拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

楽器を再開したきっかけ

2024-05-18 20:36:04 | 音楽

横野好夫です。神奈川県の中央(県央)で、モーツァルトのレクイエム等を好事家が集まって練習なしにいきなり通して演奏する会に行ってクラリネットを吹いてきました。

思えば、同様の会は首都圏各所でいろんな曲で行われ、私自身も主催したことがあるけれど、まさに、数年前、県央でモーツァルトのレクイエムを通して演奏したこの会こそが私が楽器を再開するきっかけであったのです。すなわち、ピアニストのヤマユリ先生(仮名)は、通常、この手の会ではピアノを弾かれるのだけれど、このときは「クラリネットを吹く」と仰られたことが、かつてクラリネットを吹いていた私の導火線に火を付けたのでありました。

その後、クラリネットのほか、昔いじっていたヴァイオリンも再開し、さらに、この期に及んでオーボエ、フルート、チェロを新たに始めることになったのだから、まっことこの会及びヤマユリ先生は私の余生に計り知れない影響を与えたのでございました。今回のクラリネットの相方がヤマユリ先生だったのも至極当然のことでございます。

てなわけで、この日は午前中に家(現住所。引越はまだ)を出て、会場近くのドトールで昼の腹ごしらえ。思えば、20年くらい前、仕事で外出したときのお昼はたいがいドトール。今回注文した「ミラノサンド」とブレンドコーヒーは当時と同じ組合せ。そう発するわが声に大いなる郷愁を感じたのでありました。

そのミラノサンドの一部が包んだ紙にはみ出ている。はみ出ているのはアボカド。アボカドを食べたくてこれを注文したのだから残すわけにはまいりません。さりとて、スプーンの類いはテーブルにないとなれば、猫になるしかあるまいて。舌を伸ばした、届いた、なかなか長い舌だ。で、ペロリ、完食いたしました。人目を気にしてては生きていけませんもの!


逆カスハラ

2024-05-18 08:11:08 | 日記

五文字のお店でワインを頼んだときの「おくるまの運転はございませんか」「おくるま」が「お車」なら自動車、「お俥」なら人力車、いずれも軽車両。だから飲んで走っていけないのは同じ。日本語的には「おくるま」に自転車は入らないと思うが、やはり軽車両だから飲んで運転してはダメである。現在、歩け歩けの私であるから、「おくるまの運転はございませんか」と聞いたお店の人が「おくるま」に自転車を含ませていたとしてもおおえばりで返答することができる。なお、この場合、否定疑問だからと言って欧米的に「いいえ」で答えると、「運転しない」の反対=「運転する」になり、「では、お出しできません」と言われるかもしれない。それに対し「運転しないと言ってるのになぜ?」と食い下がったら「カスハラ」だと言われて店から追い出されるかもしれない。

因みに、カスハラの逆=店員が客を威圧する態度については「逆カスハラ」以外に適当な用語がないようである。その逆カスハラで思い出すのがドイツのスーパーのレジの店員。とにかく怖い。無愛想が極まった表情で客をにらみつけ、金額を吐き出すように言う。あんたのために金額を言うのは口が腐ると言わんばかりである。私は、これはドイツの文化であり、ドイツ人にとっては普通のことなのだな、と思っていたらそうでもないようで、なんかのCMにレジ打ちの店員が登場し、いつもの調子で接客をするのだが、それが茶化しの対象にされていた。なんだ、ドイツ人も、内心「横柄だなー」と思ってたんじゃん、と認識を新たにした。にもかかわらず、レジ打ち店員がそういう態度をとり続けてこられたことにはそれなりの歴史的経緯があるのかもしれない。

日本だって逆カスハラが許されていると思しき場所がある。暮れになると人でごった返す東京の某有名商店街で、お刺身の値札の「5000円」の「0」が一つなんかの影になって見えなくて、私がねじりはちまきのお兄さんに「これホントに500円なの?」と聞いたら「御前、バカかっ」と言われた。しかも、ご丁寧にこれを二回繰り返した。「時と場所」の要素を捨象すれば、逆カスハラに該当しそうな行為であった。そりゃあバカには違わないが、だからと言って、バカをバカと言っていいわけではない。「バカと言ったらお前がバカ」と言ったものである。

なお、これが「バカヤロー」だったら割り引いて考える必要がある。江戸っ子にとって「バカヤロー」は「こんにちは」に等しいからである。

そう言えば、かつて「バカヤロー」と言って衆議院を解散した総理大臣がいた。この人は江戸っ子?はたしてそうであった。神田駿河台の生まれだそうである。