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あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない

あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない
(詩編9章11節)

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『丘の上の本屋さん』(映画メモ)

『丘の上の本屋さん』(2021年、クラウディオ・ロッシ・マッシミ監督)

自然あふれるイタリア郊外にある小さな古本屋さんが舞台。

リベロ(レモ・ジローネ)は、こだわりを持つ筋金入りの古書店主。

本作品は
①隣のカフェの店員二コラ(コッラード・フォルトゥーナ)との交流
②アフリカからの移民の子供エシエン(ディディー・ローレンツ・チュンブ)に対する教育サポート
③ゴミ箱に捨てられていた日記(1957年代の日記)
から構成されている。

なかでも、貧乏なエシエンに、マンガ→子供向け童話→本格的小説を貸してあげて、導いていくプロセスが感動的である。

本に対する「愛」が伝わってきた。

挿入されているピアノ(ときどきギター)も美しい。

トータルな意味で珠玉の作品なので、是非観てほしい。

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あなたがたは皆わたしにつまずく

あなたがたは皆わたしにつまずく
(マルコによる福音書14章27節)

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『知性改善論』(読書メモ)

バールーフ・デ・スピノザ(秋保亘訳)『知性改善論』講談社学術文庫

『エチカ』に感動したので本書を読んでみたが、これまた難解だった。

「訳者解説」によると、スピノザが若かりし頃の仕事であり、未完成の書である。訳者の秋保先生いわく「本書は全体としてどのような意義を有しているのか見極めにくい、一筋縄ではいかないテキスト」らしい。

ただ、「善」に関する次の導入の部分には共感できた。

「これらすべて[の心の動揺]は、いずれにせよ、私たちがここまで語ってきた[富、名誉、快楽といった]すべてのもののように、滅びうるものを愛する場合に生じるのである。それに対して、永遠・無限なるものに対する愛は、もっぱらよろこびのみによって心を育み、しかもこのよろこびはあらゆる悲しみと無縁である。これこそが、大いに望まれるべきもの、全力を挙げて求められるべきものなのである」(p. 16)

また、スピノザは、知得を得る方法として

①伝聞(人から聞いたこと)
②行き当たりばったりの経験
③結果から原因を推測すること
本質のみを介して原因を認識すること

を挙げている。ちなみに、彼の主張は④である。

そのための方法論が述べられているのが本書。

ただ、何を言いいたいのかよくわからない箇所が多かった。たぶん、次のあたりがスピノザのメッセージであろう。

精神がもっとも完全な存在者の認識へと注意を向けるとき、言うならばそれを反照するときに、もっとも完全なものになるだろう」(p. 36)

スピノザ的な神は「自然」に近いので、人間の精神が自然に近づくことで、完全な知性を身に着けることができるということなのかな、と思った。



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主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる

主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる
(申命記31章8節)
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『奇跡の教室:受け継ぐ者たちへ』(映画メモ)

『奇跡の教室:受け継ぐ者たちへ』(2014年、マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール監督)

舞台はパリ郊外の高校。

落ちこぼれの問題児が集まるクラスを担当することになった歴史教師ゲゲン先生(アリアンヌ・アスカリッド)。

勉強しようとしない生徒をやる気にさせるために取り組んだことが、全国歴史コンクールへの応募である。

アウシュビッツ」という難しいテーマに挑む生徒たちの活動を描いたのが本作(実話)。

資料館を訪れ、アウシュビッツ生存者の話を聞き、本やWeb資料を読み込むうちに、徐々に「探求の旅」にのめり込んでいく姿がよかった。

なぜ彼らはのめり込んでいけたのか?

それはアウシュビッツで殺された人々に「寄り添い」、自分たちと「重ね合わせた」からではないか。

探求しているテーマが「自分事」になるとき、我々は本気になるのだろうな、と思った。

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自分の体で神の栄光を現しなさい

自分の体で神の栄光を現しなさい
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章20節)

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『マンスフィールド・パーク』(読書メモ)

ジェイン・オースティン(新井潤美・宮丸裕二訳)『マンスフィールド・パーク(上・下)』岩波文庫

1775-1817年に生きたイギリスの小説家ジェイン・オースティンの作品。

マンスフィールドとは、イギリスのノーサンプトンあたりにある架空の町。

准男爵家であるバートラム家に来た、親戚筋のフランシス・プライス(通称ファニー)が主人公。

実家が裕福ではないため、劣等感を感じながらバートラム家に居候するファニーが、優雅な従妹・従弟たち(トム、エドモンド、マライア、ジュ―リア)と交流する物語。

上下巻合わせて1000ページ近くあるのだけれども、劇的なストーリーがないにもかかわらず、朝ドラを見ているように、ついページをめくってしまうのは、オースティンらしい作品である。

ちなみに、主人公のファニーは、超内気ですぐに泣いてしまう「イジイジ・ウジウジ系の女子」であるが、人間の本質を常に見抜く力を持つ、ちょっと怖い人。

欲にまみれた世の中に惑わされない強さを持っているのだ。

ちなみに、作品の中で、屋敷に集う若者たちが演劇をする場面があり、その作品(『恋人たちの誓い』)が付録としてついているのだけれど、これが面白かった。その中の次のセリフが一番心に残った。

良心はいつだって正しいのです」(p. 422)

これを読んでも何がなんだかわからないと思うが、心にずしんときた。

われわれは、どこかで良心の声がしているにもかかわらず、さまざまな欲に負けてしまい、それを無視してしまいがちである。

しかし、その良心は常に正しいことを指摘してくれているのだ。

そうした声に耳を傾けることができるかどうかが大事なのだな、と思った。





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あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい

あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい
(申命記5章33節)

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『いつか読書する日』(読書メモ)

『いつか読書する日』(2005年、緒方明監督)

しぶい映画だった。

美奈子(田中裕子)と槐多(カイタ)(岸部一徳)は高校時代につきあっていたのだが、美奈子の母親と槐多の父親が不倫しているときに事故死して以来、別々の生活へ。

50歳になっても、美奈子は独身で、朝早くから牛乳配達した後はスーパーのレジ打ちで働き、夜は読書する毎日(まるで苦行僧)。

槐多は、末期がんの妻・容子(仁科亜季子)を看病しながら、市役所で淡々と働いている(ロボットのよう)

しかし、言葉を交わすこともない二人が、今でも愛し合っていることが伝わってくる。はたして二人の恋はどうなるのか?というストーリー。

田中裕子と岸部一徳の地味な演技力に引き込まれた。

見どころは、二人の愛に気づいている末期がんの容子と美奈子のやりとり。

抑えきれない愛、倫理感、嫉妬がせめぎ合う。

ラストはもうちょっと工夫してほしかったが、悪くはなかった。
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