柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

順番

2010-10-24 21:07:39 | Weblog
長女に続き長男の婚約が相調い、一泊二日の旅から帰り、夜遅くに書いています。親としてやってやらねばならぬこと(duty)は自分がしてもらったことで有難かったことをしてやることだと思い定めて子に接してきました。そして子はそのように自分の子にしてやればいい、そうやって世代が繋がっていくのだと思い定めてきました。子に何かを期待するのは(要求するのは)間違いであろうと思ってきました。もちろんお察しの通り、それは私と私の親との関係から導かれた考え方以外にはないことで、これは業とも呼ぶべきことであり、そう決めつけることで我が親から離れて行った行程を示すものに他ならぬのではあります。give and take の逆、求めないから構わない、干渉しない分要求もしない。親になって初めて知る親心、なのではありますが、自分が嫌だったことは強いない、自分にできなかったことは強いない、所詮は自分と女房の子である、トンビに鷹は生めないわけでそこはどうにも曲げられないのです(もっとも御先祖様の優秀なる遺伝子がいつ目覚めるかはこれはわからぬこと、少なくとも私と女房がその順番ではなかったことは確かでしたが)。できることをやってやるしかない、自分が生きてきた、通ってきた道を示してやるしかない、そしてそれを押しつけてきました。でも偉そうに構えたところで、結局自分の経験してきたことしか言ってやれないし、経験してきたことしかきちんと伝えられないのですね。これは子を叱りながらいつも感じてきたことでした。自分の来し方をすっかり棚に上げて説教することの空々しさ。でもそう思いながらも押しつけてきました。事の良い悪いに対しては私の考えを押しつけてきました。そしてそれはきっと我が親から聞いてきたことなのです。そういう繋がりに違いないのです。子が、私が通ってきたように伴侶を得、家を為し、子を儲ける。やがて私が親を疎んじたように、同じ立場に置かれる日が来ましょう。それを世代の必然と斬り捨てた以上は粛々と順番に従うのみです。役割を果たすのみです。子がまた私がこの歳でこう気づいたように私達夫婦の生き方を感じてくれればいいと思うわけです。遺伝学者や生物学者の考え方に、人の体は(頭脳も含めて)生殖細胞の乗り物だというのがあります。突き詰めれば、ヒトという種を維持するために、生殖細胞を維持するためにありとあらゆる行動営為があるという考え方です。こういう考え方は決して嫌いじゃない方なのです。なれば子を為した時点で自分の存在の大役は果たせたということで、その子が次の世代を儲けることができれば(そこまで育てれば)それ以上の役はないのです。石原慎太郎が誰かの意見だと引用して大ブーイングを浴びた、閉経後の女は無用の長物論もこの辺りから導かれるものなのですが、それは極論にしても、次に渡した世代の矜持というものはしかと持たねばならぬと思うのです。子が離れていく場で強く思ったことでした。今一度女房との暮らしが始まる。第二の人生とか、そういう陳腐な「通説」ではなく、人生の順番、自分が生きている時代、社会の中での立ち位置の変化、そこをきちんと弁えることなのだと思ったことでした。
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