拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

文京区をブラマサコ(根津~小石川植物園~傳通院)

2024-05-27 06:53:28 | 地理

一昨日は、この演奏会に行ってきた。

力みとは無縁の透明な響きで心に沁みた。ヴィラールト(ルネサンス期の作曲家)の音楽は常に微温的だった。ゲストのリコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバもとっても良かった。ステージ上の知り合いの数を数えたら4人だった。

会場はいつもと変わらずトッパン・ホール。最寄り駅は飯田橋駅か江戸川橋駅。いつもは飯田橋駅から歩くんだけど(南から攻めるんだけど)、地図を見ると、小石川植物園から傳通院を抜けて、北の台地から下りてくルートがある。一ノ谷の戦いでの義経の別働隊も、平氏の陣地の北の丘陵から攻め下ったんだった。よし!お天気もいいし、暇だから今回はそのルートを歩こう。血圧もさぞや下がることだろう。ということで、以下、文京区の台地と谷と坂を歩いた話。時系列的には、演奏会開始前に戻ります。

【台地を上る(一回目)】スタートは地下鉄の根津駅。駅から出たところに交差点がある。ここら辺は低地で根津谷と言うらしい。ここから帝国大学方面に坂を上る(え?帝国大学ってどこかって?帝国大学って言ったら帝国大学だよ。漱石の時代(の大半)は帝国大学って言ったら一個しかなかったし)。文京区は、台地がいくつもある(その間を谷がえぐっていて、両者を結ぶ坂もたくさんある。そのあたりが足立区と全く異なる)。その中の本郷台地をまずは上るわけ。坂の途中から道路横が帝国大学の敷地になる。その敷地は広大。やはり官営は違う(これに比べると、早稲田大学など箱庭のよう)。木々は鬱蒼としてて草の匂いがする。その木々の中で、枝がかなり広い歩道すら乗り越えて車道に大きくはみ出してるものがあった。

奥地の家の垣根の葉っぱも少し道路にはみ出てるが、帝国大学のはみ出しようはその比ではない。奥地のわずかにはみ出てる葉っぱでさえも刈らなきゃいけないかなー、と思ってるワタクシであるから、この帝国大学の葉っぱにはドキッとしたが、そこはそれ帝国大学である。そんな浮世の些末事に気を取られるようでは最高学府に相応しい学問はできないに決まってる。だから、帝国大学の葉っぱはこれで良いのである。

【台地を下る(二回目)】その帝国大学をぐるっと回ってしばらく行き、おしゃれなイタ飯屋さんの反対側の角を曲がると今度は下り坂が現れた。

浄心寺坂と言うそうだ。坂を下りきるとそこは谷(指ヶ谷)。白山通りが通っている。その通りの先、南の彼方に後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。

【台地を上る(二回目)】でも、遊園地には行かずに(ゴールはトッパンホールだから)、谷(白山通り)を渡って直進するとまた上り坂が現れた。

蓮花寺坂と言うそうだ。上るのはこの日二つ目の台地=白山台地である。

【台地を下る(二回目)】ここを上りきってしばらく行くと道路の右側が小石川植物園の塀になるあたりから下り坂になる。

御殿坂と言うそうだ。だいぶ下りたところに小石川植物園の正門があった。

小石川植物園が乗ってるのが小石川台地ではなく白山台地であるところがフェイントである。さらに行くと「白山浴場」に出くわし、一風呂浴びたい気分にもなったが我慢して先を行くとまた谷(小石川谷)に出た。千川通りが通っている。

【台地を上る(三回目)】谷(千川通り)を渡って直進し、おしゃれなイタ飯屋さん(坂も多いがおしゃれなイタ飯屋さんも多い)の角を曲がるとまた上り坂が現れた。上るのはこの日三つ目の台地=小石川台地である。

その途中に、時代がかった建造物が現れた。

近くにあった案内板を読むと、ここら辺は井上哲次郎って偉い哲学者の邸宅の跡地で、屋敷は空襲で焼けたが土蔵だけ残った、その残った土蔵がコレだそうだ(哲次郎が哲学者なのは偶然の一致?しかし、川上哲治は哲学者ではない)。ところで、地図によると、このあたりに傳通院があるはずだが、一向にそれらしき建物が出てこない。どうやら裏手から迫ったのがいけなかったようだ(地図からは表や裏が分からない)。ぐるぐる回って表に出たら、ようやく傳通院が現れた。

ここからは、傳通院の正面の大通りを進む。すると、大昔、桂小金治が司会をしてた頃のアフタヌーンショーで「しあつのこころー、ははごころー」と念じておられた浪越徳次郎さんの銅像が現れた。

浪越徳治郎さんが設立した指圧学校だった!そして、そのお墓が傳通院にあることを今知った。アニマル浜口さんの豪快笑いの元祖はこの人だったのかな、思ったのも今である。大通りをさらに行くと春日通りにぶつかった。春日通りの先、南の彼方には再び後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。

今度は、さっき見たときより大きい。直線距離が縮まったようだ。

【台地を下る(3回目)】だが、遊園地に行く暇がないのはさっきと同様である。時間がおしつまってきた、小石川台地を下ろう。今度の下り坂は道幅が広い。安藤坂と言うらしい。

カーブを経て下りきると神田川に出た。

トッパンホールはすぐそこ。遭難することなくたどりついて無事に演奏会にありつけた。

もし、ブラタモリがなかりせば、このような台地と谷と坂まみれのブラブラ歩き(ブラマサコ)をしなかったのは確実である。あと、漱石を読んでなければこの辺をブラつく対象に選ぶこともなかったろう。漱石の跡をたどるブラ歩きは結構人がやるそうで本も出てる。私などはまだ端緒に着いたばかりである。