拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

流浪の民

2024-06-24 09:17:05 | 音楽

まひるが家に戻ってみると、下女が男を作っていた(大河ドラマ)。下女曰くその男は「なんでも言うことを聞く」。そういう男が好きな女性は確実にいるし、女に「なんでも命令されたい」と思ってる男も確実にいる。天の配剤である。

新しい民法では相続分は妻が3分の1で残りを子どもが分け合うと言っていたが(朝ドラ)、それは古い新民法の話で、現在の民法では妻が2分の1で残りを子どもが分け合う。今朝の放送で、確実に間違った知識が広がるのを憂えるワタクシである。では、残りは横野好夫君に書いてもらいます。

横野です。シューマンの「流浪の民」についての想い出は高校のときに遡ります。私が所属していた吹奏楽部と、音楽部という名の合唱部はともに音楽室を拠点にしていました(東京ドームを巨人と日本ハムが共用していたごとし。因みに、この括弧内、初稿では「東京ドーム」は「後楽園球場」で、「日本ハム」は「東映フライヤーズ」でした)。で、昼休みにはどっちの部員も音楽室に集まってくるのだけど、棲み分けができていて、音楽部はピアノの周りに集まって歌を歌い、吹奏楽部はちょっと離れた場所に陣取ってその歌を聴いておりました。で、音楽部がよく歌っていたのが「流浪の民」。

特に、途中で、ソプラノ→アルト→テナー→バスと順繰りにソロを歌う場面があって、

ここが一番記憶に残っています。最後のバスのソロを歌った人が、これみよがしに太く張った声を出すと、音楽部員の中におおー!という仲間内自賛の歓声が湧き上がったものでございます。

その後、大学で私は合唱に転じたのだけど、そこが古楽専門だったから、とうとうこれまでこの歌を歌ったことはなく、聴いたのも高校の音楽部の歌が最後でした。

ところが。それからきっちり半世紀後の今、所属しているA合唱団がシューマンのミサ等を歌ってるので、ついでに「流浪の民」を歌うことになりました。半世紀前に毎昼聞かされていたあの曲をいよいよ自分で歌うことになるとは!と感無量のワタクシなのでございます。

ところで、高校のとき聴いていたのは日本語訳。今回はドイツ語の原詩。それ故に初めて知ったことが多数あって、まずタイトルの「流浪の民」。私、戦争等で家を失ったりして、不本意に放浪する人々をイメージしてたんだけど、「Zigeunerleben」と言ったら「ロマの生活」じゃないですか。ロマなら移動するのは当たり前。さらに、歌詞には「ナイル川」(Nil)や「Spaniengarten」(スペインの庭)が出てくるんだけど、ロマは、ヨーロッパ人の認識では、「エジプトで生まれてスペインを通ってヨーロッパに入ってきた人」だから符合してます。

因みに、「ロマ」は昔は「○○○ー」と言われていたが、今日では世界的に差別用語とされていて、日本では放送禁止用語にもなっているそうな。それでいて、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇の「○○○ー男爵」はそのままの表記がまかり通ってるってことは、前後になんかの言葉が付けばよいのだろうか。ドイツ語の「Zigeuner」も、やはり差別用語には違いないけど、どこまでダメなのかは明らかでない。ググってみると、ドイツ人も「Darf man "Zigeuner" sagen?」(「Zigeuner」って言っていいの?)なんて質問投稿をしてて、それに対する答えが「微妙」だったりしてなかなか微妙なようです。そう言えば、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」ってヴァイオリン曲があるけど、あれを「○○○ーの曲」って直訳してたら、今頃「言っていいの?」って疑問が起きるところだった。そのまま「チゴイネルワイゼン」で輸入したことが結果的によござんした。

因みに、「チゴイネルワイゼン」と言えば、私の大昔の宴会芸でございました。すなわち、この曲の冒頭をヴァイオリンで弾き始めるのだけど、

赤で囲った超速の部分を口三味線で歌って、その後からヴァイオリンに戻る、という芸です。なかなかウケたものでございます、はい。



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