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愛しながら戦う

『うらおもて人生録』(新潮文庫)において色川さんは、「生きていく上での原理原則」について述べている。

「俺に書けることは、技術だ。どのコースを行こうと必要になる基本的セオリーだ。まァそう思ったんだね。それで記しはじめてみると、どうもそういかないんだ。姿勢の問題と、技術の問題は、ジャンルがちがうのだけれども、遠くの方に行くと、天と地がつながっている一線があるんだね。技術だけを別の皿で出すわけにはいかないんだな」(p.217)

では、その姿勢の問題とは何か?

それは「人を好きになる」「人から愛される」ということであるという。

「小さいところでは技術は技術そのものでしかないんだが、大きな技術になると、天と地が遠くでむすびつくように、結局、どれだけ人を好きになれるかということが問題になってくるんだな」「俺は宗教家じゃないから、愛が万能なんていわない。そんないいかたは大きらいだ。けれども、愛が下敷きになっていないとね。本当だよ。人と人とはどうしても争わなければならないんだけれどね。愛しながら、たたかいのしのぎができるかどうか」(p.218)

愛しながら戦う。とても難しいが、魅力的な考え方である。
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プラスマイナスゼロ

色川武大さんの『うらおもて人生録』(新潮文庫)が深すぎたので、今週は読書メモを休んで、2つの考え方を紹介したい。

今日は、「プラスマイナスゼロ」の話。

「人生のトータルというものは、結局プラスマイナスゼロに近いものになってしまうようだ、という、まずこのことが、どうもうまく伝達しにくい。生きていくうえで、誰も、ゼロを目標にはしていないよね。だから、結局はゼロだぞ、といういいかたは、人の気持ちを少しもひきつけないんだ。だからしゃべりにくい」(p.222)

この話が深いのは、個人のケースを飛び越えて、組織や社会にまで言えそうだということ。一番びっくりしたのは、次の箇所。

「物事というものは、進歩、変革、そういうことが原因して、破滅に達するんだ」「たとえば、誰かが、俺たちの生活が一変するようなものすごい発明をしたとするね。あ、人類にとって大きなプラスだ、科学の勝利だ、それはそのとおりなんだけれども、この勝利によって、その分だけ確実に、終末に近づいてもいるんだ」(p.222-223)

科学技術の進歩がもたらした気候変動や原発による汚染などを考えると、色川さんが言っていることが実感できる。そして、「革新=良いこと」という前提が崩れてくる。

そして、色川さんは我々にアドバイスする。

「調子に乗って、十五戦連勝なんて、狙っちゃダメだ。破滅をひきよせているようなものさ。九勝六敗どころか、現状では、七勝八敗くらいを目標にしてちょうどいいかもしれないね」(p.232)

もうすこし肩の力を抜いて仕事をしよう、と思った。
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あなたは、兄弟の目にある屑は見えるのに

あなたは、兄弟の目にある屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか
(ルカによる福音書6勝41節)

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『うらおもて人生録』(読書メモ)

色川武大『うらおもて人生録』新潮文庫

まちがいなく、人生論の名著だ。

色川さんの持論は、「人生には全勝はありえず、せいぜい頑張って9勝6敗。いかに負けるかが重要」という考え方。プロのギャンブラーだった自身の経験から紡ぎ出された教訓である。

では、どうしたら9勝6敗の成績をおさめることができるのか?

その秘訣は「フォーム」にある。

「フォームといいうのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな」(p.98)

「これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォームなんだな。だから、プロは、六分四分のうち、四分の不利が現われたときも平気なんだ。四分はわるくても、六分は必ずいいはずだ、と確信しているんだね」(p.98-99)

「わるいときも、いいときも、動揺しないで同じフォームを守っている。だから六分勝てるんだからね」(p.99)

このフォームについて、王選手の話が印象に残った。

昔、王選手が最高潮の頃、広島の白石監督が「王シフト」を考えた。守備を右翼方面にずらすのが王シフトなのだが、左に流し打ちすれば簡単にヒットになる。その狙いは、王選手のフォームを崩すことだったという。

「ところが王は、流さずに、いつものとおりライトへがんがん引っ張ってきた。それで王シフトのもくろみは失敗でした、と白石はいってたな。どの道でもそうだけども、プロはフォームが最重要なんだ。フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな。気力、反射神経、技、それ等の根底に、このフォームがある。まず、自分流のフォームをつくらねければならないんだがね」(p.94)

この部分を読み、確かに自分にもフォームがあることに気づいた。しかし、同時に、フォームを改良しなければならないことにも気づいた。







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マネジメントの仕事を任せてみる

先日、あるセミナーで「課長候補の中堅社員を、どのようにトレーニングすべきか」という質問を受けた。

そのとき思い出したのが、ある育て上手の課長さんの話。

「課長としてのマネジメント業務を切り分けし、後継者になりそうな中堅社員に部分的に任せている」ということを実践されていた。

育て上手のマネジャー調査をしていると、結構、これと似た話が出てくる。

「マネジメント業務だから自分がやらないといけない」と思ってしまう課長も多いだろうが、少しずつ自分のマネジメント業務を部下に任せてみたらどうだろうか。

こうしたことを組織的に進めていけば、優れた「マネジャー育成システム」になると思った。

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苦難の襲うとき、わたしは主を求めます

苦難の襲うとき、わたしは主を求めます
(詩編77章3節)

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『ロスト・モダン・トウキョウ』(読書メモ)

生田誠『ロスト・モダン・トウキョウ』集英社新書

筆者の生田さんは言う。

「未曾有の災害といわれた関東大震災で、東京の街は、江戸と訣別した」「だが、悲しみばかりでもなかった。新しいモダン東京、大東京の時代が始まったのだ」(p.6)

本書は、第二次世界大戦前後と、昭和三十年代までの東京を、きれいな絵葉書とともに紹介した本である。

銀座、日本橋、丸の内、上野、浅草、新宿、渋谷などの、失われた街並みやモダン建築が色鮮やかに蘇る。

建物に限っていえば、昔のほうがカッコイイ。ヨーロッパ調と日本式が混ざっていて、一種独特の雰囲気をかもしだしているのだ。まさに「モダン東京」である。

われわれはどんどん新しいものに飛びつくが、ちょっと立ち止まって、昔の日本を振り返ることも大事ではないか、と思った。




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仕事の意味を考える

先日、ジョブアサインメント(仕事の割りあて)について、企業の方々と話す機会があった。

どんな仕事に取り組むかで、その人の成長が左右される。できれば、各メンバーの成長につながる「適度に難しい」仕事をアサイン(割り振り)したい。しかし、なかなか丁度良い仕事がないケースも多い。

そんなときに必要なのは「仕事の意味」を説明することじゃないか、という話になった。

その仕事が持つ「全社における位置づけ」「他部門への影響」「生み出す価値」など、マネジャーがしっかりと説明すると同時に、メンバーと議論して意味や意義を見いだすことができれば、仕事へのコミットメントも高まるはずである。

何げなく取り組んでいる仕事の意味を、職場全体で見つめ直す機会を持つことの大切さを感じた。



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疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています

疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています
(ヤコブの手紙1章6節)

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美とは何か

ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』(鈴木力衛訳、岩波文庫)を読んで感じたのは「美しさ」。

内容は、孤児となったエリザベートとポールの姉弟と、彼らの友人ジュラールとアガートとの関わりを中心としたストーリー。ちなみに表題に「子供たち」とあるが、最終的に彼らは、ほぼ大人へと成長している。

特殊な環境で生活する彼ら四人の乱れた生活と、歪んだ人間関係が淡々と描かれるのだが、なぜか詩的であり、悲惨なエンディングも美しい

どこか川端康成の小説と通ずるところがあるような気がした。

解説には次のように書いてある。

「一見定型からはみだしたようにみえる斬新なスタイルの根底には、伝統的な美の秩序をめざす張りつめた意識がひそんでいるのを見のがしてはならない。それは、独自の詩的感覚を基調として、作品の完成を高度に磨きあげようとする、いわば古典的な美意識である。ジャン・コクトーの作品の構造の秘密は、そこにあると云うことができよう」(p.133)

「美」とは何か、について考えさせられた。




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