みどりの野原

野原の便り

11月24日 娘と壱岐島 2日目-②古戦場・男嶽神社・女嶽神社・月読神社・温泉・壱岐古墳群(鬼の窟 ・掛木古墳 )・報恩寺のモクセイ(ウスギモクセイ )

2023年11月24日 | Weblog

午後13:40出発


新城神社 地味な神社。境内に「平隆景公の墓」「自刃の地」の標石が建っていたが・・平隆景?って。


史跡 文永の役 新城古戦場 
鎌倉時代、文永11年 元の大群が対馬~壱岐に押し寄せ、迎え撃ったが、全滅。その時の守護代が、先の 平景隆だったのだ。

 
「元寇 千人塚」 島内の10か所が古戦場となり、犠牲者が多数。
多くの遺体を1か所に埋めた千人塚は6か所もあるという。
対馬や壱岐の戦禍は知らなかったが、ずいぶんひどかったんだなあ。


男嶽神社(おんだけじんじゃ)
男岳山頂(168m)にあるが車で近くまで行ける。


途中にイスノキの果実や実がたくさん落ちて吹き溜まっていた。


イスノキの群落。


男嶽神社 祭神は猿田彦命

 
猿田彦にあやかって境内には「石の猿」がたくさん奉納されている。


社叢の植物 イスノキの大木がたくさんあるのはわかる。
カカツガユ(クワ科)別名ヤマミカン つる状になり、枝や葉腋に鋭い刺がある。雌雄異株で、11月頃直径2㎝ぐらいの果実が熟して食べられる。とのこと。
カガツガユの名を聞くのも初めて、見たこともない。社叢に数株とのことなので、見つけるのも無理そうだが、見てみたいなあ。


バリバリノキ これかな?


サカキの木に ヒノキバヤドリギ がいっぱいついているのを見つけた。
これだけ取りつかれたらサカキもたまったものじゃないだろう。


珍しくはないが、男嶽にいた コカマキリ  展望台にも登った。


女嶽神社(めんだけじんじゃ)への登り口。麓に駐車。


途中に、シイの実がいっぱい落ちていた。
「私、シイの実拾うから、お母さん1人で女嶽神社へ行ってきて」と言われ・・1人山へ向かう。


きれいなゴンズイの実


これはホウロクイチゴだ。実はない。


ハダカホオズキ


女嶽神社(めんだけじんじゃ)女岳頂上(標高149m)にある。
簡素な社殿

下ってシイの実拾いの娘と合流し、車まで戻る。
(帰ってから炒って食べたそうだ。感想は「ギンナンとクリを足して2で割ったような味」だったそう)


月読神社 神社はどこも階段が多い。祭神は 月読尊。
古事記によると、 イザナギ命・イザナミ命が、天照大神の次にお産みになったのが月読尊だそうだ。
壱岐の月読神社が全国の月読神社の本宮とされているそうだ。

16:00。今夜の宿は温泉ではないので、途中で温泉に入っていくことに。

「5時までに出ればOK」という、湯本温泉 平山旅館に連絡がついた。

神功皇后が三韓出兵の帰路、立ち寄り、温泉を発見したと伝わる湯本温泉。
14件の温泉施設がある。(夕べの宿も湯本温泉)
ナトリウム-塩化物泉 で「鉄分を含んだ赤い塩湯」



平山旅館「奥壱岐の千年湯」の看板、「日本秘湯を守る会」の提灯がかかる。


中庭。ノボタンが満開だ。

改築の際、古い木材に囲まれた千年湯の源泉が見つかり、それが湯本温泉の発祥の地と言われ、1500年の歴史がある。

5時までということで、少し気ぜわしくはあったが、十分温まった。

少し薄暗くなってきたが、もうひと巡り。

国指定 壱岐古墳群「壱岐風土記の丘」の古墳を2か所見る。


鬼の窟(おにのいわや)県内(長崎)最大の円墳
羨道・前室・中室・玄室へと至る3室構造
両袖式の横穴古墳 石室は巨大な玄武岩を積み重ねて築かれている。


掛木古墳 6世紀末築造の円墳


中は電気が点き、珍しい「くりぬき式家型石棺」があった。
石室の石も大きい。

もう1か所


報恩寺 


イロハモミジが美しく色づいていた。
壱岐ではイロハモミジはあまり見ない。


見たかったのはこれ「壱岐の銘木・巨樹 モクセイ」
長崎県天然記念物 樹高9.5m 幹回り1.75m

消えかけていたが説明板があった。
『・・・花の色が純白のものを「ギンモクセイ(漢名 桂花)・赤黄色のものを「キンモクセイ(漢名 丹桂)・淡黄色の花を咲かせるものを「ウスギモクセイ(漢名 金桂)」という。国内で天然記念物に指定されているモクセイはキンモクセイが多いが、この寺の木は「ウスギモクセイ」である。・・』
そうか。これで納得。

・・というのは、以前(2020.1月)「キンモクセイ」と、鹿児島のそのお家の方がいわれた「果実付き枝」を娘がもらってきてくれた。
キンモクセイに果実が出来るのか? 本当か? どんな木なのか?

気になっていたが、その後、鹿児島に行く機会があり(2022.12月)その木を見た。
実はあったが花の時期ではなくはっきりしない。
葉に小さい鋸歯があり果柄が短いように思った。

その後(いつだったか)、ネットで、鹿児島の方では?「ウスギモクセイもキンモクセイという」という記事を見つけ「黄色い花が咲くモクセイ」とその家の方がおっしゃったのも、間違いではなく、その地方ではそれを「キンモクセイ」と言っていたからだったのかと少し納得したのだが・・
今回説明板ではっきりそれがわかってよかった。(少し長くなりました)

それから、2か所立ち寄ったが・・もう暗くて無理・・

宿へ着いたのは18時。風呂は済ませているのですぐにご飯にしてもらう。


左上の鍋は、郷土料理「鶏ひきとおし鍋」他に数品出た。
今夜のお酒は、麦焼酎「壱岐」お湯割りで。飲みやすい。
お腹いっぱい。  お休み。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月24日 娘と壱岐島 2日目-① 勝本浦 町歩き(建築物・石垣・朝鮮通信使の接待跡・地蔵堂や神社・漁師のおじさんの家で・・))

2023年11月24日 | Weblog

2日目の朝 窓の外を見る。曇って風で木が揺れている。
寒がりの私は防寒対策ばかり考えてきたが、昨日はいい天気で上着いらずだった。
今日は風があるので寒いかな?

壱岐島は玄界灘・日本海側で、何となく寒い北のイメージがあったが・・「対馬暖流の影響を受け、年間を通じて穏やかな気候」だそうだ。

午後からは晴れて寒くはなかった。

さて、今日は午前中「勝本浦」の町歩き。
勝本浦は漁師町で、昔ながらの町屋が並ぶ街並み。
又、大和政権時代から朝鮮半島と深いつながりのある海上航路の重要な港。
見るものは多い。


*朝市通り。お年寄りが数人、野菜や海産物を並べていた。
観光客はこの時期少なく、近所のお年寄りが買い物に来ておしゃべりを楽しんでいる感じだった。


古い町並みが残る通りは懐かしい雰囲気。
懐かしい型板ガラスもたくさん見ることができる。


*旧松本薬局(登録有形文化財)
明治時代の町家。横壁は耐火を考えた煉瓦積み。
2階の銅板張りの開き窓がインパクトがある。

江戸時代頃、捕鯨が盛んで「鯨組」という組織があった。
鯨組の1つ「土肥家」は、鴻池・三井と共に三大富豪の一つとして数えられたという。

*旧石橋酒造店 鯨組の1つ「土肥家」の新宅として、1799(寛政11年)に建てられた。
現在は酒店


*印鑰神社(いんにゃくじんじゃ) 
鑰=「鍵」の意味だそうだ。
外敵の侵入を警戒して、壱岐には大量の武器や防具が運び込まれたという。
武器庫の「鍵」や、重要な「官印」を保管する場所だったようだ。


上記、*鯨組の「土肥家の御茶屋屋敷跡」 
今は敷地を取り囲む 90mの「大石塀」が残るのみ。
あまりのデカさに阿房塀(アホウ塀)と言われたとか。 
飛鳥には「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と言われた壮大な運河を作った天皇さまがいましたね)

*石垣
上記の、印鑰神社や土肥家の御茶屋屋敷跡に使用されている石垣の他、町中の石垣は、砂岩と泥岩が堆積して薄く層状に重なった独特のもの。


町中にあった石垣


港に続く「区切られた海」船が出入りする入口が見られないが。
生け簀なのか?? と言っていたが、後で家に招いてくれたおじさんによると、埋め立て予定地なんだそう。


通りにあるちょっとおしゃれな感じの建物は・・
*旧つたや旅館 平成5年まで旅館として利用されていたそうだ。
木造3階建ての歴史的建造物   
リノベーションしてゲストハウス「ランプの宿」になっている。


町並みに戻る。家の間に「しめ縄」が掛けてある。
(他にも同じようなところがあった)
何やろう? 2階の窓辺にいたおじさんに聞こうと声をかけた。
おじさんは「ちょっと入っていき」と言って下りてきた。
「コーヒー飲んでいき」(方言だったようだが・・)
ちょっとだけ・・と家に上がらせてもらうことに。

「インスタントやけど」と出してくださったコーヒーをおよばれ。
部屋の壁には大きい魚と一緒に写った写真など・・
おじさんはウニ漁師だそうだ。


ウニは潜って獲るのではなく、浅い海で箱眼鏡で見て獲るそうだ。


ウニをひっかける道具。
この土間はウニの作業場だそう。ここで獲ってきたウニを割ったりするらしい。
4月から10月ぐらいまでがウニのシーズン。残念!ちょっと遅かった。
話の中で埋め立てのこともわかり、お礼を言っておいとまする。

そして、しめ縄のかかった細い道を登ると・・


右手に琴平公民館 その横に「金刀比羅宮」の鳥居
そこを登っていくと「金刀比羅宮」の社があった。


高台の「金刀比羅宮」から湾のながめ。

鳥居まで下って、さらに上に登れば・・
頂上を少し向こう側に下ったところ左側に「地蔵堂」がある。
杖を突いて買い物帰りらしいおばあさんが地蔵堂の扉を開けてくださった。
上り下りの多い島の暮らしはお年寄りには大変そう。

・・とういうことで、家の間の細道に掛かっていたしめ縄は、神社のある場所を示したものだった。

町歩きの中でも神社はいっぱいあった。
案内書によると「神社の密度は世界一多い」のだとか。
 

大久保本店(元海産物問屋)
築後140年以上になる古民家は、最近までカフェになっていたようだが、表に「閉店のお知らせ」が貼ってあった。
表には「ばったり床几」もあった。
写真は家の横側。斜めに張り出した窓が面白い。

 
田間川尻公民館 中に「毘沙門堂」があるらしい。
壱岐では、他にも公民館にお祀りしているところが多いように思った。 
公民館の下には地蔵堂。 お堂の向かって左に「6面地蔵」があるのに娘が気付いた。


一岐風本浦(いき かざもとうら=勝本浦)「朝鮮通信使迎接所ノ図」
勝本浦のこの通りは、朝鮮通信使の接待所が設けられていた大事な場所だったようだ。


町並みの端にある「聖母宮(しょうもぐう))
この西門(表門)と社寺廻りの石垣は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に加藤清正が寄進したもの。
門に社名もなくて、よくわからないまま写真を撮って帰った。
『本殿は、18世紀中葉に遡る建築年代は県内の神社本殿では最古に近い。極彩色や彫刻が施されている』ことを後で知る。(後の祭り)
周りを囲む石垣は見た。

海の近くに出る。


イカ釣り船がたくさん停泊していた。ランプの形もいろいろ。


鯨供養塔

駐車場近くのカフェ「酒造喫茶 との」


「殿川酒造場」(酒造喫茶 との)の町側の玄関
築150年の酒造場は改修して「酒造喫茶 との」になっている。

お昼を食べようと駐車場側から店内に入った。


すごい!大きい梁が眼に入る。


2階へ自由に上っていいとのことなので「壱岐カレー」を注文しておいて、階段を上る。


2階 広~い。


下から見た梁も凄かったけれど・・縦に貫く長~い梁にビックリ。
端から端まで長すぎて写真に撮れない。
手すりの左側の天井は抜いて吹き抜けになっている。
(下に客席がある)落ち着いて居心地がよかった。

他にもたくさんの建物や小さいお堂や神社などを見た。


町の中の建物に絡みついていたオオイタビ。
いたるところにオオイタビがはびこっている。
ここには「果のう」が出来ていた。雄のように見える。
落ちているのをいくつか拾って帰った。(詳細は後に)


ここには書かなかったが「月日大明神」のそばに実をつけていたのは「オオムラサキシキブ」じゃないかな?
ハマビワやシロダモなどはあちこちで見た。
                      2日目の②へ続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする