柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

霧散

2007-11-10 08:43:41 | Weblog
大江健三郎(名うての左翼作家です)が自著「沖縄ノート」(恥ずかしながら未だ読んでいません)で、民間人への自決命令があったとする記載をして、当の部隊長が名誉毀損の損害賠償訴訟起こしてその公判があったそうです。原告被告相まみえての論告の場だったそうです。そう、あのはったり11万人集会のネタ本の真偽を問うている裁判です。ま、判決は一裁判官が下すこと、法律に沿うか反するかのこと、それは事の真偽を正すものでは決してないのですが、当の本人からの言葉が聞けるのがいいことです。で、昨日は大江さんが質問に答えたそうです。この人のこの本は、曾野綾子が命令があったという話をついぞ聞かなかったとしたルポルタージュと好対照に、当人現地に行かず新聞やら(沖縄タイムスがまた有名な左翼反日新聞でしょう)人の本やらから勝手に想像して書いたってこれも有名な話、この二つの本が論争の的になるときにいつも言われることです本読まないでも知ってます、それをそのまま平気で言います法廷で。さらに、個人が命令したとは書いてない、ましてや個人名など書いていない、と開き直ります。明らかに法廷用の、裁判官用の言い訳です、個人名が書いてなくても、どこどこのどういう地域の住民がそこの部隊の上官から手榴弾を手渡されたなんて書いたら、誰々と指しているようなもんです。でも、この本には個人名は書いてない、と来るわけです。弁護士はじめ法律家連中はこういう仕事なんですね。一般人との解釈とはかけ離れてます。そう呑み込んで、そう理解して眺めなければなりません。更に言います、軍という構造体が命令したのだと認識している(個人がどうのこうのとは言ってないと言いたいわけです)、官軍民共生共死で一致して戦いにあたろうという訓示があって、それこそが集団自決の要因であったと思っていると。かたやの当の部隊長はそんなこと言ったことはないというのです。自決を思いとどまらせたほどのことだと。私は曾野綾子の本の方が信憑性が高いと思いますし、ここで何度も書いたように軍の命令の定義をしっかりしてからじゃないといつまでたってもすれ違いだと思うのですが、今回もその事を露呈しました。大江さんは明らかにそんなつもりはないと逃げ口上です。あれだけの騒ぎのネタ本作者にしては何とも腰が浮いてます。こんなことなんです。この人の個人的な思想に沿っただけのこと。事実とは全く別問題なんですね。こんなことじゃぁ、何も生まれないでしょう。不毛ですね。やがて、当事者が死んでいきます。問題は霧散します、ああ。
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