拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

歌曲「四つ葉のウマゴヤシ」

2024-05-29 07:18:22 | 音楽

漱石の「野分」を読んでたら、音楽会の話が出てきた。「動物園の近く」と言うから場所が奏楽堂であることは想像に難くないのだが、曲目の一つが「四葉の苜蓿花」(よつばのうまごやし)。そんな曲、聞いたことがない。明治時代の話だから現代においては別名で呼ばれているのだろう。「四つ葉」で思い浮かぶのは「クローバー」。「クローバー」は「シロツメクサ」とも言い、「シロツメクサ」の俗称が果たして「苜蓿花」(うまごやし)であった。したがって、この曲名を現代風に言えば「四つ葉のクローバー」である。

なお、植物学的に言うと、種としてのシロツメクサとウマゴヤシはマメ目マメ科までは同じでも属からが違うそうだ。たしかに、シロツメクサ(クローバー)の葉っぱには模様があるが(写真は宝篋山に上ったときに撮ったもの)、

ウマゴヤシの葉っぱには模様がない(写真はウィキペディアから拝借)。

にもかかわらず、シロツメクサの俗称がウマゴヤシなのは、シロツメクサも馬のこやし(エサ)だったからだろう。実際、どちらも牧草にされていたそうである。

ウマゴヤシになぜ「苜蓿花」という漢字を当てるのか?「苜」「蓿」なんて初めて見たが、どういう意味なのだろう?と思ったら、もともと「苜蓿」は「ウマゴヤシ」の意味であった。つまり、「当てた」のではなく、ウマゴヤシ専用の字であった。

ということで、いよいよ本題。「四つ葉のクローバー」は誰の曲だ?モーツァルトには「すみれ」って曲があるし、シューベルトは「野ばら」に曲を付けていて、植物つながりでこの辺?と思ったがはずれ。ググってみると時代をまたいでいくつかヒットしたが、漱石と時代が合うのは「ロイテル」って人の曲である。「Reuter」だから今風の発音では「ロイター」。そのロイターさんは1909年から1912年まで東京音楽学校の音楽教師であったという(ウィキペディア)。そうか、音楽の教師だったときに自分の曲を生徒に歌わせたのだな……いや、ちょっと待て。漱石の「野分」が雑誌に掲載されたのは1907年である。年が合わない。いくらいい加減を旨とする当ブログでもこの齟齬は見逃せない。

なにか資料がないだろうか。そう言えば、ウチの書棚に「漱石が聴いたベートーヴェン」って本がある。そこにヒントがあるかもしれない。あった。漱石が「野分」で描いた音楽会は、1906年に外国の演奏家が来日して奏楽堂で実際に開いたコンサートと曲目及びその表記が共通だと言う。ロイテルが「ウマゴヤシ」を作曲したのはまだ学生だった頃というから、1906年には外国の演奏家のレパートリーに入っていた可能性がある。なら、ロイテルが東京音楽学校の教師になる前にその曲が音楽会で歌われたとしても不思議はない。この後、「昭和戦前期の日本で、女学生などに愛唱されていた」そうである(ウィキペディア)。Youtubeで聴くことができた。ゆっくりでしっとりとした曲である。歌詞に「クローバー」と言ってる箇所があるが、戦前の女学生はここを「ウマゴヤシ」と歌っていたのだろうか(音符には乗るようである)。

因みに、その音楽会で演奏された別の曲には「タンホイゼルのマーチ」なんてのがある。もちろんタンホイザーである。あと、ベートーヴェン作曲のピアノとヴァイオリンとチェロのソナタと言ってるのは、ピアノ三重奏曲(大公トリオとか)のソナタ形式で書かれた第1楽章だと推測される。なお、漱石は「吾輩は猫である」で「ベトヴェン」と書いてるが「野分」では「ベートーベン」になっている。この間、ほとんど時間は経ってないのになぜ?漱石はイギリス留学中に「Beethoven」を見聞きし、それを「猫」において自分流に「ベトヴェン」と表記したのだが、そのすぐ後に件の奏楽堂の音楽会に行き、そのときのプログラムに「ベートーベン」とあったので、「野分」ではそっちを採用したのではないか、と横野好夫君が言っている。このことに限らず、本文中の音楽に関する部分は横野君から請け売りであることを申し添えます。



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