運営会社の都合でいつもの時間(朝)書けませんでした、昼に書いてます。その度に同じ感想言ってますが何か気が急くというか違和感です。本日当地柳井は朝から雨模様です。冷たい細かい雨が降ってます。天気予報では気温が上がるように言ってたのに・・
光(室積)の母子殺人事件、死刑確定報道、承前。こういう時に初めて知ることが多いのです、専門外の者にとっては知識を増やすいい機会なのですが、これです、最高裁では何人かの裁判官の全員一致を持って判決とするのが決まりだそうです(憲法や刑事訴訟法などに定められていることなのか慣例なのかは知りませんが)。へぇ。単純な多数決ではなくて全会一致で決める。いいことのように聞こえますが(特に私のように多数決を嫌ってる、信じない者にとっては)、それじゃぁ国連安保理と同じこと、拒否権があるようなものです、少数意見で正しい判断が捻じ曲げられる事態を許しているわけです。もっとも国連安保理はあからさまな国益合戦、分捕り合戦ですから、一応被告や当該事件と利益相反のないとされる裁判官とは一緒にはできないにせよ、一種の拒否権ですわね。その「拒否権」(死刑反対)を行使した裁判官の言い分が載ってます。被告が12歳の時に母親が自殺してその場に居合わせたのだそうです、その後父親に虐待されていたのだそうです、そういう背景を知って読むべきことですが、こうです、精神的成熟度が18歳にしては相当程度に低いという事実が認定できるのであれば、[死刑を回避するに足りる特に情酌量すべき事情」に該当する、と。被告の人格形成や精神の発達に何がどういう影響を与えたのかなどを的確に評価し再度量刑判断を行う必要がある。審理を差し戻すが相当だ、と。これに対しての反対意見が補足意見として載ってます。少年法が死刑適応の境界を18歳に定めているのは形式的な基準であって、精神的成熟度の要件は求めていない。いかがですか。こういうレベルの、少年法の語句解釈のレベルでああだこうだと言ってるわけです。TVや新聞で盛んに言うように、少年法が未青年を異様に守るのはこの先人生が長いこと、更生の可能性があるであろうこと、未熟さゆえの犯罪である可能性があろうこと、などでしょう。でも事実としてそういう情けをかけてやっても累犯、同じ犯罪を繰り返す連中ばかりですからね。そう言うときっと、そんなことはない、本当に魔が差した例や已むにやまれぬ理由で手を汚した例もあるのだ、冤罪もあろう、と反論がありましょうが、いいえ、そう言う理由で大甘に甘い判決ばかりの結果が現在なのです。殺人犯で無期懲役食らったのがどのくらいで娑婆に出てくるのかは知りませんが。あの酒鬼薔薇何とかも出てくるんでしょう?やがて。またやりますよ、そういう例はゴロゴロしてるんです。わずかな更生例を盾に過剰な、偽善的な、人権振り回しのお情けで裁判官が主文読みながら自己満陶酔している間に、また犠牲者が出ているのです。18歳で未熟な奴は30になっても50になってもダメです。そういう所にブレーキが利かぬのですから。未成年に何を期待している?未成年で人を殺せる奴なんです。全くの精神病者ならいざ知らず(いいえ、こういう例こそ未然に防げるものですから、これは精神科学会の大きな責任です。入院治療から在宅治療へという無謀な流れです)、高校にまで行ける者が普通の判断ができぬ筈がありません、そういう常識で考えねばならぬのにそこを曲げるのが専門家です。あくまで学問的興味でもって出てきた鑑定書、マニュアル手順で捌くばかりの裁判官。被害者や被害者遺族の怒りや憤りは全く考慮されなかったのです。だから今事件の意義は大きいのです。本村さんの為したことは大きく扉を開きました。人権裁判官の「拒否権」が通用しなかったのは幸いでした、こういう時の判断は称賛に値します。しかし尽々思います、世の中は、今の日本はまことに程度の低い者に合わせるように強いられる社会です。胸が悪いことです。こんな幼稚な社会にしたのも私達に違いありません。もっとしっかりしましょう。私達がきちんと規範を作らねば、守らねばなりません。社会通念はもっともっと厳しい筈ですから。そうですよね。
光(室積)の母子殺人事件、死刑確定報道、承前。こういう時に初めて知ることが多いのです、専門外の者にとっては知識を増やすいい機会なのですが、これです、最高裁では何人かの裁判官の全員一致を持って判決とするのが決まりだそうです(憲法や刑事訴訟法などに定められていることなのか慣例なのかは知りませんが)。へぇ。単純な多数決ではなくて全会一致で決める。いいことのように聞こえますが(特に私のように多数決を嫌ってる、信じない者にとっては)、それじゃぁ国連安保理と同じこと、拒否権があるようなものです、少数意見で正しい判断が捻じ曲げられる事態を許しているわけです。もっとも国連安保理はあからさまな国益合戦、分捕り合戦ですから、一応被告や当該事件と利益相反のないとされる裁判官とは一緒にはできないにせよ、一種の拒否権ですわね。その「拒否権」(死刑反対)を行使した裁判官の言い分が載ってます。被告が12歳の時に母親が自殺してその場に居合わせたのだそうです、その後父親に虐待されていたのだそうです、そういう背景を知って読むべきことですが、こうです、精神的成熟度が18歳にしては相当程度に低いという事実が認定できるのであれば、[死刑を回避するに足りる特に情酌量すべき事情」に該当する、と。被告の人格形成や精神の発達に何がどういう影響を与えたのかなどを的確に評価し再度量刑判断を行う必要がある。審理を差し戻すが相当だ、と。これに対しての反対意見が補足意見として載ってます。少年法が死刑適応の境界を18歳に定めているのは形式的な基準であって、精神的成熟度の要件は求めていない。いかがですか。こういうレベルの、少年法の語句解釈のレベルでああだこうだと言ってるわけです。TVや新聞で盛んに言うように、少年法が未青年を異様に守るのはこの先人生が長いこと、更生の可能性があるであろうこと、未熟さゆえの犯罪である可能性があろうこと、などでしょう。でも事実としてそういう情けをかけてやっても累犯、同じ犯罪を繰り返す連中ばかりですからね。そう言うときっと、そんなことはない、本当に魔が差した例や已むにやまれぬ理由で手を汚した例もあるのだ、冤罪もあろう、と反論がありましょうが、いいえ、そう言う理由で大甘に甘い判決ばかりの結果が現在なのです。殺人犯で無期懲役食らったのがどのくらいで娑婆に出てくるのかは知りませんが。あの酒鬼薔薇何とかも出てくるんでしょう?やがて。またやりますよ、そういう例はゴロゴロしてるんです。わずかな更生例を盾に過剰な、偽善的な、人権振り回しのお情けで裁判官が主文読みながら自己満陶酔している間に、また犠牲者が出ているのです。18歳で未熟な奴は30になっても50になってもダメです。そういう所にブレーキが利かぬのですから。未成年に何を期待している?未成年で人を殺せる奴なんです。全くの精神病者ならいざ知らず(いいえ、こういう例こそ未然に防げるものですから、これは精神科学会の大きな責任です。入院治療から在宅治療へという無謀な流れです)、高校にまで行ける者が普通の判断ができぬ筈がありません、そういう常識で考えねばならぬのにそこを曲げるのが専門家です。あくまで学問的興味でもって出てきた鑑定書、マニュアル手順で捌くばかりの裁判官。被害者や被害者遺族の怒りや憤りは全く考慮されなかったのです。だから今事件の意義は大きいのです。本村さんの為したことは大きく扉を開きました。人権裁判官の「拒否権」が通用しなかったのは幸いでした、こういう時の判断は称賛に値します。しかし尽々思います、世の中は、今の日本はまことに程度の低い者に合わせるように強いられる社会です。胸が悪いことです。こんな幼稚な社会にしたのも私達に違いありません。もっとしっかりしましょう。私達がきちんと規範を作らねば、守らねばなりません。社会通念はもっともっと厳しい筈ですから。そうですよね。