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育成を後押しする「ランチ作戦」

ビジネスパーソンとして成長するキッカケとなった経験の一つに「他部門や外部組織と連携した経験」がある。会社としては、こうした経験を増やすことで、人材育成を後押しすることができるのだ。

では、どうやって連携の経験を増やすのか?

いろいろと企業事例を調べてみると、「一緒にゴハンを食べる機会」を作ることで連携を促進している企業が目立つ。

例えば、ネットマーケティング事業を手がけるセプテーニグループでは、成長スピードにともなって社内のつながりが弱くなることを危惧し、年齢、役職、部署の異なる社員同士の交流機会を増やすために「ランチ作戦」を打ち出している。

具体的には、ランチ代は会社が持ち、日頃の業務では関わりが薄い異なる部門のメンバーやマネジャーが4人一組となって昼食を共にするイベントや、社員が話をしてみたい役員やマネジャーを逆指名しランチに行くイベントを実施ししている。

一緒にメシを食うというのが、連携の基本なようだ。

出所:日経ビジネス2013年1月28日号p.75
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隠れているもので、あらわにならないものはなく

隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない
(マルコによる福音書4章22節)
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『マルティン・ルター』(読書メモ)

徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』岩波新書

宗教改革の主導者であるマルティン・ルターの評伝である。

あのような大きな改革なので、かなり強引な手法を使ったのかと思ったが、どうも違うらしい。

「革命がともすると社会基盤の破壊につながるのと違い、ルターの改革は破壊を呼び起こすことなく、社会の再形成をめざすものであったといえる」(p.138)

それまでのカトリック教会では、聖書はラテン語で書かれており、礼拝もラテン語で行われるため、一般民衆には何のことかさっぱりわからない状態だった。このような状況で、ルターは何をしたのか?

けっこう地味な改革である。

第1に、民衆がわかるドイツ語で説教をした。
第2に、キリスト教のエッセンスを平易な言葉で解説した本(パンフレット)をたくさん作った。
第3に、聖書をドイツ語に翻訳した。

つまり、それまで一般人に閉ざされてきたキリストの教えを、言葉によって解放したのである。これに加えて教会の慣習も変えようとしたのだが、決して急がなかった。

「「そうあらねばならない」という指示命令としてではなく、自分はこのように改革の一例を示すが、もっと良い策があれば各自試みてほしいという、おおらかなものだった」(p.138)

組織においてもさまざまな改革が行われているが、ルターのやり方は参考になるのではないと思う。本書を読み、「ことば」を大事にして「伝え・語るアプローチ」の大切さがわかった。



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神に逆らう者に、救いは遠い

神に逆らう者に、救いは遠い
(詩編119章155節)


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『罪と罰』(読書メモ)

ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『罪と罰(1~3)』光文社

大学生の頃に読んだ本だが、内容はすっかり忘れていた。亀山郁夫さんの訳を改めて読んだところ、迫力あるスピーディな展開に驚いた。すべての登場人物が個性的かつ魅力的であり、構成がすばらしく、古典の堅苦しさがまったくない。 『カラマーゾフの兄弟』よりも断然面白い

ストーリーは、自分を特別な人間と勘違いして強盗殺人を犯す元大学生ラスコーリニコフが、家族や友人に支えられながら人間性を回復していく、という内容。

どんな人間でも、どこかに弱さを抱えていて、そんな弱さをさらけ出しながら生きている。息子に寄せる過度な期待、お金への執着、アルコール依存、行きすぎた自己犠牲、傲慢、中傷、ねたみ、高すぎるプライドなどなど。殺人という明らかな罪は犯していないけれど、犯罪にはならないさまざまな罪を抱えて生きている私たち。本書では、人間が持つ無意識の罪があぶりだされていく。

ところで、この小説の中に、スヴィドリガイロフという謎のおじさんが出てくるのだが、実にいい味を出している。なぜなら、善と悪の両面を持っており、いい人なんだか悪い人なんだかよくわからない怪しさがあるからだ。明らかにいい人っぽかったり、明らかに悪そうな人がいるが、実は皆、スヴィドリガイロフのように両面を持っているのではないか。

巻末の「読書ガイド」を読んで興味深かったのは、この本が書かれた経緯である。

莫大な借金を抱えていたドストエフスキーは、悪徳出版社からお金を借りて国外に逃亡するものの、ギャンブルで使い果たしてしまう。絶体絶命のドストエフスキーは、モスクワで起きた強盗殺人事件をヒントに小説のアイデアを思いつき、雑誌の編集者に売り込んだ。それが、この『罪と罰』だったのだ。

ドストエフスキーは次のように書いている。

「借金で八方ふさがりながら[小説の材料は]ふくれあがって豊かになりました」(p.461-462)

傑作というものは書こうと思って書けるものではなく、追い詰められた状況の中で生まれてくるものなのかもしれない、と思った。



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あなたは他人には教えながら

あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか
(ローマの信徒への手紙2章21節)

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『無名』(読書メモ)

沢木耕太郎『無名』幻冬舎文庫

沢木耕太郎さんが、自身のお父さんについて書いた本である。89歳のお父さんが倒れたとき、沢木さんは次のように思ったという。

「他人からは、その人生について、肉親以上の根気よさで聞いているのに、身内である父の話をまったく聞いていない。そこに罪悪感のようなものを覚えていたのだ」(p.16)

自分の父親の生涯もノンフィクション作品にしてしまう作家魂に驚いた。

沢木さんのお父さんは、企業経営者の次男として生まれるものの、会社が倒産して学業も途中で止めて放浪する。結婚した後も50歳を過ぎるまで定職につくことがなく、家計が苦しくても、家族のためにがむしゃらに働くということもない。

では、何をしていたのか?

読書である。いつも机の前に正座して本を読んでいるお父さんの読書量と知識は半端ではなかった。

「父には、何を訊いてもわからないということがなかった。この人といつか対等にしゃべることのできる日がやって来るのだろうか。そう思うと絶望的になることがあった。文章を書くようになっても、私はどこかで父を畏れていた。世の中には、たとえ無名であっても、どこかにこのような人たちがいるのだと思うと、無邪気にはしゃぐわけにはいかなかった」(p.218)

出世や有名になることにも関心がなく、ただ静かに本を読み、時に俳句を作って暮らしてきたお父さん。一言でいうならば「淡々と生きる人」である。お父さんは次のようにつぶやく。

「何も・・・・・しなかった」
「何も・・・・・できなかった」


お父さんの生きた証のために、お父さんの俳句を編纂し出版することを考えた沢木さん。しかし、次のように思った。

「私は句集を出すことで父の供養をしたいと思っていた。だが、それは私の思い込みにすぎなかったのではないか。父は最後まで無名であることを望んでいたのではないか。死の直前、父が発した、自分は何もしなかった、というひとことは、悔恨の言葉ではなく、ただ事実を述べただけだったのかもしれない。いや、むしろ、何もしなかった自分をそのまま受け入れての言葉だったかもしれない」(p.292)

本書を読み、偉人の評伝とは一味違った「人間としての生きざま」に迫力を感じた。






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徒弟制 vs 短期育成

一人前の寿司職人になるには「飯炊き3年、握り8年」と、10年以上の修行が必要となるらしい。

そのすし職人を2ヶ月で養成してしまおうというのが「東京すしアカデミー」である。ちなみに受講料は83万円(1年コースは150万円)。日本だけでなく世界から生徒が集まっているようだ。

代表の福江誠氏は、経営コンサルタントとして寿司店を支援しているうちに、「今の徒弟制度だけでは、寿司職人がいなくなってしまう」と感じ、10年前このアカデミーを立ち上げた。

筋金入りのすし職人に「1ヶ月で誰でも寿司を握れるようにできませんか」と問うたところ「握るだけならできるでしょう。基本だけ集中して教えれば」という答えがあり、設立の決意を固めた福江さん。

従来の徒弟制度は「職人世界を身体で感じさせ、職人としての心構えや姿勢を教育してから握らせる」というアプローチであるのに対し、すしアカデミーは「とりあえず握れるようになってから、現場において、職人として一人前になる」というアプローチなのだろう。とりあえず握れるようになってから、そのレベルで止まるか、もっと上のレベルになるかは、本人の意欲や職場の指導次第である。

短期間に人を育成するプログラムを作るには、人が育つためのエッセンスを考え抜かねばならない。暗黙的だった知識やスキルは、わかりやすく言葉で説明することが求められる。

そういう意味では、短期育成に取り組むことは、教える力を高めるし、自分たちのノウハウを明示化して、技術を保存し伝承する体制を整えることにもつながる。

日本では「短期育成」をバカにする風潮があるが、やり方次第では徒弟制を超えることもできるかもしれない、と感じた。

出所:日経ビジネス2013年1月7日号p.78-81.


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唇を制すれば成功する

唇を制すれば成功する
(箴言9章19節)

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