柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

共通心理

2007-11-30 08:43:24 | Weblog
鳩山法相、この男も飛び上がりで思慮浅い押しだけ強い昔ながらの政治屋なんでしょうが、テロリストがゴロゴロいるなんて言って世を騒がせてましたが、死刑制度を見直してそっと早く執行しろと言いました、それを受けて、かの自称リベラリスト、実は自民党から離れる勇気のない唯の左翼ですが、加藤紘一があの亀井静香が会長の死刑廃止議連に加入したってベタ記事です。かってすれば良いんですが、例によってリベラリスト独特の小狡い、正義の味方ぶった論法、起こる虞の小さい不都合を殊更に言い立てて反対する手法で釈明します。冤罪の虞は払拭できない、自分が法相だったら署名したくないなんて与太、聞いている方がしらける空カラの正論ぶちます、本人全然悪びれてませんからこっちは転けるばかりですが。あんた辺りを法相にしたら日本は犯罪天国になるじゃろうから、天の神様はきっとそんなことは許されまいが、冤罪の虞があるから死刑を止めろなんてのは横槍ですよね。これぞ左翼思想でしょう、例えばこれは私が経験したことですが、どうぞご両親ご一緒にお出で下さいという案内出そうとしたら、片親の子もいる(片親って言葉も言葉狩りに遭ってますが)、親がいない子もいる、そういう子に嫌な思いをさせるのはいかがか、とクレームが付く、もちろん校長からですよ、この類、どっちが多数なんだ?どういう決まりにしたいんだ?本来の目的は何なのだ?真っ正面からは反対せずに搦め手からぐじぐじです。少数の不都合で多数を縛る。話の腰を折る手法、連中の常套ですわ。冤罪はあることです。死刑は犯罪抑止効果を狙ってのこと、被害者の報復感情に沿っての均衡処置であるはず、それと冤罪云々は別次元のことです。冤罪を忌避していけば、つきつめれば人が人を裁く事自体ができなくなりましょう。人を殺したらお前も殺される。そういう単純な原則を作っておく意味は大きいと思います。人は雑多、まさに色々います。であれば、小難しい理屈ではなく、別の解釈できないような原則が大切です。加害者の人権なんぞと被害者の怒りとどっちが大切なんだという人と人との争い事の根本に関わることですが、人権屋、左翼どものお陰でうんと前者に重心が傾いてます。個人的な報復、仇討ちを禁止するが為の法による統制です。その怒りを鎮められぬとあらば、仇討ちするしかありません、お前達(警察、裁判所)には頼まぬから、そこ(拘留)から放せ、俺が殺す、なんてことになります。だから今の死刑執行の実状やら刑務所が一杯になっているとやら、臭い飯なんか今時ない、働かなくて十分に食わせてくれる快適環境、だから出所した途端にまたちんけな犯罪してまた捕まる奴らの多いことやらが、私達の普通の感情を逆撫でするんです。死刑判決受けたのならとっとと執行しろ。それこそ税金の無駄だ。そうですわね。鬼瓦のような顔して、死刑はいけないなんて言う会長は、コントラストがついてそれはそれで一笑に付せることではありますが、どうにもぬらりひょん加藤ばかりは気持ちの悪い奴です。
 しかし食品表示偽装問題、続きますね、TVでやってましたがどんどんチクリが入っているそうです当局に。斬るはお好きに、ですが、これも呆れるのは担当者やら社長やらが必ず最初に言い訳することですね、大嘘を言うこと。すぐにばれることだのに、ああいうときは皆同じ心理状態になるんでしょうね、部下の所為にするとか、知らなかったとか、常時やっていたことでも年に一二度なんて言う。あっさり認めたのでは、知っていてどうして正さなかったんだ?と別の追求になってしまいますから、自分はまず逃げる。こういう緊急事態での人の共通心理なんでしょうか。で、どこもかしこもものの見事に後でひっくり返ります、全部嘘だったと暴露されます。そうなることは分かっているけど、あるいはうまくごまかせるかも知れないと、悪魔が囁くんでしょうか。面白いことだと思うことです。
コメント
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