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ラーニング・ラボ

松尾睦のブログです。書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。

『死に至る病』(読書メモ)

2025年04月17日 | 読書メモ
キェルケゴール『死に至る病』岩波文庫

1813-1855に生きたデンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールの代表作。

結論としては、「真のキリスト教信仰」(心の底から自分の罪を自覚し、神とともに生きる)を持てば絶望から解放される、ということ。

ちなみに、死が終局であるような病が「絶望」なのだが、悪いことばかりではなく、人は絶望を通してでないと、絶望から解放されない。

「自己は、ひとたび絶望の経験を通じて自己自身を自覚的に神のうちに基礎づける場合にのみ、まさにそのことによってのみ健康であり絶望から解放されてありうるからである」(p. 57)。

なお、ここでいう絶望は、我々の人生に降りかかってくる不幸や災害による絶望とは異なり、「永遠的なるものを喪失すること(p. 102)」である。

だから、自分としてはハッピーな生活を送っていると思っている人でも、実は絶望していることになる。

「我々の絶望者は自分を非常にうまく閉鎖しているので、自分に関係のない人(したがってすべての人)を全て自分の自己に関することから遠ざけている—しかも外面上は彼は完全に「実際的な人間」である。彼は教養ある紳士である、夫であり父である、特別に有能な官吏、尊敬すべき父でさえある、愉快な交際家であり、自分の妻に対してもきわめて親切で子供の面倒さえもみる」(p. 128)

「自分をうまく閉鎖している」という表現が絶妙である。

本書では「自己」という概念がやたら出てくるが、キェルケゴールは、自分がなりたい自己と、神につながった自己を区別し、後者を重視する。

「けれども自己は、それが神に対して自己であることによって新しい性質ないし条件を獲得するのである。この自己はもはや単に人間的な自己ではなしに、神学的な自己ないしは神の前における自己(この意味が誤解せられることのないように祈る)とでもなづけらるべきものである。自分が神の前に現存していることを自己が意識するに至るとき、自己が神を尺度とするところの人間的自己となるとき、それはどのような無限の実在性を獲得するであろう!」(p. 159)

では、神の前における自己とは何か?

そのことははっきり書かれていないが、(自分の罪を自覚し、許しを請いながら)神様から与えられた使命に従う自分、ということなのだろう。

難解だけど、かなりグッとくるものがある書であった。

『草雲雀』(読書メモ)

2025年04月04日 | 読書メモ
葉室麟『草雲雀』文春文庫

小藩の馬廻り役150石の三男坊、栗屋清吾は28歳。

婿の口も決まらず、このままだと兄の世話になる「厄介叔父」として一生を送らなければならない(ただし剣の達人)。

清吾は、心の優しい女中みつを妻にするものの、兄からは「あくまでも妾としてだ」と釘を刺されてしまう。

そんな中、用心棒として働けば剣術指南役になれるかもしれないという話が舞い込み、お家騒動に巻き込まれるというストーリー。

「みつを正式な妻に迎える」という夢に向かって頑張る清吾の姿が感動的である。

同じく厄介叔父になりそうだった、いいかげんな友人・伊八郎が成長して、家老になっていくプロセスも面白い。

葉室麟モノの中でも珍しい「明るさ」を持つ作品で、楽しめた。

さすが「藤沢周平の後継者」である。

『獄医立花登手控えシリーズ』(読書メモ)

2025年03月21日 | 読書メモ
藤沢周平『獄医立花登手控え』講談社

藤沢周平ものは全て読んでいるが、その中でもお気に入りの『獄医立花登手控えシリーズ4巻』(春秋の檻、風雪の檻、愛憎の檻、人間の檻)を読み返したが、やっぱり面白かった。

舞台は江戸、主人公は若き医師・立花登である。

希望を胸に田舎の藩から江戸に出てきた登は、医師である叔父の小牧玄庵の家で修行することに。

しかし、酒好きでやる気のない叔父の代わりに、牢屋付きの医師(獄医)の仕事を押し付けられた登は、家の中でも口うるさい叔母や生意気な従妹ちえに軽んじられ、「こんなはずじゃなかった」という現実を味わう。

そうした日常の中で、さまざまな事件が勃発し、なぜか登が「名探偵」のように事件を解決するという物語。

ちなみに登は柔術の名人で、超人的な強さを持つ(藤沢周平作品の主人公はこのタイプが多い)。

このシリーズの何が面白いかというと「牢屋」という舞台設定だろう。

一見エンタメなのだが、罪を犯した人の心理や苦しみを交えて「人間の本質」を描く本作は深い。

生意気だった従妹のちえとの(恋愛)関係も、花を添えている。

若い人が成長する物語は、希望があっていいな、と改めて思った。

『誠実な詐欺師』(読書メモ)

2025年02月27日 | 読書メモ
トーベ・ヤンソン(冨原眞弓訳)『誠実な詐欺師』ちくま文庫

あのムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの小説。

カトリ・クリング25歳(女性)は、冷徹でロジカルシンキングの鬼のような25歳。感情に動かされることなく、ほぼ左脳で生きている人(計算や駆け引きが得意)。

ちなみに、村人たちからは「魔女」扱いされている。

唯一の例外は、10歳下の弟マッツ(ゆったりとした性格)への愛情(二人暮らし)。

そんなカトリが、裕福な画家であるアンナに取り入り、財産をゲットしよういう計画を立てるところから物語がはじまる。

左脳(論理)派のカトリが、右脳(感情)派のアンナの秘書として住み込むうちに(マッツも一緒)、二人がぶつかり合い、お互いの中に変化が生じる。

かなりネガティブなぶつかり稽古が展開されるので、けっこうストレスを感じてしまった。

しかし、そのぶつかり稽古を通じて、自分の真の姿に気づいていくプロセスを描いていくヤンソンの力量は、さすがである。

ムーミンとは全く違う世界に驚いた。

『自分の中に歴史をよむ』(読書メモ)

2025年02月14日 | 読書メモ
阿部謹也『自分の中に歴史をよむ』ちくま文庫

一橋大学学長を務めた歴史学者、阿部謹也先生の本。

阿部先生は、僕の出身校である小樽商科大学でも教えられていたので、親近感を持って読めた。

前半は先生の生い立ちや若き日の研究のはなしで、後半は先生の主な研究内容の紹介であるが、前半が面白い。

一番インパクトがあったのは、一橋大学のゼミの指導教員であった上原専禄(せんろく)先生の言葉。

解(わか)るということはそれによって自分が変わるということでしょう」(p. 21)

これはすごい考え方である。自分が変わるような理解の仕方が、本当に解っている理解だといえる。

研究テーマを決めるときに放った上原先生の言葉もすごい。

「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」(p. 18)

人生を捧げて研究する、といった気迫を感じることができる。

後半の内容も、こうしたスピリットに基づいていることが伝わってきた。

師匠の影響は、やはり大きいものだな、と思った。


『現代という時代の気質』(読書メモ)

2025年02月01日 | 読書メモ
エリック・ホッファー(柄谷行人訳)『現代という時代の気質』ちくま学芸文庫

沖仲士の哲学者」エリック・ホッファーのエッセイ。

本書が発行されたのは1967年だが、彼のメッセージは現在の社会情勢にも通ずる。

ホッファーによれば、我々の時代の特徴は「少年化」「幼児化」であり、それを促しているのが、エリート層である知識人である。

「あらゆる指導者は彼らに従う者たちを子供に変えようと努力する」(p. 14)

全国民の幼児化こそ、知識人の権力掌握のもたらす最も致命的な結果のひとつなのである」(p. 91)

「知識人が支配する社会は、動物園に似る傾向がある」(p.121)

たしかに、世界各地で人々の「幼児化」が進んでいるように思う。

本書を読み印象に残ったもう一つの点は、われわれ「個人の中にある自然」との向き合い方。

「自然はつねにわれわれの周囲、われわれの内部にあって、しようと思えばいつでもわれわれを矯正し、人間が加工し、成就してきたものすべてを一掃できるのだ。人間の生の主要な目的は、いまなお人間になり人間でありつづけること、そして自然の侵害から人間の業績のかずかずを守ることである」(p. 108)

ここでいう「内部の自然」とは「欲望や恐怖」であり、人間であり続けるためには、われわれは内部の自然と戦わなければならないのだ。

「内部の自然」はフロイトの「リビドー」のようなものであり、幼児化のはなしもエーリッヒ・フロムの主張と似ている。

ホッファーの考え方は、かなり精神分析的だな、と思った。

『悪について』(読書メモ)

2025年01月16日 | 読書メモ
エーリッヒ・フロム(渡会圭子訳)『悪について』ちくま学芸文庫

原題はThe Heart of Manであり、人間の本性について述べた書である。

精神分析を社会に適用するフロムは2元論で語るので、結構わかりやすい。

具体的には、「成長のシンドローム」(前進)と「衰退のシンドローム」(退行)の二つの方向性を示していて、成長が「善」、衰退が「悪」という感じである。

成長のシンドロームは、①生の喜びを重視する「バイオフィリア」、②「他人への愛」、③「独立心」と関係している。

衰退のシンドロームは、②死に魅せられてしまう「ネクロフィリア」、③「ナルシシズム」、③「近親相姦的共生(母への固着)」と関係している。

人間は、どちらの面も持っていて、どちらが優勢になるかで、その人の生き方が変わるらしい。

興味深かったのは、「集団的ナルシシズム」。

「第一次世界大戦はヒューマニズムへの深刻な打撃であり、そこから集団的ナルシシズムの熱狂が拡がった。第一次世界大戦の全交戦国における国家的ヒステリー、ヒトラーの人種差別、スターリンの政党偶像化、イスラム教とヒンドゥー教の狂信、西欧の反共主義など、さまざまな集団的ナルシシズムの現れが、世界を全面的な崩壊の淵へと追いやった」(p. 110-111)

「自分中心」だけでなく「自分が所属している集団・組織にコミットしすぎること」も、人を衰退の方向に導くのだ。これは多くの人に当てはまりそう。

一番面白かったのは最終章。

フロムは「スピノザ、マルクス、フロイト」の思想に基づいて本書を書いているのだが、これら3人とも決定論者(人の行為は何らかの原因によって決められているという考え方)と言われがちな人々。

「三人の思想家は人間の自由を否定し、人間の背後で働き、その人に何かをしたいと思わせ、行動を決定する力を発揮するものを人間の中に見出しているように思える」(p. 201)

しかし、とフロムは言う。

「スピノザ、マルクス、フロイトが決定論者であるというこの解釈は、この三人の思想家の哲学的な他の面を完全に忘れている。”決定論者”スピノザの主要な業績が、なぜ倫理についての本なのか。マルクスの目的が主に社会主義革命であり、フロイトが主に目指したのは精神的な病気に悩む患者の神経症の治療法であったのはなぜなのか」「彼らは説明や解釈をしたがる哲学者というだけでなく、変化と変革を目指す人々でもあった」(p. 202)

つまり、たとえ衰退のシンドロームの方が強い人であっても、やりかた次第では成長のシンドロームを強くすることは可能なのである。

では、どうすべきか?

「人の行動はそれに先行する原因によって決められているが、自覚と努力によってそれらの原因の力から自分を解放することができる」(p. 206)

この結論には、かなり勇気づけられた。

自分の状態を「自覚」して、改善の「努力」をすることで、成長のシンドロームに向けて歩むことができる、といえる。

そういう意味では、自分を客観視する「リフレクション」が鍵になるかもしれない。

『グレート・ギャツビー』(読書メモ)

2025年01月02日 | 読書メモ
フィッツジェラルド(野崎孝訳)『グレート・ギャツビー』新潮文庫

舞台はニューヨーク郊外。

証券会社に勤める「僕」の家の隣りに、ギャツビーが住む大邸宅がある。

そこでは夜な夜な豪華なパーティーが開かれているのだが、ギャツビーの素性は謎に包まれている。

ちなみに、ギャツビー自身はグレートとは言えない人物なのに、タイトルが『グレート・ギャツビー』であるのが不思議だった。

解説を読んでいると、作者のフィッツジェラルドも、つけたタイトルに納得がいかなかったようである。

本作を読んで感じたことは、人間の持つ「光と影」。

ギャツビーは、とても純粋な面と、冷酷な面を持っていて、それが同居しているのだ。

しかし、純粋な面を掘り下げていくと、そこには「自己中心性」があるため、人生の歯車がかみ合わなくなる。

人間はたいてい自己中心だが、それを抑えることが大事になるな、と感じた。

『魔の山』(読書メモ)

2024年12月12日 | 読書メモ
トーマス・マン(関泰祐・望月市恵訳)『魔の山(上・下)』岩波文庫

そこそこの資産を持つ若者ハンス・カストロプ(ドイツ人)が、ちょっとした療養のためにスイスのサナトリウム(結核療養所)に滞在する。

3か月のつもりが、数年になってしまい、そこでさまざまな体験をしながら成長する物語

印象的だったのが、下界から隔絶された施設であっても、一つのコミュニティを構成しており、利用者たちはそこそこ満ち足りているという点。

どこであっても「世界」ができあがるのだな、と思った。

心に残ったのは、ハンス・カストルプの世話を焼きたがるセテムブリーニというイタリアのおじさん(学者)。なにかとハンスにアドバイスしたり、説教したりするのだが、そこに愛があるのだ。

二人のやりとりは頻繁に描かれており、本作に一つの筋を与えている。

人が成長する上で「師」や「メンター」の存在が大事になる、と改めて思った。


『エマ』(読書メモ)

2024年11月28日 | 読書メモ
ジェイン・オースティン(中野康司訳)『エマ』ちくま文庫

ジェイン・オースティンもの最後の1冊。

美人で性格も悪くないエマ・ウッドハウスが主人公(村一番の金持ちの娘)。

他のオースティン作品の主人公と違うのは、性格的に成長しきっていないところ。

他の作品では、初めから成熟している主人公が多いのに対し、エマは作品の中で成長していくのだ。

当初のエマは、人を見る目がなく、勝手な思い込みで暴走してしまう。

そんなエマの成長を支えるのが、親戚のお金持ちのナイトリー氏。

エマの問題点をズバズバと指摘する唯一の存在である(ちょっと厳しすぎるが…)。

耳の痛いことを言ってくれる人は大切にすべきである、と思った。