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『落語と私』(読書メモ)

桂米朝『落語と私』文春文庫

先日亡くなった桂米朝による落語論である。

ところで、落語とは何か?

「落語とは、落としばなし、話を落とすから落語です。その「おとす」という言葉はなんらかの理屈で「なるほど」と合点させ、はなしの世界から現実へひきもどす。これが「おとす」ことなのです」(p.71)

どんな話でも、インパクトを持たせるには「オチ」が大事だが、それを極めたのが落語ということだろう。

また、さまざまな人がよってたかって関わって落語が作られていくのも特徴である。

「現在、実演されている落語の数は東西合わせて六、七百にも及ぶと思いますが、その中で作者の判明しているものはごくわずかです。原作者は不明でも、だれそれが今のように変えたとか、だれそれの演出が伝わっているとか、今日のような爆笑を呼ぶものにしたのはだれであるとか、中興の祖と言えるような人が分っているのも少しあります。ともなく、長い年月と、幾人もの演者の手によって少しずつあらためられ、少しずつふくらんでいったものに違いありません」(p.83)

専門の作家がいるわけではなく、複数の演者たちが話を創り上げていくところが面白いと思った。即興の中で、話が練り上げられるのだろう。

米朝師匠によれば、芸人を育てるのは寄席である。

「寄席を大事にするべきです。少々おそまつであっても、小さくても、なんとか採算の合う範囲であるならば、これを維持したいと思います。そのためには芸人も惰眠をむさぼっていてはいけません。そこにこそ芸が生まれ、芸人が育つ母胎があります。そこで育って基礎ができたはなし家が、いろんな雨風にきたえられたならば、現代的な大型演芸場ででも芸がやれるのです」(p.146)

企業でも、たとえ利益が小さくとも、マネジャーが育つ事業というものがある。そうした「人材が育つ場」を見極め、維持することが大事になる、と思った。






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安らかに信頼していることにこそ力がある

安らかに信頼していることにこそ力がある
(イザヤ書30章15節)

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めぐり逢い

森村誠一氏は、『人間の証明』の「初版あとがき」で、次のように述べている。

「今から二十数年前、大学の三年の終わり頃、私は一人で霧積温泉から浅間高原の方へ歩いたことがある」(p.496)

「鼻曲山の少し手前で宿が用意してくれた弁当を食べた。ノリで包んだ大きなにぎり飯が二個、それに昆布のつくだ煮と梅干しが付いていた。なにげなく弁当を開いた私は、その包み紙に刷られていた「麦稈帽子」の詩を見つけた。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」という問いかけで始まるこの詩に私は激しく感動した」(p.497)

「人生はめぐり逢いといわれるがこの作品を世に出したのは二つのめぐり逢いである。一つは西条八十の麦稈帽子の詩であり、あと一つは角川春樹氏とのめぐり逢いである」(p.500)

文学とのめぐり逢い、人とのめぐり逢いから、森村さんの代表作が生まれたわけだ。

自分の生活の中で、どれくらい「めぐり逢い」を大切にしているかを考えてみたが、あまり生かせていないように感じた。

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『人間の証明』(読書メモ)

森村誠一『人間の証明』角川文庫

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」

というセリフを聞いて「なつかしい!」と思う人は、僕と世代を共有している人である。中学生の頃、一世を風靡したこの作品を読んでみた。

読み終わった感想を正直に言うと、そんなに洗練された小説とはいえない。犯人はすぐに推測できてしまうし、いろいろな筋が無理矢理つなぎ合わされている感じがする。

であるのに、なぜか迫力があり、読み応えもあるのは、なぜだろうか?

それは、たぶん、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」という西条八十の詩の効果かもしれない。一つ一つの要素や、構成にはやや無理があるものの、小説全体を貫くメッセージが強いのだ

小説に限らず、何らかの作品が心に響く理由は、「勢い」だったり、「これを言いたい」というメッセージの強さなのかもしれない、と感じた。

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どんなことにも感謝しなさい

どんなことにも感謝しなさい
(テサロニケの信徒への手紙1、5章18節)
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師匠と過ごした日々を振り返る

写真家・水越武さんは、自身の仕事を「創作活動」と呼んでいる。

「撮影=創作?」と思ってしまうが、彼の作品を見ると、まさに芸術作品である。

その創作活動について、水越さんは次のように述べている。

「創作活動がいかに孤独な忍耐のいるものであるかが、最近私にも少しずつ分って来た。必死に努力しても、必ずしも報われるものではないし、良いものを作ればすぐに評価されるという世界でもない。作家活動というのは、本来、暗い長い道なのであろう。こんな事も先生から学んだことのひとつだ」(p.37-38)

先生とは、写真家・田淵行男氏である。

ちなみに、「最近私にも少しずつ分って来た」ということは、田淵氏に弟子入りしていたころにはわからなかったということだろう。徒弟制で学んだことは、後になってからその意味がわかってくるのかもしれない。最近注目されている「遅効性」だ。

「その後五、六年の間、私は田淵行男に付きまとうような生活を送ることになった。住居を安曇野に移し、そこを拠点に先生のお供をして山を歩かせていただいた。身近に山や自然の見方、触れ方を学んだ。今になって気づくのであるが、自分にとって何ものにも代えがたい重要な時間となった」(p.37)

遠い昔に師匠(あるいは上司・先輩)と過ごした日々を振り返り、そこから学びを引き出すことも大切なことだと感じた。

出所:水越武『月に吠えるオオカミ:写真をめぐるエセー』岩波書店



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『月に吠えるオオカミ』(読書メモ)

水越武『月に吠えるオオカミ』岩波書店

山や原生林などの自然をダイナミックかつ芸術的に撮った作品で、数々の賞を受賞している写真家・水越武さんのエッセーである。

読み進めるにつれ、修行僧を思わせるストイックな価値観が伝わってきた。

「私は辺境とか秘境といわれる世界の果てのような地域に出かけて行く。それと同時に日本列島の、人が訪ねることの少ない森林や山を求めて旅をする」(p.100)

「写真が芸術であろうがなかろうが、そんなことはまったく問題ではなかった。人の心を動かす力を持ったものであるならば、一枚、自分の理想とする写真ができたら命と代えてもいいと真剣に考え、山と取り組んでいた」(p.26)

神が造りたもうた自然の真の姿を捕えようとする気迫にみなぎる写真が多い。

そんな水越さんであるが、はじめから写真家を目指したわけではなかったようだ。師匠である田淵行男氏の写真集『高山蝶』と出会い、彼に弟子入りする。

「当時の私は自分が社会の中で何をしたらいいのかも分からず、現実的な夢を無くし、その日その日を流されるままに生きている26歳の若者だった。京都のプロダクションに勤めて映画を勉強しているつもりでいたが、本当に人生を映画に賭ける自信など持ち合わせていなかった。山登りが好きであったこと、一時は画家になりたいと考えたほど絵が好きであったことは幼少の頃から変わっていなかった。『高山蝶』はこのような私が写真を志す動機を作り、背中を押してくれた本である。その後の私の人生に大きな影響を与えた」(p.36-37)

師匠との出会いの大切さを感じた。





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わたしたちは粘土、あなたは陶工

わたしたちは粘土、あなたは陶工
(イザヤ書64章7節)

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身体に染みこんだスタイル

自分の経験キャリアマップを作成してみた。
(経験キャリアマップはhttp://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/58317よりダウンロードできます)

経験の難易度を縦軸、時間を横軸としたシートに、自身の「経験とその学び」を書き込む。

おなじストレッチ(挑戦的)経験であっても、研究、教育、業務、家庭、生活と、領域が異なると、大変さの質も異なることがわかった。

とはいえ、やはり30代から40代前半が修羅場のピークであったように思える。

50代に入って思うのは、30代、40代と同じスタイル、同じペースでは通用しないということ。仕事の仕方や家庭生活においてもアンラーニング(学習棄却)が必要となる。

少しずつアプローチを変えようとしているのだが、身体に染みこんだスタイルが、変革を拒む。なんとかアンラーニングして、今までとは違った世界を見てみたい、と思っている。




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経験キャリアマップ

経験キャリアマップとは、これまでの職業人生を振り返り、どのような経験を積み、何を学んできたかを確認するためのツールです。マップを描いた上で、自身の強みや今後の課題を考えてもらうことを目的としています。

簡単に言うと、縦軸に経験の難易度、横軸に時間(キャリア段階)をとった上で、自身の「経験と学び」を四角の中に書き込むものです。

このツールの活用方法をまとめたファイルは、以下のサイトで入手できますので、是非ご利用ください。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/58317


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