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『ファウスト』(読書メモ)

ゲーテ(手塚富雄訳)『ファウスト:悲劇第一部・第二部』中公文庫

巨匠ゲーテの代表作。
(第一部の冒頭にある「神様とメフィスト(悪魔)の会話」は、聖書のヨブ記を連想させる)

学者ファウストがメフィストと契約し、通常では考えられないような経験の旅に出る物語。

本書を読んでいる最中に感銘を受けたかというと、その逆で、退屈だった

なぜなら、ファウスト自身に魅力がないから。精神的な深みを感じられないし、世俗的である(美女好き)

ただ、第一部の、メフィスト(悪魔)との絡みは、まるで漫才を見ているようで面白かった。そして、純粋な少女グレートヒェンとの悲恋にはグッとくる。

しかし、第二部に入ると、わけのわからない展開が続き、「早く終わってくれ」と祈りながら読む状態。

なんだ駄作じゃないか」と思いながらラストシーンを読んでいたら、ゲーテは最後にちゃんと「オチ」を用意してくれていて「感動」である。

ファウストが世俗的である理由が分かり、「やっぱりゲーテは凄い」と思った。

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『はじめての構造主義』(読書メモ)

橋爪大三郎『はじめての構造主義』講談社現代新書

知人から「構造主義が大事だ」と言われたので読んでみた。

構造主義というと、人類学者のレヴィ=ストロースだが、彼に影響を与えたのが言語学者のソシュール

ソシュールは、人種や文化の違いに関係なく「人間の言語構造が似ている」ことを指摘した人。

博士論文をまとめるのに困っていたレヴィ=ストロースは、この理論を人類学に応用し、「人間がなぜ親族というまとまりを作って生きているか」という問題を考えた。

その答えは「女性(という価値あるもの)を交換するために親族はある」という理論である。

という具合に、本書は大変わかりやすく書かれているが、それでも途中からこんがらがってきて、「わかったようで、わからない」状態に陥ってしまった。

そんな中、構造主義の本質を指摘したのが次の箇所。

「レヴィ=ストロースの語るところによれば、構造主義には三つの源泉がある。マルクス主義、地質学、それに精神分析。これらに共通するのは、目に見える部分の下に、本当の秩序(構造)が隠れている、と想定している点だ」(p. 206)

ざっくりとした説明だが、やっと構造主義の考え方が腑に落ちた。
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『オデュッセイア(上・下)』(読書メモ)

ホメロス(松平千秋訳)『オデュッセイア(上・下)』岩波文庫

『イーリアス』は読んでないが(10年くらい前に途中で挫折)、その続編である本作(叙事詩)を読んでみた。

トロイア戦争後、英雄オデュッセウスは故国イタケに帰る途中で遭難し、10年間漂流することに。

なぜか?

それは、海の神ポセイダイオン(ポセイドン)の逆鱗に触れたからである。

しかし、最終的にはイタケに帰ることができる。

なぜか?

それは、女神アテネに気に入られているからである。

という具合に「人間の人生は神々の意向に左右される」という点が本作の特徴。

では、感動したかというと、そうではなく、むしろ面白かった

何が面白いかというと、とても「人間くさい」ストーリーであるところ(神々もかなり人間くさい)。

ちなみに、オデュッセウスは、ずるかったり、セコかったりする人物なのだが、なぜか「がんばれ」と応援したくなる「憎めない人」である。

本作を読み、ギリシャ神話の世界を感じることができて、よかった。
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『ジャクリーヌと日本人』(読書メモ)

ヤーコブ(相良守峯訳)『ジャクリーヌと日本人』岩波文庫

舞台は、1920年代のドイツ、ベルリン(ちなみに、大恐慌の真っただ中)。

音楽家夫婦(私とジャクリーヌ)と、その家に間借りしている日本人研究者「プロフェッサー・ナカムラ」との交流が描かれていて、なかなか味わい深い作品だった。

貧乏生活を強いられる音楽家夫婦に対し、日本から留学に来ているナカムラは羽振りが良い。

それに加え、ナカムラの人間性に好意を持つ妻ジャクリーヌにイライラする音楽家は、「ケッ、黄色人種のくせに」という差別感情を抱く。しかし、彼とつきあっていくなかで、徐々にナカムラの精神性に感銘を受けるようになるという物語。

特に、関東大震災によって日本にいる家族が大変なことになっているにもかかわらず、平静を保つナカムラの態度が「ザ・サムライ」という感じで印象ぶかい。

なお、ナカムラのモデルとなった先生による「解説(追憶?)」が本書の巻末に収録されているのだが、実際のヤーコブやジャクリーヌに対するネガティブなお話が暴露されていてビックリ。

作品と現実のギャップを感じた。



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『バガヴァッド・ギータ―』(読書メモ)

『バガヴァッド・ギータ―』(上村勝彦訳)岩波文庫

有名なヒンドゥー教の古典(タイトルは「神の歌」を意味するらしい)。

とても深い内容で感銘を受けた。

ある一族が2つの軍に分かれて戦争する事態になったとき、一方の派閥の若きアルジュナは「一族でこんな争いをしていよいのか?」と疑問を持ち、親類のクリシュナに相談する。

実はこのクリシュナは神様の化身のような人(聖バガヴァッド)で、人間としてあるべき姿をアルジュナに説く。その内容が本書である。

バガヴァッドの教えとは
・欲望に執着せず
・すべてを神にゆだね
・定められた行為に専念し
・結果を気にするな

ということ。

勇士よ、欲望という難敵を殺せ(p. 49)

執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ(p. 46)

諸行為をブラフマンに委ね、執着を捨てて行為する人は、罪悪により汚されない(p. 58)

ブラフマンに捧げる行為に専心する者は、まさにブラフマンに到達することができる(p. 53)

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない(p. 39)

行為は、執着と結果とを捨てて行われるべきである(p. 132)

要は、自分の欲望や成果にふりまわされずに、神様から各自に与えられたミッション(使命)に専心しなさい、ということだろう。
(ちなみに、ブラフマンとは「宇宙を支配する原理」という意味らしい)

とてもシンプルで力強い教えである。

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『ソクラテスの思い出』(読書メモ)

クセノフォン(相澤康隆訳)『ソクラテスの思い出』光文社古典新訳文庫

著作を残さなかったソクラテスがどのような人物で、どのような思想を持っていたのか、という問いは「ソクラテス問題」と呼ばれる(p. 349-350)。

その有力な証言が、弟子プラトンと、歴史家で軍人のクセノフォンだという。

神々を信じず、若者たちを堕落させた罪で死刑になったソクラテスだが、本書は「そんなことはない」ということを伝えようとて書かれたもの。

印象に残ったのは「神を信じる心」と「学び」の大切さ。

「ソクラテスは、人が言ったことも、行ったことも、ひそかに計画していることも、神々は何もかもご存じであり、あらゆるところに居合わせ、人間に関わりのある一切の事柄について人々にしるしを与えてくださる、と考えていたのだった」(p. 26)

そして大事なのは、神が命じたことを、全力で行い奉仕することである。

神々自身がお命じになるとおりに行うよりも、もっと立派に、もっと敬神的に神々を敬う方法がどうしてありえようか。ただし、手を抜いて己の力を下回るようなことは決してあってはならない。なぜなら、誰かがそのようにするときには、その人が神々を敬っていないことはどう見ても明らかなのだから。それゆえ、己の力を余すことなく神々を敬い、自信をもって、最大の恵みを期待することだ」(p. 289-290)

自分の力を発揮して、やるべきことをやることが神を敬う最善の方法ということになる。

本書を通してソクラテスが強調しているのが「学習と練習」の必要性。

「この世で徳と呼ばれるものは、すべて学習と練習によってますます大きくなるのだよ」(p. 147)

「生まれつきの性質がどうあれ、学習と練習によって勇気は増すと私は考える」(p. 217)

「求めずして何か欲しいものに行き当たることが幸運だと思うのに対して、何かを学習しかつ練習することによってうまくなし遂げることが成功だと考えるからだ」(p. 223-224)

「もっとも素質に恵まれ、魂の不屈さと手がけたことを成し遂げる力において抜きんでた人は、教育を受け、なすべきことを学べば、もっとも優秀でもっとも有益な人間になる」(p. 256)

ただし、忘れてはいけないのは「己を知る」ということ。

「己を知っている人々は、自分に向いていることを知っていて、自分にできることとできないことを見分ける」(p. 273)

まとめると、「神の導きにしたがい」「自分の力を知り」「学習や練習を怠らず」「全力で奉仕せよ」ということだろう。

「ソクラテス=ちょっと意地悪なオジサン」という印象を持っていたが、本書を読み、ポジティブなイメージに変わった。




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『道徳形而上学の基礎づけ』(読書メモ)

カント(中山元訳)『道徳形而上学の基礎づけ』光文社古典新訳文庫

カントが書いた本は初めて読むが、感動した。

まず、善について。

「善い意志が<善い>ものであるかどうかは、それがどんな働きをするか、それがどんな結果をもたらすかによって決まるのではないし、何らかの定められた目的を実現するのに適しているかどうかによって決まるのでもない。善い意志はそれが意欲されることによって、すなわちそれだけで善いものである」(p. 32)

結果ではなく、「思い」が重要になるのだ。次の箇所にもグッときた。

「とにかく運が悪くて、あるいは自然が[意地の悪い]継母のようにごくわずかな天分しか与えなかったために、この[善い]意志にはその意図するものを実現するための能力がまったく欠けていたとしても、さらにこの意志ができるだけ努力したにもかかわらず、何も実現できなかったとしても、あるいはこの意志がたんなる願望のようなものではなく、わたしたちが利用できるすべての手段を尽くしたにもかかわらず、[何も実現されずに、ただ]善い意志だけが残っているような場合でも、善い意志はあたかも宝石のように、そのすべての価値をみずからのうちに蔵するものとして、ひとり燦然と輝くのである」(p. 32-33)

「行為の本質的な善を作りだすのは、その人の心構えであって、その結果がどうであるかは問題とならない」(p. 97)

この考えには勇気づけられる。たとえ、障害のために十分な働きができなかったとしても、善い思いを持つ人は「燦然と輝く人」なのだ。

さらに素晴らしいのは「人間性は目的そのものである」(p. 137)という考え方。

「しかし人間は物件ではなく、たんなる手段としてのみ使用されうるものではない。人間はそのすべての行為において、みずからをつねに目的そのものとみなさねばならない」(p. 137)

つまり、カントによれば、自分の命を守ることは義務であり、自殺することは自分自身への義務を放棄することになる。

さらにカントは言う。

「ところで人間性のうちには、現在の状態よりもさらに大きな完全性を目指すという素質がある。この素質は、自然がわたしたち主体のうちの人間性について定めた目的の一つなのである」(p. 140)

したがって、自身の人間性を開発することを放置する人は、自分自身の義務を果たしていないことになる。

では、他者に対してはどのようにふるまうべきなのだろうか。

「他者への功績的な義務については、自然はすべての人間が、自己の幸福を実現することを目的としていることを指摘しておこう」(p. 141)

先ほどの「人間性=目的」という考え方からすれば、他者の幸福を促進することも大切な義務なのだ。

こうした「意志としての善」「目的としての人間性」「自己成長の義務」「他者の幸福の促進」という前提に基づき、道徳性の哲学を構築しようとしているのが本書である。

西田幾多郎は『善の研究』において、「社会のために個人性を実現することが完全な善である」と述べているが、カントの考え方がベースとなっているようである。

なお、本書の後半は、訳者の中山元氏による解説なのだが、とても参考になった。
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『九十歳のラブレター』(読書メモ)

加藤秀俊『九十歳のラブレター』新潮文庫

著名な社会学者だった加藤秀俊先生の著書。

同級生の奥様を亡くされた直後に書かれたエッセイなのだが、純愛があふれている

1952年に起きた血のメーデーに参加した加藤先生。警察に追われているとき、ふと横を見ると、当時付き合いはじめたばかりの奥様がいた、という映画の一シーンのような場面から始まる本書。

全編にわたり、20代のときも、80代のときも、同じように奥様を愛おしんでいるところが初々しい。

「当然、この歳月のあいだにぼくたちは年齢をかさね、もう九十歳になろうとしている。握りあっている手や指も、おたがいずいぶん瘦せ細ってしまったが、ふたりのあいだを静かに流れている微弱電流のようなものはすこしもかわっていない、とぼくはおもった。そして、あなたもまたおなじ感覚をわかちあっていることが、指先から確実につたわってきていた」(p. 163)

城山三郎氏による『そうか、もう君はいないのか』(新潮社)を思い出した。

本書を読み、出会ったころと同じ新鮮さを感じ続けていた加藤先生の誠実さに感動した。

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『経済学・哲学草稿』(読書メモ)

マルクス(長谷川宏訳)『経済学・哲学草稿』光文社古典新訳文庫

マルクスが26歳のときに書いたとされる原稿。

タイトルに「草稿」とあるように、ノートのようなもの。それだけに、若き日のマルクスの息遣いが聞こえてくるようだった。

驚いたのは、マルクスは、先人の研究をかなり読み込んでいて、その上に自身の理論を打ち立てようとしていること。

学術論文を書くときには、まず「先行研究レビュー」(これまでどのような研究が行われてきたのかをしっかり記述すること)が欠かせないが、マルクスもその手続きを踏んでいる。

てっきりマルクスは、オリジナルの理論をパッと示したのかと思いきや、地味な作業をしていたことが意外だった。

もう一つ印象に残ったのは、タイトルにあるように、「経済学」を学ぶ上で、その土台として「哲学(ヘーゲル哲学)」を学んでいた点。

ヘーゲル哲学についての記述はちんぷんかんぷんだったが、マルクスの研究姿勢に感銘を受けた。

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『ヨーロッパ文化と日本文化』(読書メモ)

ルイス・フロイト(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波文庫

1563年に、イエズス会宣教師として来日し、1597年に長崎で亡くなるまで、日本で布教したルイス・フロイトの手記。

われわれの間では~だが、日本では~である」というメモ的な記述なのでちょっと退屈だが、当時の日本の状況を理解することができた。

「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる」(p. 39)

えっ!この時代に?」と思ったが、訳注を書いている岡田先生によれば「この時代には処女の純潔や貞操を重んずる観念は薄かった」らしい(p. 3)。

意外である。

「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ[言葉?]によって譴責するだけである」(p. 64)

これも意外だった。

「われわれはすべてのものを手をつかって食べる。日本人は男も女も、子供の時から日本の棒を用いて食べる」(p. 92)

これには驚いた。

岡田先生によると「ヨーロッパの場合、食卓でフォークを用いる慣習は十七世紀になってから始まったもので、それまでは手づかみであった」(p. 92)

「われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他の者は酔払う」(p. 99)

ふーむ。このころからイッキ文化があったのか。

「われわれの間では財産を失い、また家を焼くことに、大きな悲しみを表わす。日本人はこれらすべてのことに、表面はきわめて軽く過ごす」(p. 177)

これは今も指摘されていることであるが、岡田先生いわく「わが国は地震などの災害が多いために、そうした国民性が培われたとも考えられる」(p. 177)

ということで、日本文化を理解する上で、貴重な本であった。

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