柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

趣向

2012-02-04 08:20:37 | Weblog
節分、どんど焼き。当地では八幡様であります、恒例行事です。立春の前、ここで一年の節が分かれるということです。年の区切りは一月一日ではなくて節分だと。だから厄年のお祓いはこの日なんですね(と勝手に思ってますが違いましょうか)。寒い中行きました、寒い方が趣きが増します。大きな炎をずっと見つめていると時間が止まるような、何だか体の底の何かにスイッチが入るような感覚になります。わずかに残る野性と言うべきか本能というべきか。火を扱う祭りや行事の多さは、そしてそれが多く現代まで残っているという事実は火の力、火の魔力ではないのでしょうか。火事にでも遭わなければ燃え盛る大きな炎を見る機会がありません。こういう時にハッと感じることではあります。そこに消防車がいました。境内に消防車が入って来る場面に出くわしました。ああ・・趣きを殺がれること甚だしいことでした。意図はわかります、十分に理解しますが、どうしてここまでやらねばならぬのでしょう。確かに寒い中風も強かったので、火の粉が云々という危険です、真隣にある社は木と紙でできている「可燃物」です、それはそうなのですが・・です。私がこういう所に敏感すぎるのか噛みつき過ぎるのか、そういう傾向は認める所なのですが、安全の為にという錦の幟が多すぎませんかね。安全至上主義、ゼロ信仰。安全を求めるばかりに危険を全て排除するは間違いと思うのです。つまりそれは管理に繋がる、安全の強制に繋がると思うからです。安全が第一でしょうに!!という叫びはそれ以外を一切認めぬという強制です。少々危なくてもそれで成り立っている物事は沢山あります。危ないことを覚えなければならぬものも多いでしょう?たかが消防車の配置でこんなに噛みつかなくてもいいんでしょうが、すみません。趣きのないことでした。そういうことを言いたかったのでしたが。
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