原発被災者で、福島県浪江町から川崎市高津区に避難していらっしゃるTさんのお話を聞く会をほっとで持ちました。
参加者は10名。東京新聞で「爺ちゃんの叫び川柳に」と取り上げられたTさん。
「ふるさとは 小鳥も飛ばない 町になり」
「実は、もう避難したときのことを語るのは辛くていやなんですよ。何件かはお断りしました。」とおっしゃっていましたが、話し出すと次第に熱を帯びて、予定時間をオーバーして語って下さいました。
お話で印象的だったこと。
● 地震のあとの津波が怖くて着のみ着のままで逃げ出したが、途中で原発の爆発するのを偶然目撃し、みんなに知らせた方が良いのか、パニックをさけるため黙っていた方が良いのかかなり迷ったということ。
● 正しい情報がないから、今考えると放射線量の多い方へと逃げていたこと。
● 体育館では一人2枚の毛布しかもらえず、それでは到底足りず寒かったこと。食料配給はパン一個で、お腹が空いて余計寒かったこと。
● たくさんの車で大渋滞を起こしたが、争う人はなく、途中から入ってくる車もみんな割り込ませてあげていた。日本人は凄いと思ったこと。
● これまで3回家に帰ったが、触るなと言われているからほとんど持ち出せないこと。これまで活動していた緑を守る会の名簿くらい。
再稼働も決まった今、参加者達からも熱心な問題提起がなされ、活発な議論が交わされました。
「電気料金の自動引き落としを止めて、集金にして貰い、値上げ分は支払いを止める運動をしましょう!」
「家庭のアンペアを下げて、節電しましょう」
「原発推進の議員を選ばないようにしましょう」などなど。
しかし、目先のことだけでなく、私達は原発をどうするのか、日本をどうしたいのか、広く、長い目を持って考え行動していかなければならないと思いました。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
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