拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

緑色(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)

2024-05-05 07:16:57 | 音楽

横野好夫です。最近はすっかり出不精になって、活動も縮小の一途の私なんだけど、先週(昨日で終わった週)は珍しく二箇所に行って、拝島さんに言われるところのおかま声で歌ってきました。行ったのは「傘クラシカ」と「謡いまくる会」(どちらも仮名)。謡いまくる会の今月のお題のBWV20をみんなで歌ったほか、ソロで歌ったのは、二箇所共通で、「美しい水車屋の娘」(拝島さんは「粉屋の美人」と呼んでる)の第13曲「緑のリュートのリボンで」と、リコーダーを吹きつつの「オルフェオ」の冒頭部分。そう、同じ曲を場所を変えて何度も歌うようにしてる。最近は、むやみにレパートリーを増やすよりも一曲を深く身にしみ込ませる方がいいと思ってるから(少し、人間が変わりました)。

「美しい水車屋の娘」は20曲から成っていて、続き物語になっている。つまり、粉屋修行の旅に出た若者が(昔のドイツの職人は、若いうちに修行の旅に出るのが習わしだった)、可愛い子に恋をして、その子のいる粉屋(水車屋)で働き始めるんだけど、その恋の行方を描いたお話、つまり皆さんも拝島さんも大好きな恋バナなのです(謡いまくる会のアフター会でも恋バナが咲きました)。で、今回歌った第13曲が、若者にとっての絶頂期。つまり、彼女と両思いになったと信じこんで「彼女は緑色が好きだから、ボクも緑色が大好き」と歌う歌(見るも無惨なほどの有頂天)。この後、狩人が現れて、彼女の気持ちはそっちに移る(あるいは、最初から若者の思い込みだったのかもしれない。こういうとき「あんたのことが好きだなんて一っことも言ったことがないからね」と言われがち)。そして若者は「緑色は大っ嫌い」と言い出すのです。これって、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の構図だ(この場合「袈裟」=「緑色」)。

そう言えば、知り合いに、緑色が大好きな美女がいたっけ。美女で気立てがいいからもてもてなのだけど、言い寄った男は揃って討ち死に。彼女の歩いた後は死屍累々の図。なんだ、死屍達(死屍と言いながら生きてる)は水車屋の娘に恋をした若者と同じじゃないか。すると、彼らは緑色が嫌いなのだろうか。彼女のせいで、多くの男から嫌われてしまった緑色はとんだとばっちりです。