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あわれみ深い者は幸いです

あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
(マタイの福音書5章7節)
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『リフレクティブ・マネジャー』(読書メモ)

中原淳・金井壽宏『リフレクティブ・マネジャー:一流はつねに内省する』光文社新書

教育学者の中原先生と、経営学者の金井先生が対話形式で綴ったマネジャー論である。

30代の中原先生と50代の金井先生。両者の間で交わされる対話には、世代の違いや研究分野による違いから来る、微妙な緊張感がある。そこがよかった。

いろいろなテーマについて話し合われているが、印象に残ったのは「持論」や「管理職拒否」を巡る話。

「マネジャーは、修羅場経験を積んで、自分なりの持論(マイセオリー)を築き上げるべきだ」という金井先生に対し、「単に修羅場を積むだけでなく、社内・社外の人と対話することで、持論を捨てること(棄論)も大切」と説く中原先生。

同期との会話から「マネジャー予備軍の30代前半世代は、忙しすぎるマネジャーになりたがならない」と指摘する中原先生に対し、「仕事に振り回されているように感じるのは、大きな絵(ビジョン)が描けていないから」と主張する金井先生。

両先生のやりとりを通して学んだのは「自分はこれをしたい、という大きな絵(ビジョン)を描きつつ、ストレッチされた仕事(修羅場?)を積んで、他者と対話しながら、持論を改定し続けること」の大切さである。

同じ方向を向いていながら、微妙に異なるお二人の主張が、読み手のリフレクション(内省)を誘う。マネジャーだけでなく、さまざまな人にとって、「いかに成長すべきか」を考えるきっかけを与えてくれる本である。
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自分がふんばれる感覚

自分のやる気を高めるにはどうしたらいいだろうか?

キッコーマン会長の茂木友三郎さんは、自分が熱を帯びるスイッチを探すべき、とアドバイスしている。

「自分はどういう状況になると仕事に熱が入ってくるのか。寝食を忘れ、負けてたまるかと歯を食いしばれるのか。君はこういう状況になると人が変わるね、と同僚や上司に言われるなら、それを参考にしてもいいと思います。壁にぶつかることは仕事上で何度もありますが、自分がふんばれる感覚をつかんでおけば切り抜けていけるでしょう。」

自分が頑張れる状況や仕事内容をしっかり意識することで、自分の強みや特性を理解できる。過去を思い出そうと思ってもなかなか思い出せないので、「自分が乗っているとき」「踏ん張っているとき」に、自分を意識することが大事なのかもしれない、と思った。

出所:朝日新聞社編『仕事力:青版』朝日文庫, p.171.
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一発完了率

シャープ製品の修理を手がけるシャープエンジニアリングでは、1回の訪問修理ですべての問題が解決する割合を「一発完了率」と呼んで、重要な指標にしている。

作業の効率と、顧客の満足度の両方を合わせたこの指標は、70%を超えていたが、2004年には60%を切ってしまったらしい。そこで、同社が実施したのが「道場」の強化である。

全国に6か所ある道場では、熟練技術者が、手本を見せながら実地に修理技術を指導する。基礎的な修理技術が向上したことで、最近は一発完了率が78%にまで改善したらしい。

その成果は、日経ビジネスが実施したアフターサービス調査にも表れている。シャープは、薄型テレビ、DVDレコーダー、エアコン、洗濯乾燥機の4部門でトップにランキングされている。

業務改善における重要な指標を「Key Performance Indicator (KPI)」と呼ぶが、シャープのアフターサービス力向上は、「シンプルなKPI」と「強力な道場」の運営によるものであろう。

評価指標の設定」と「教育センターの支援」のセットは、サービス力向上のカギといえそうだ。

出所:「3社に学ぶ極意:トップ企業は日々進化」日経ビジネス2010年7月26日、p28-29.
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心を尽くし、魂を尽くして求めるならば

心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うだろう。
(申命記4章29節)
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『ゴッホ この世の旅人』(読書メモ)

アルバート・J・ルービン(高儀進訳)『ゴッホ:この世の旅人』講談社学術文庫

狂気の天才として知られるヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。

弟と交わされた膨大な書簡と絵をもとに、精神分析学の立場から、ゴッホの心理に迫ったのが本書である。

この本を読んで感じたことは、二つある。

一つは、芸術家にも熟達があるということ。

ゴッホが画家を志したのは27歳の頃。37歳で自殺するので、画家として活躍した期間は10年だけである。その間、さまざまな師につき、多くの画家の技術を学ぶ。傑作がうまれたのは晩年である。

芸術家というと、才能だけで勝負している印象があるが、地道な技術の習得が欠かせないといえる。

二つめは、ゴッホが絵を描く理由

生前、絵が一枚しか売れなかったことが強調されるゴッホだが、彼は自分の(将来の)成功を確信し、予言していた。実際、死の直前、ゴッホの絵は、評論家から高い評価を得ていた。

しかし、ゴッホは成功を恐れた。なぜなら彼はマゾヒストだったからである。自虐的傾向があったため、苦難は喜んで受けるが、成功は望まなかったという。

では、なぜゴッホは絵を描いたのか?

それは、「醜さの中にある美しさ」を描き出すためである。

母に愛されなかったゴッホは、自分のことを「奇妙で醜い人間」と考えていた。「自分には人に与える印象以上のものがある」ことを他人にわかってもらうために絵を描いたようだ。

我々には見えない真実を描き出したがゆえに、彼の絵は評価されたといえる。自分の業績が認められることには不安を覚えたゴッホだが、「自分の真の姿」は知ってほしかったのだろう。

芸術に限らず、自分の存在意義を伝えることは仕事への大きなモチベーションになる、と思った。
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本の数だけ学校があり、教師がいる

直木賞作家の出久根達郎さんは、中学を卒業した後、古書店の住み込みの店員になった。家が貧しくて、進学が難しかったからである。夜間高校に通いたいと思っていたが、営業時間が夜の十時までなのであきらめたらしい。

ある日、人目を避けるように来店した主婦が、高校の教科書を差し出して「これで百円貸してくれないか。息子のものだから、明日かならず買い戻すから」と申し出た。

出久根さんは、自分の小遣いを出して引き取る。その後、主婦が二度と現れないであろうことは百も承知であった。

なぜか?

出久根さんは、教科書がほしかったのだ。

店番をしながら、こっそり開いて見たら主人に見つかってしまう。訳を話したところ、主人は次のように諭したという。

「学校に行きたい気持ちはわかるが、商売上、行かせられぬ。しかし、ものは考えようだ。この店が学校と思えばよい。店番しながらも勉強はできる。本の数だけ学校があり、教師がいる。」

名言である。

学校に行かなくても、その気になれば、何でも勉強することができる。小説家の山本周五郎さんも、小学校卒業後、質屋で丁稚をしながら独学した人であった。本屋さんや図書館が素晴らしい学校になるかどうかは、我々の気持ち次第なのだろう。

出所:出久根達郎『夢は書物にあり』平凡社、p.183-184.
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顧客と同じ目線

車イスの国内シェア30%の日進医療器では、スポーツ用車イスの制作に力を入れているという。

なぜか?

それは、品質基準の厳しいスポーツ用を手掛けることで、技術力を高め、一般の車イスの性能をアップさせるためである。以前、ホンダがF1に参加することで技術力を高めようとしたことと同じ動機だ。

ところで、同社の技術者は、健常者でも参加できる車イススポーツ大会に挑戦しているらしい。工場の片隅には、数々の表彰状やトロフィーが飾られている。

なぜか?

それは、足が不自由なランナーと同じ目線で記録に挑戦することで、はじめて細かな改善点が見つかるからだ。「わずかな車輪の角度の違いで車輪を回す手がひざに当たったりする。実際に乗ってみれば、そんな問題を身をもって感じることができる」という。

ものづくりやサービスを提供する側が、顧客と同じ目線に立つことは意外と難しい。それを楽しみながら仕事の中に取り入れている同社の姿勢に見習うべき点は多いように思った。

出所:日経産業新聞2010年8月13日
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いつも喜んでいなさい

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。
(テサロニケ人への手紙Ⅰ・5章16節)
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『長距離走者の孤独』(読書メモ)

アラン・シリトー『長距離走者の孤独』(丸谷才一・河野一郎訳)新潮文庫


イギリスの労働者階級出身であるシリトーの文章は、飾り気がなくシンプル。本書は、働く庶民の人生をいきいきと描いている短編集である。

権力に対する反抗がテーマである「長距離走者の孤独」は、映画化されただけあって凄い作品だと思ったが、個人的にはあまり好みではなかった。

一番良かったのは「漁船の絵」。これは絶品である。

無口で読書好きの郵便配達員が主人公。男を作って家を出た妻がある日ひょっこりと戻ってくる。家に来るたびにお金を借りる元妻の様子は、だんだんとうらびれていく。元妻の訪問をなんとなく待ちわびる主人公だが、「また一緒に暮らそう」という言葉は言い出せない。そして、元妻が突然の交通事故で亡くなったとき、彼女を愛していた自分を発見する。

日々の何気ない生活の中に、多くの宝物が埋まっている。そのことに気づかせてくれる小説である。
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