拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

柵越え

2024-05-14 09:37:00 | 

ウチの猫らのご飯のとき、早食いかつ大食いのケメ子は自分が先に食べ終わるとワサビのご飯を奪おうとする。それを許すわけにはいかない。もちろんワサビに迷惑だがケメ子も食べ過ぎると吐く。自分で食べ過ぎて吐くんだから始末におけない(とか言ってて、自分で飲み過ぎて吐いてる人間も人(猫)のことを言ってられない)。だから、ワサビの傍らにいてその防御に努めているのだが、ワサビが食べ終わるまで動けないのも不便である。そこで一計を案じた。ワサビが食べ終わるまでレンジフードを柵にして両者を分かつのだ。

おお!うまくいった!食べ終わったケメ子はワサビとは逆方向に向きを変えた。

左上に去りゆくケメ子の尻尾が見える。「ゴジラ×メカゴジラ」でメカゴジラに背を向けて海に去るゴジラのごとしである……と思った次の瞬間、ケメ子がきびすを返して突進し、柵を跳び越えてワサビの陣地に攻め入った。一ノ谷の戦いにおける義経の鵯越によって平氏側が大混乱に陥ったようにワサビも仰天。平氏と同様に陣地を放棄してしまった。作戦失敗。次の名案が浮かぶまで、当分はワサビ側に張り付いていなければならないようである。まったく。世の中には雁首揃えてなかよくお皿に向かう猫たちもいるというのに。

騒動が一段落すると、何もなかったようにくつろぐ猫たち。ケメ子も私の手に足の肉球を乗せて(そのように慣らした)、安眠をむさぼっている。

食べてすぐ寝ると牛になると言うが、猫が牛になった例は知らない。因みに、ドッグサークルから出られない犬を見るたびに、犬はあの程度の柵を跳び越えることができないの?と不思議に思う。

「柵」で思い出すのが映画「子鹿物語」。農家の息子が可愛がる子鹿が作物を荒らすので一家は柵を作った。だが、子鹿は柵を乗り越えてしまった。万事休す。轟く銃声。動物好きの私のことを、私の父は「子鹿物語」と揶揄していた。近所で見つけたガマガエルを慈しんだときも「お前はホントに子鹿物語だ」と言った。そんな父は、農家の生まれで動物は家畜、つまり使って食べるモノであった。次男坊だったので山梨の実家を出て横浜の郊外に家を持ったときも鶏小屋をしつらえていた。

目的は玉子だったと思うのだが、鶏の行く末については記憶がない。後年、あの鶏はどうしたの?と親に聞いたら「食べた」と返ってきて受けたショックは深層心理に今も潜んでいる。ま、しかし、そういう時代であった。北野武氏のお姉様が慈しんでひよこから育て上げた「ピーちゃん」という鶏も、ある日お姉様の留守中に御尊父様が鍋にされたそうである。お姉様は火がついたように泣かれたという。この話は「たけしくん、はい」に載ってると思ったのだが、今読んだらない。じゃ、続編だっけ。続編はウチにはない。そう言えば、続編を立ち読みして大泣きした覚えがある。大泣きだけして買わなかったものと見える。

それに対し、これは、手元にある第1作で今も確認したエピソード。ある日、タケシ少年は悪友たちと友達の家(掘立小屋)に行くと留守。その掘立小屋にみんなで入り込んで柱を切る等々の狼藉をしていたらいきなり小屋がバターっと倒れた。で、夕方、帰ってきた親子が立ちすくんでいたそうだ。

この話と言い、ピーちゃんの話と言い私には泣ける話なのだが笑い話ととる人もいるだろう。渥美清さんは、自分が寅を演じた「男はつらいよ」をいろんな映画館で見たそうな。すると反応が違うという。例えば、寅屋の面々が寅さんの分をとっておかずにメロンを食べてるところに寅が帰ってきて怒る有名なシーン、山の手の館の客は笑うそうだが、下町の客は笑わない。「寅のためになんでとっておいてやらなかったんだ」という反応だそうだ。

なお、漱石の小説にも鶏を飼う話が出てくる。ふーん、漱石の階級=上級国民も鶏を飼ったんだ。やはり玉子が目的らしい。しかし、彼らに飼われた鶏がその後鍋になったか否かについて漱石は触れておらず、不明である。