柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

失着

2016-10-30 10:00:58 | Weblog
広島負けました。8回表で終わったのでしたが、多くの人が(TV見ていた全員でしょう、もちろんスタンドにいた人もでしょうが)どうして投手交代しないんだ?と思ったでしょう。昨日は日テレ系が中継してました、解説は山本浩二、元広島監督の野村、元中日の山本昌。三連打されて満塁になったところで交代でしょうに。初回から相手にずっと押されっぱなされていてそれでも何とか同点でついて来ている終盤の勝負所です、一点もやれないところです。でも緒方監督は動かない。解説の山本昌は、今シーズン十分に働いてきた投手だから任せてるんでしょうと言ってました。ううむ。そんな判断でいいんですかねぇ。こういう浪花節が罷り通る世界、監督の運や感性への依存を許す世界。いえ、抑えるか打たれるかはわからないことです、あそこで中田が打ち損じていればそれで終わりだったんですし、そうなればなったで緒方監督の勝ちでしたねと言っておけばいいわけです。信頼感に応えましたねとか何とか。でも素人目にも勝負所ですよ。相手もそれはわかっている。だから次打者がピッチャーという事情もあったにせよ、ネクストバッターズサークルに大谷を控えさせる、素振りをさせる。こういうのは普通のペナントゲームでもよくあることですが、いかに芝居掛ったブラフとはいえ相手も本気なわけです。あんな場面で出せる投手がいなかったという判断だったんでしょうか。大瀬戸が次の回に出てきましたが、こいつには荷が重いという判断だったんでしょうか。でも素人目にも明らかにまずい、押し出しなんてはまずい。でも動かない。何故?点とられても尚動かない。大谷は笑いながらベンチに引っ込んで行きました。脅し、芝居だったわけです。張本が怒ってました、変化に応じようとしなかった監督が悪いと斬ってました。ペナントレースの決まりを徒に守っただけだと。よく言う勝利の方程式というやつです。6回まで先発が何とか投げて、終盤は一人ずつに任せる。うまくいかなかった時にも、うちはこれでやってきたからという言い訳する。日本人らしいことではあります。お前に任せた、お前と心中する。ま、ここでどうこう言っても全ては結果論です。あそこで中田が打ち損じていたらそれだけのことだったわけですから。一寸先は闇ですねぇ。世の中の全ては確率の世界であるわけです。確定事などないのです。だから人は何かに頼る。信念信条と言い換えますが、一つことに頑迷に拘るのは拠り所がそこにしかないからです。変更するにも選択肢を持たぬからです。そして皆がそれを許す。皆が同じだからです。誰かが一つ決めてくれればそれに従うが楽だからです。そしてそれを決める者を決めておく、世の中の仕組みは全てこうです。上司部下というヒエラルキーの意味はここです。決める者を決めておく。正しい、間違いは問わぬ。その結果に対しての責任は決定者にある筈ですがそこのところはその上司の資質なり品性人格に左右されることです。いえ、こんなに一般論化するつもりはないことでした。ピッチャーにまで打たれた時にがっくり脱力してそれでも代えないことに負け試合を覚悟してがっかりして、果たしてドカンとやられて、この時やはり広島に肩入れしていた自分に気づきました。あれだけ集まった赤ヘルファンにあの試合はまずかったんじゃないんですかねぇ。もちろん、よくやった!の欺瞞の賞讃に覆い隠されることでしょうけれど。すみません、野球に興味のない方々にはつまらぬ話でした。

コメント
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