暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

上坂冬子さんと豊楽焼

2010年12月27日 | 茶道具
長くなりそうですが、よろしかったらお付き合いください。

親友のMさんからお福人形の話を聞いたのは2年前のことでした。
「上坂冬子さんの本に載っていたお福人形がとても好かったので
 布絵で色紙に作ってみました。茶事に使うようでしたら送ります。
 本も面白く、スラスラと読めますよ」

早速、「ときめき老後術 ひとり暮らしの骨董ざんまい」
上坂冬子著(海竜社 2007年)を購入し、一気に読みました。
上坂さんが亡くなられたのはそれから間もなくでした。
いつか、その本は本箱の片隅に追いやられ、忘れられていました。

上坂さんが亡くなられた年(2009年)の12月、平和島骨董まつりで
豊楽焼(とよらくやき)の茶道具で調えられた茶籠を買ったものの、
豊楽焼についてはよくわからないままでした。
(下の写真は、暁庵の豊楽焼・棗です。クリックすると大きくなります)

         

先日、本の整理中に「ときめき老後術」を見つけ、
もう一度読んでみると、「趣味を持つなら働き盛りに」の章に
豊楽焼の茶碗との出会いが書かれていたのです。
一部ご紹介します。
 (・・前略・・)
   私が目を止めたのは、見込み(茶碗の内側)に染付の鶴が飛び、
   外面はこげ茶の漆塗という蓋つきの茶碗であった。 (・・中略・・)

   「茶碗の外面に漆を塗ったのは豊楽(とよらく)さんの特徴で、
    ヨソじゃ見られんと思うがねん」
   と爺さん(注:愛知県の骨董屋)は説明した。ねんというのは方言である。

   「漆の地に金で、松が描いてあるところが気に入ったわん」
   と私も方言で答えながら、
   まもなく正月がくるからこんなのを棚に飾って迎えようかと思った。

   料理下手の私は盆がこようが正月がこようが手料理など作ったこともないのだが、
   空っぽの茶碗でもおめでたい松の模様なら、ひとり住まいの我が家にも
   正月がくるような気がしたのである。
   豊楽さんは地元中京地区では人気があるのだという。
                                     
どんな茶碗なのか、写真は掲載されていませんでした。
本の終わり近く、「最後の晩餐」の章に再び、この豊楽焼の茶碗が登場します。
独特のユーモア溢れる文章で、ご自分の最後の晩餐に並ぶ料理と
それを盛る器について愉しみながら書いています。
そして、ここで初めて茶碗の写真が掲載されていました。

 (・・前略・・)
   汁は骨董ではないが、愛用の輪島塗にたっぷりの赤味噌汁を盛りつける。
   ご飯は、と考えて長い間仕舞い込んでいた故郷愛知の蓋付き茶碗を思い出した。

   「磁器の外側に漆を塗るのは豊楽さんの特徴で、ここらじゃ名品といわれとるがね」
   といって名古屋の業者が有難そうに、この蓋付きを取り出してくれたのは、
   もう三十年前のことだ。

   独身の私は結局、故郷の両親の墓に入ることになるのだろうから、
   最後は「ふるさとの茶碗」で「ごちそうさま」というのもいい。

   ここまで考えて、何だか祭りの前夜のように陽気になった。
   年齢として不足はないのに、まだ死が現実のものとして考えられないのは、
   年の割に陽気な性格の特徴かもしれぬ。
    ま。いいか。
                            

  写真上から、「お福人形」 (Mさん作)
          「茶籠に入っていた豊楽焼の棗」
          「内側は織部風です」

     
上坂 冬子(かみさか ふゆこ、本名:丹羽ヨシコ)
1930年6月10日東京で生まれ、愛知県豊田市で育つ。
愛知県立豊田東高等学校卒業後、トヨタ自動車工業(現・トヨタ)入社。
1959年「職場の群像」で第1回中央公論社思想の科学新人賞を受賞。
以後ノンフィクション作家として執筆活動に専念する。
1993年には第41回菊池寛賞、第9回正論大賞を受賞。著書多数。
2009年4月14日肝不全のため逝去。享年78歳。

豊楽焼(とよらくやき)
名古屋市中区大須の万松寺南の隠卿で焼かれた楽焼系の軟質陶器の総称。
尾張藩御焼物師の加藤家、四代大喜(だいき)豊助は、器の一部に漆を塗り、
蒔絵を施した木具写しを考案した。
抹茶茶わん、薄茶茶碗、菓子器、手あぶりなどがあり、印は「豊助」「豊楽」など。 


2 コメント

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Unknown (sirasagi)
2010-12-27 22:01:07
この棗が焼き物?
写真で拝見すると塗りの棗と思ってしまいました。
豊楽焼は以前本で蓋物菓子器を見たことがありました。
そのときも塗りにしか見えませんでした。

今その本を見てみますと
「図版では木具に見えるが化政期の名古屋の豊楽焼。陶胎に朱漆、蒔絵をほどこし手にずっしりと重い」とありました。
やはり棗は見た目より重いのでしょうか?
茶箱にあの素敵な仕覆に収まった棗が入っていて、
塗りと思ったら陶器で・・・いいですね!素敵ですね。
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豊楽焼の棗 (暁庵)
2010-12-28 10:16:28
コメントをありがとうございます。
私も初めて見たときはキョトンでした。
織部風の内側を見て納得しましたが、蒔絵も漆の色も素敵でした。
(上坂さんのは内側が染付の鶴で、こちらもなかなかです)
すぐに購入を決意し、茶籠の茶道具たちのために仕覆を習いだしました。

仕覆の先生がとても素敵な方で、仕覆の作り方はもちろんですが、
稽古場に飾られている茶道具や裂地のセンスが素晴らしく、
先生のセンスを学びに通っています。

茶事や野点で茶籠を使える日を夢見ています。
どうぞ、完成途中でも見にいらしてくださいな。
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