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神である。(中略)アマテラスとスサノオは対立し、結局はスサノオはアマテラスに追われて高天原(たかまがはら)より出雲の国へと下っていく。この際、アマテラスがスサノオを完全に抹殺しないところが、日本神話のひとつの特徴であり、スサノオは徹底した「悪」の烙印をおされることなく、出雲においては文化英雄として活躍する。(中略)ところで、三貴公子の中心に存在するツクヨミは、この間その行為については語られないのが特徴的である。つまり、ツクヨミは三神の中央にあって、ひたすら無為を保ち続けるのである」(p.193-194)

このように二人のリーダーの間を取り持つ第三のリーダーが存在し、中心が「空」となっている構造を、河合先生は「中空構造(中心均衡型の構造)」と呼ぶ。

「中空均衡型の場合は、中心が空であるため、その中心を侵すことは悪であるにしても、中心自身がその善であることや正しいことを主張するものではない。したがって、この構造は、きわめて受容的で、全体的均衡が保たれているかぎり、何でも受け入れる。(中略)日本が外来の思想や宗教に接してきたとき、このような方法を取ってきたと思われる。仏教にしろ儒教にしろ、一時はわが国の文化において中心的地位を占めるかのように思われたが、それは徐々に日本化されるとともに、重要ではあっても絶対的中心ではないところに位置づけられていくのである」(p. 199)

とても納得のいく説明である。大事なことは次の点。

「中空構造を維持するためには、中心の空性を保持しなくてはならない。アメノミナカヌシーツクヨミーホスセリ、とそれぞれ存在はするがまったく無為の神が中心を占めていたように、これを人間の集団に当てはめるならば、中心には無為の人物が座ることになる」(p. 199)

日本の組織では強力な指導力を発揮するリーダーが少ないが、その理由がわかったような気がした。








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『カムイ外伝』(映画メモ)

『カムイ外伝』(2009年、崔洋一監督)

ちょっとチープな作りなのだが、白土三平原作の力もあってか、響く映画だった。

抜け忍」となったカムイ(松山ケンイチ)が、裏切者を殺そうとする「追い忍」に執拗に追いかけられるというストーリー。追い忍をふりきり、漁師の町で平穏な暮しを送っていたカムイだが、そこにも追い忍の手が…

とにかく追い忍のしつこさが尋常ではない。どこまでも、どこまでも追いかけてくる。信頼できる仲間だと思っていた人も追い忍だったりする。

この映画を観ていて感じたことは、一人の人間の中にも「抜け忍」と「追い忍」がいるのではないか、ということ。

ある「囚われの思い」から抜け出たくて、なんとか抜け出たと思ったら、そうはさせじと「追い忍」が追いかけてくることがよくある。そのしつこさは半端ない

人生とは、「抜け忍」と「追い忍」の闘いなのではないか、と思った。




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主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る

主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る

(イザヤ書14章3節)

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ノーベル文学賞

『日本の美徳』の中で興味深い箇所があった。それは、川端康成三島由紀夫についての話。キーンさんは言う。

「大岡昇平さんは、後にひじょうに暗いことを言っています。ノーベル文学賞がまず三島さんを殺して、その後、川端先生を殺した、と。その発言には深い意味がある、と私は思っています。三島さんは、ノーベル文学賞を受賞していたら、たぶん自決はしなかったでしょう。(中略)川端さんはノーベル賞を受賞され、大変な責任感を感じられたことは間違いありません。受賞後、何回も、小説の初めだけを書いて途中でやめて、「これ以上、書けない」と…」(p.96)

同じ賞でも、それが励みになる人とプレッシャーになる人がいる。難しいものだな、と思った。

出所:瀬戸内寂聴・ドナルド・キーン『日本の美徳』中公新書クラレ
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『日本の美徳』(読書メモ)


瀬戸内寂聴・ドナルド・キーン『日本の美徳』中公新書クラレ

寂聴さんとキーンさんの対談。お二人の生の声が聞こえてくるようで良かった。

キーンさんは、東日本大震災の後、日本国籍を取得することを発表した。

なぜか?

「日本に対する愛情が、私に日本人になることを選ばせたのです。私はこの国にいたい。日本人とともに生きたい。そんな気持ちなのです。日本人になると決めた私の気持ちをあえて言葉で表現するとしたら、作家で詩人の高見順さんが第二次世界対戦中に書いた思いと重なるでしょう」(p.107)

「戦時下で一番情勢が厳しいときに、当時、鎌倉に住んでいた高見順さんは、アメリカ軍が鎌倉を攻撃するという噂を耳にします。心配して、自分のお母さんを田舎へ帰そうと大船まで見送った後、妻を連れて東京大空襲の跡を見に上野駅に行くのです。着いてみると、安全なところに逃げたい、という気持ちにかられた群衆があふれて、大変な混雑となっていました。高見さんが驚いたのは、そういう状況であるのに、誰もが静かに整然と並んで汽車の順番を待っていたことです。その光景を目にして、「私はこうした人々とともに生き、ともに死にたい」と日記に書きました。私も、東日本大震災の後、同じような気持ちを抱くようになりました」(p.107-108)

これに対し、寂聴さんは「そのように教育されているだけ」と答えているが、そうだとしても、やはりこうした行動は日本人の美徳だと思うし、大事にしていかなければならない、と感じた。



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