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『西行 魂の旅路』(読書メモ)

西澤美仁編『西行 魂の旅路』角川ソフィア文庫

平安末期に活躍した歌人・西行は、名門の家に生まれて崇徳天皇在位中に北面の武士を務めるものの23歳で出家。それからは和歌にすべてをささげる人生を送ったという。高野山や伊勢神宮を拠点として活動した西行は1190年に73歳で亡くなっている。

西行が伊勢神宮で詠んだとされる歌。

何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる

編者の西澤氏によれば、実はこの歌、西行が作ったものではないことがわかっているという。当時、お伊勢参りが爆発的に流行した際のキャッチフレーズのような歌らしい。

確かに他の歌と比べると少し大げさな気もするが、歌としては好きである。

西行がいてこそ、この歌がこの世に遺された、ともいえる。
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わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる

わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる
(イザヤ書55章7節)

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『異邦人』(読書メモ)

カミュ(窪田啓作訳)『異邦人』新潮文庫

なんとも不思議な読後感だった。

堅実な勤め人であるムルソーは、養老院に入っていた母の死にも感情を動かすことがなく、恋人マリイから結婚しようといわれても「君が望むのなら結婚してもいい」と答えるような、どこか現実から距離を置きながら生活している人間。

そんなムルソーは、ちょっとしたハプニング(正当防衛)から殺人を犯してしまうが、裁判のプロセスにおいても、どこか他人事のよう。

がゆえに、事態はどんどん悪い方向へとすすむ。普通の感覚を持つ人から見ると、ムルソーは非人間的で冷血漢に見えるからだ。

この小説を読むと、いかに世間が、共有した規範・倫理観・道徳を前提に動いているか、また、そうした前提を無視すると、とたんに排除されてしまうかがわかる。

世間における「あたりまえ」の恐ろしさに気づかせてくれる本書は、やはり名作だと思った。



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強すぎるレジリエンスの問題

ストレスのかかる困難な状況に負けず、心理的に回復する能力を「レジリエンス」と呼ぶ。

一見大切な能力に思えるが、プレミュジックとラスクによると、レジリエンスが高すぎても問題があるらしい。

なぜか?

それは、レジリエンスが強すぎると
・達成不可能な目標に固執し
・過度の自信や楽観主義のせいで、ムダなエネルギーを使い
・部下や他者からも拒絶されてしまう

からだ。

要は、レジリエンスが普通レベルだと、良い意味での「あきらめ」が働き、軌道修正することができるが、レジリエンスが高すぎると軌道修正が難しくなる、ということだろう。

精神が強靭すぎても問題が起こるという点が面白い。

出所:ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー2019年11月号, p.92-94.

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『用心棒』(映画メモ)


『用心棒』(1961年、黒澤明監督)

とある宿場町にぶらりと寄った浪人(三船敏郎)が、二つに割れたやくざの抗争を解決する物語。強さだけでなく知力を使ってうまく切り抜けるところが一流の用心棒の証である。

ストーリー的には大したことないが、仲代達矢、東野英治郎、加藤大介等、役者の迫力が映画を作っている。

この映画は、他の黒沢映画に比べて、三船敏郎の存在感がずば抜けているのだが、なぜだろうと考えたところ、用心棒役にぴったりはまっているからだと思った。

『七人の侍』『赤ひげ』『酔いどれ天使』『羅生門』の三船敏郎も良かったのだが、どこか本人とずれているように感じた。それに対し、自信に満ち、飄々として、自然体な用心棒役はとても「三船敏郎らしい」のだ。

組織においても、自分の強みと役割がうまくマッチすると、「自分らしい」仕事ができるのだろう、と思った。
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何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。

何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。
(箴言4章23節)
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行き詰りと発見

先日読んだ『人間の建設』(新潮文庫)より。

小林秀雄と岡潔がトルストイとドストエフスキーの話しをしているときに、突然話がかわる箇所がある。

岡:専門家でないと、どうしても興味本位になっていけないですね。殊に数学が壁に突き当たって、どうにも行き詰ると好きな小説を読むのです

小林:行き詰るというようなことは…

岡:数学は必ず発見の前に一度行き詰るのです。行き詰るから発見するのです

ちなみに、これは岡さんだけのことではなく、他の数学者の場合も同じらしい。

岡:西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。行き詰って、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。それが不思議だとポアンカレは言っています。

ということは、物事が行き詰ったときは、何かがブレークスルーする予兆だともいえる。このように「行き詰り」をポジティブにとらえると気持ちが少し楽になるかもしれない。

出所:小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮社、p.90-91.
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『早く家へ帰りたい』(読書メモ)

高階杞一『早く家へ帰りたい』夏葉社

腸の難病のため、生まれて一年の間に五度の手術を受けた雄介君。三年目の夏にやっと退院の許可が出て、幼稚園にも通えるようになった矢先に亡くなってしまう。雄介君の4年弱の生涯を詩にしたのが、父親の高階さんだ。

「おまえはたった三つで逝ってしまった
まだ受け身も知らないままに
その意味を
ぼくはぼくに問う
ぼくは神に問う
なぜ、まだこんなに小さく柔らかな者を
あなたは召されたのですか」
(p. 49-50)

雄介君が家で過ごしていた頃、「ジョーシン(大型家電販売店)」「バンバン(おもちゃの専門店)」「ダイエー(スーパー)」のおもちゃ売り場でミニカーを買っていたという。

「ジョーシン、バンバン、ダイエー
ジョーシン、バンバン、ダイエー
その口癖を思い出しながら
ぼくは
もう誰の目にも見えなくなったこどもを連れて
時折
ジョーシンやバンバンやダイエーに行く
こどもはすぐにミニカーの方にかけていく
どれがいい?
聞きながら くるまを選び
レジに持っていく
店員には
こどもが家で待っている
みたいな顔をして」
(p. 96-97)

吉田松陰は「十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある」と『留魂録』に書いているが、雄介君にも三歳の中に四季があったのだろう。きわめて短いながら、その四年間は、お父さんとお母さんからの愛情をたっぷりと注いでもらった時間だったにちがいない、と感じた。





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『ブラックレイン』(映画メモ)

『ブラックレイン』(1989年、リドリー・スコット監督)

ニューヨークで捕まえたヤクザ佐藤(松田優作)を日本に連行したものの取り逃がしてしまう刑事ニック(マイケル・ダグラス)が、日本の刑事・松本(高倉健)と協力しながら佐藤を捕まえようとする物語。

舞台は大阪なのだが、「謎めいたアジアの国」に見えてしまうのが不思議である。アメリカ人から見ると、日本はこのように映っているのだろう。

映画の出来としてはイマイチだったが、やはり高倉健が良かった(松田優作の演技も悪くはなかったが…)。特に、汚職に手を染めていたニックに対し「悪いことは、悪い」と諭す場面が印象的である。

演技がどうのこうのという前に、人柄がにじみ出ていて、あくまでも「高倉健」を演じているところがすごい。

劇中で流暢な英語を使う高倉健をみて、そうとう英語を練習したんだろうなと思ったところ、彼は高校時代にESS(英語部)を創設していて、もともと英語が得意だったことが判明(Wikipedia情報)。

なお、ヤクザ親分役の若山富三郎の迫力が半端なく、タイトルの「ブラックレイン」と関係するセリフにもグッときた。

脚本がイマイチでも、役者がいいと魅力のある映画になるな、と思った。







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わたしを健やかにし、わたしを生かしてください

わたしを健やかにし、わたしを生かしてください
(イザヤ書38章16節)

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