昨夜、被災地のSさんから電話が入りました。
S「げんき~?」
私「はあ、まあまあです。Sさんはお元気ですか?わたし、ギックリ腰やってから腰がちょっと・・・」
S「あらまあ、大事にしてね。私は復興住宅入ってから殆ど家ですごしてるよ~」
私「仮設の頃の皆さんとは会ってないんですか?」
S「全然。みんなバラバラだからね。Fさん(私のこと)に教えて貰った手芸品をみては、思い出してるよ。今もね、石けんや箱にデコパージュしてる。Hさんが引っ越すときに全部材料を私にくれたから。」
私「そうですか、今の住宅には知り合いは?」
S「誰もいない。今は隣の一人暮らしのおばあちゃんと話すくらいだね。」
私「近くにスーパーなんかは?」
S「ないない、だから旦那の運転で矢本まで買い出しに行くの。」
私「大変だね。仮設住宅のあった工業団地はどうなりましたか?」
S「もう更地になった、あ、でもまだ数軒は残ってるよ。」
私「それはまだ復興住宅が出来ないということ?」
S「まあ、それもあるかもしれないけど、仮設は家賃がただだからね。出て行きたくないんでしょ。」
Sさんの話によると、仮設を早くでたひと、今も出ない人、自分の持ってた土地が売れて多額のお金が入った人、持たない人、それぞれが抱える事情は色々で、人間関係も複雑らしい。震災直後には助け合い支え合っていた人たちが、今はバラバラだという。
私たちは今も仮設住まいの方がいると聞くと「大変だなあ」としか思わないけど・・・「津波の霊たち」の大川小学校の親たちの関係と似通っているのにため息が出る。
Sさんたちは、津波前に戻れないばかりでなく、仮設の頃にも戻れない・・・そして新しい人間関係も築けていない。もう年だからお父さんと二人でのんびりしてるからいいの、とはおっしゃっていたけど、これでいいのかと気になります。
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