暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

大野山

2009年12月20日 | ハイキング・ぶらり散歩
大野山ハイキングへ行きました。

お茶を長く続けたいので、膝や足腰のトレー二ングにもなる
ハイキングのお誘いはとても嬉しいです。

小田急線海老名駅で友人と待ち合わせ、
新松田でJR御殿場線へ乗り換えて
谷峨(やが)駅で下車しました。

歩くこと約40分、嵐という集落を過ぎ
やっと山道へ入ります。
途中に無人の地場産物の売り場があり、
友人はお昼用にと沢庵の溜り漬けを、
私は銀杏とイチジクのコンポートを買いました。

登り始めると、箒になった落葉樹の間に真っ赤な紅葉が
残っていて、初冬の山歩きを楽しませてくれます。
大野山には牧場があり、雪を抱いた富士山を堪能しながら
牧草地をゆっくり登っていきました。

谷峨駅から山頂まで約2時間30分でした。
頂上へは別ルートの車道があり、車でも行ける山です。

「少し下ると休憩所があって、牛乳を売っている」
というので、そこで昼食にすることになりました。
牛舎が見える道を下って行ったのですが
この道がとても気持ちよく、お薦めです。

足元から視界が急に広がり、
牧草地の遥か向うに小田原市街や相模湾が見下ろせます。
手を水平に広げると、鳥になってフワッ-と
舞い降りるような爽快な気分になりました。

美味しい牛乳を期待した休憩所ですが、
12月~3月まで牛乳販売はお休みでした。残念!
おかずやデザートを分け合いながら食べる昼食は
いつも楽しい時間です。

ひなたぼっこをしてから山北駅を目指しました。
下りが長く感じられ、駅まで2時間かかりました。
山北駅近くに「さくらの湯」があるのですが定休日で、
牛乳と共にこの次の楽しみとなりました。

                         


平和島 骨董まつり

2009年12月19日 | 茶道具
平和島 全国古民具骨董まつり」へ
昨日、親友と行って来ました。
会場は東京流通センター(大田区平和島)で
18日から20日まで開催されています。

金曜日のせいか、混んでなくゆっくり見れましたが、
会場が広いので、「あとで買おう」と保留しておくと、
そのお店を捜すのが大変でした。

かわいらしい茶籠に出合いました。
傍らに豊楽焼の茶碗、茶入、振り出し、茶筅筒、茶巾筒が
品良く並んでいます。
ちいさな茶籠なので、それらの道具を入れてみせてもらいました。
入れ方を間違えると入らないほどぴったりに納まります。

値段もまあまあ妥当かしら・・と思いました。
「少し考えてから、また後で来ますね・・」
と一旦は店を離れましたが、すぐに引き返し、
思い切って茶籠一式を購入しました。

時間がかかると思うけれど、ステキな着物(仕覆)
縫って着せてあげるからね! 
楽しみが一つ増えました。

他にガラスの小箱、レース飾り、漆器の茶碗を買いました。
漆器の茶碗は根来塗風のタイ製で、とても軽くできています。
山へ持って行き、これでお茶を点てるつもりです。

あるお店で蛸壺が無造作に吊り下げられていました。
信楽焼風の味わいのある一つを選んで購入すると、
「何に使うのですか?」とお店の人に逆に聞かれました。
紐をつけて掛け花入に使うつもりです。

別のお店で同じような蛸壺の花入が10倍以上の値段で
売られていました。
親友と思わず顔を見合わせてしまいました。
ひょっとして蛸壺は掘り出し物だったかな?

骨董市では、ついあれこれ欲しくなりますが、
具体的な使い方がはっきりしない場合は
歯をくいしばって買わないように頑張っています。

                      

   写真は「順天堂(佐倉市)の古いステンドグラス」です

追記
 豊楽焼という珍しい焼物を始めて知りました。
 豊楽焼について知りたいと思い、調べています。
 ご存知の方、お教えください。


感服係り (つづき)

2009年12月17日 | 茶道楽
だちくゎんさま、ジバゴさまからお知らせいただいた
馬越化生(恭平)翁の写真をご覧ください(井原市史Ⅱより)。
恵比寿さまに似ている・・・と、書かれていましたが、
どうでしょうか?
品のある温厚なお顔ですが、目の奥に鋭さを感じます。

高橋掃庵は「東都茶会記」の「馬越翁桜川茶寮の茶会」(1912年)で
化生翁の亭主ぶりやエピソードをユーモラスなタッチで書いています。

「馬大尽としての翁は豪放不羈の快男児なれども、
 茶会の主人となるときは、ガラリと変わりて
 殊勝らしき謹直家となり、客より道具の質問を受くれば・・(中略)
 ・・恐る恐るこれに答え、ほとんど仰ぎ見るべからざる
 がごとき風情あるは、一奇観なり」

面白いエピソードがたくさんある化生翁ですが、
13歳頃の強烈な体験が茶の湯と深く関わる原点だったようです。

馬越恭平(1844年11月21日-1933年4月20日)(号 化生)は
岡山県後月郡木之子村(現・井原市)の医家に生まれました。

1856年、13歳で大阪に出て、豪商 鴻池家の丁稚となりました。
掃除中に書院に飾ってあった青磁桃花香合を取り落としてしまいます。
これを見咎めた番頭にきつく叱られ、いつの日かこの香合を
買い取ってやろうと心に誓ったのでした。

1873年、益田鈍翁(孝)の縁で上京して井上馨の先収会社に
入社したのを皮切りに実業家の道を歩んで行きます。
後に大日本麦酒(現在のアサヒ・サッポロビール)を創立し、
「日本のビール王」と呼ばれるまでになりました。

1880年頃、益田無為庵(克徳)の勧誘で茶道に入り、
江戸千家の河上宗順について茶を学びました。
茶道具の収集家でもあり、因陀羅筆「寒山拾得図」や
中興名物「田村文琳」などを所持したそうです。
現在、藤田美術館にある「田村文琳」は心惹かれる茶入ですが、
化生翁の手元にあったと知って感無量です。

ところで、あの青磁桃花香合ですが、
1901年頃に鴻池家で茶道具の売り立てがありました。
その時念願の香合を落札し、かつての誓いを果たしたそうです。

岡山県井原市には大阪に出るまでを過ごした生家や、
馬越橋という橋名が郷土に力を尽くした証として残っています。

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仮名手本忠臣蔵

2009年12月14日 | 歌舞伎・能など
今日は赤穂浪士討ち入りの日です。

11月の吉例顔見世大歌舞伎は昼も夜の部も
「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」でした。

九州旅行がキャンセルになったので、急遽夜の部へ
主人と行くことになりました。

夜の部
五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
       同  二つ玉の場
六段目  与市兵衛内勘平腹切の場
七段目  祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
       同    奥泉水の場
       同    炭部屋本懐の場
      引揚げの場

見終わってからいつものようにどの場面に感銘したか、
印象に残ったか・・を話し合いました。
主人は即座に
「五段目で、黒の着流しの斧定九郎が濡れた袖を絞り、
 濡れた髪を整える所作がぞっとするような悪党の美があって
 たまらなく良かった!かっこいい!」

私も全く同感です。
斧定九郎を演じたのは中村梅玉でした。

ストーリィの面白さとともに歌舞伎ならではのお楽しみがあります。
歌舞伎ではよく舞台で着替える場面があるのですが、
粋で絵になっていて、どきどきしながら期待して見ます。

六段目、尾上菊五郎演じる勘平が浅黄の紋服(武士の正装)に
着替えて、祇園の茶屋の女将と会う場面です。
黒子が手伝いますが、するすると見事な脱ぎ着で、
特に帯を巻いて締めるシーンにはうっとりしました。
着替えることで猟師の勘平から赤穂浪士の勘平に
心情を切り替えているのかもしれません。

その後、舅を鉄砲で撃ったと思い込んでいる勘平は切腹します。
浅黄の紋服には勘平の覚悟のほどが現れていて、血潮の赤が映り、
死に行く勘平をより壮絶に哀れに見せています。

もう一つの楽しみは歌舞伎の雪。
本物の雪より雪らしく、美しく降り積もります。

十一段目、奥泉水の場では雪の中、立ち回りが演じられます。
この場面がないと忠臣蔵は物足りない・・と思うほどです。
主役ではないかと思うほど美しい雪ですが、
丸でも四角でもなく三角形に切ってあるので
ヒラヒラと舞うようにゆっくり落ちてくるそうです。

実話のように引揚げの場で、高師直(吉良上野介)の首は
桂籠が代役を務めているのでしょうか? 
これについては未だ不明です。

                     

湯河原・幕山

2009年12月12日 | ハイキング・ぶらり散歩
元職場の同僚のNさんとHさんに誘われて
11月24日に湯河原・幕山ハイキングへ出かけました。
「昨年6月の扇山以来だから1年半ぶりよ。」とNさん。

本当にご一緒するのは久しぶりです。
何度もお誘い頂いたのですが、母の介護があったりで
精神的に余裕がなく、なかなか行けませんでした。

11月末の幕山近辺は紅葉の真っ盛り。
登山口にはドウダンツツジが燃えるように空に映え、
名残りの野菊、紅椿、それから早や水仙が咲いていました。
梅林を抜け、花や景色を見ながらゆっくり登ります。
登り始めて2時間足らずで山頂に着きました。

      

幕山山頂からはキラキラ輝く海が眺められ、
初島や伊豆半島の海岸線が遥か望めます。
この山頂広場で昼食です。
Nさんが持参の湯で淹れてくれたインスタントコーヒーが
喉を美味しく潤し、感激しました。

「次回は茶籠を用意して抹茶を飲んで頂こう」
と思いました。
いつもは山頂でのんびり休むのですが、
予報より早く天気が崩れそうなので、
すぐに次の南郷山を目指しました。

途中に「自鑑水(じがんすい)」という池があり、
石碑に書かれた碑文を興味深く読みました。

  史跡「自鑑水」(自害水とも)
  一年中枯れることなく清水を湛えたこの窪地は、
  昔から自鑑水と呼ばれている。

  治承4年(1180年)石橋山の合戦に破れた頼朝主従は
  地元郷土の英雄 土肥実平一族の庇護のもと、
  平家の追っ手から逃れ、この地に辿りつき、
  喉を潤し、水鏡で乱れた髪を結い直すと、
  平家を破り天下を治める自らの姿が映り、
  自害を思い止まり、気を強く持ち直したという
  頼朝再興の礎として伝えられている

湯河原近辺には源頼朝ゆかりの史跡が多く、
頼朝主従が隠れたという「しとどの岩屋」がこの近くにあります。

「自鑑水」をあとに杉林の中を上って行くと南郷山の山頂です。
ここからの眺望も良さそうですが、
だいぶ空が暗くなってきて、うっすらとしか見えません。

帰りに「ゆとろ嵯峨沢の湯」へ立ち寄ることが決まったので
元気を取り戻し、蜜柑がたわわに稔っている急坂の道を
下っていきました。